サイアスの千日物語 三十一日目 その八
早朝のサイアスの居室には、重々しい空気が漂っていた。
ベオルクらの言うとおり、確かにサイアスの平穏の二十日間は
彼方へと消え去り、城砦の、いや人の存亡を担う生死の狭間が
ほんの間近でサイアスを手招きしているようだった。
否が応にも気を引き締めざるを得なかった。
「……残念だけれど、もっと悪い話が残ってるわよ?
次はそちらをお話するわ」
マナサはそう言うと、頷くサイアスに微笑み、抑揚を殺して語り進めた。
「荒野の南西、城砦の真南の断崖直下にそれなりの規模の丘陵がある。
その丘陵のほぼ中央に大規模な眷属の群れが集結し、
大掛かりな作業をおこなっているわ。
人でいえば土木工事と言ったところかしらね」
サイアスはカエリア王立騎士団の物資輸送部隊に同行した道中の最後に、
地鳴りのような音が響いてきたのを思い出した。
まるで何かの咆哮のようなその音は、
彼方に見えた丘陵から響き渡っているようだった。
ラグナはそれを魔の吠え声だと言っていたが、
何か関係があるのだろうか、とサイアスは思案し始めた。
「……貴方は輸送部隊と一緒に、丘陵から響く魔の遠吠えを聞いたはず」
「遠吠え…… 確かに」
サイアスは思わず呟き、そして頷いた。
「何故吠えたのかは判らないわ。私は魔ではないから。ただ、結果として
人は丘陵を警戒し、距離を取る方向で動いていた。そして」
マナサはベオルクとブークを見やった。二人はマナサに頷いた。
「人が来ないのを幸いと、魔は熱心に進め出したの。建造物の設営を」
「私の所属は第二戦隊だけれど、普段は誰の命令も受けず
気ままに動かせて貰っているわ。荒野をふらふらとあてもなく彷徨い、
目についたものを報告しているの。丘陵にも何度か足を運んだわ」
「少なくとも半月前までは、あそこには何もなかった。
無機質な岩場と申し訳程度の植物が散らばるだけの、乾いた土地だった。
それが件の遠吠えを境としてにわかに騒がしくなり、
いつしか大量の眷属が集うようになった」
マナサはそう言うと、闇夜のような瞳でサイアスを見つめた。
「丘陵の中央には擂鉢上の大穴が掘られている。
そして数百程度の眷属が昼夜を問わずひしめきうごめき、
地を削り岩を運び、穴の底になにやら建造物らしきものを
準備しつつある。 ……それはおそらくは魔のねぐら。
掘り返した地の底にまず神殿のようなその在所を造り、
完成次第周囲を埋め、上部に巨大な広間や通路を用意して
また周囲を埋める……
そうやって建造物を構築しながら次第に擂鉢上の穴を満たしていき、
最終的にはもとの平坦な丘陵に戻すのでしょうね。
雨の降らない乾いた土地では、
よくそうした方法で地下道や住居を作るわ。
……そうね、多少気取った言い方をしていいなら」
マナサはやや躊躇するように一拍置いた。乳白色の肌に真紅の唇。
瞳こそ黒いがメディナにどこか似ている気がする。
サイアスはそう感じていた。
そしてマナサは言葉を継いだ。
「丘陵に、魔が地下迷宮を作ろうとしている」
マナサの話に聞き耽っていた3名は、驚愕の声を漏らした。
サイアスのみならず、ベオルクやブークもだ。
「マナサよ。それは初耳だ……」
「私もです。
マナサさん、報告書にはそのような記載はありませんでしたが……」
ベオルクもブークも上層部の一員だ。
マナサの報告書には既に目を通していた。
「そうね。私も今初めて話したわ」
マナサはそっけなく答えた。
「報告書には事実しか書かないわ。余計な憶測なんて邪魔なだけだもの。
だから地下迷宮というのは私の想像。実際は建造物を設営しているだけ。
形状や用途その他、詳細は一切不明よ。
……地下迷宮というのは単なる直感。ちょっと詩的な、ね」
そう言ってマナサはサイアスにウインクした。
「『誓いの歌姫』にはおとぎ話や冒険譚が似合うわ。
地下迷宮に潜む魔王の退治なんて、素敵でしょう?
ねぇ、そうは思わない?」
「……まぁ、挑んでやろうという気にはなります」
サイアスは肩をすくめ、そして笑った。




