サイアスの千日物語 三十一日目 その五
「まず、一つ詫びを入れておこう。サイアスよ、済まん」
ベオルクはいきなり頭を下げた。ブークもまた沈痛な表情で
それに続いた。サイアスはマナサを見やり、
マナサはわずかに首を傾げて微笑んだ。
「お顔をお上げくださいませ。
いきなり詫びだと言われても困ってしまいます」
「我々はお前に与えられた
『最後の猶予』を奪うことになったのだ。それを詫びている」
「『最後の猶予』……?」
サイアスは問い返した。
「訓練課程の二十日間のことだよ、サイアス君。
……新規に入砦した者は、まずは訓練課程にて基礎を身につけ、
その上で現場へと投入される。どのような事情があって入砦するにせよ、
本心では誰も、死に急ぎたいとは思うまい? 訓練過程中は
新兵ですらないため、実戦にはけして投入されず、必ず二十日間
無事に生き延びることができる。すなわちこの二十日間こそ、
魔や眷属の脅威や戦場にかりだされる不安を感じずに
安らかな眠りを手にできる、荒野で人に与えられた
『最後の猶予』なのだ。
兵士として、任務として訓練課程にあたる君は、訓練課程中といえど、
状況に応じて出動し、戦闘し、死線をくぐらねばならない。
君にはもはや、いささかの安寧も約束されないということなのだよ。
我々は君から当然の権利を奪ってしまうことを
申し訳なく思っているのだ……」
ブークは哀しげに、そして寂しげにそう言った。
心底申し訳ないと思っているように見受けられた。
この方は少々真面目すぎ、優しすぎるとサイアスは思った。
「……」
サイアスはベオルクを無言でじっと見つめた。
ベオルクは目を泳がせてそっぽを向いた。
「ベオルク様…… 本当に申し訳ないと思っていますか?」
サイアスはさらにじーっとベオルクを見つめた。
ベオルクは必死で目を泳がせたが、逃れられぬと悟って、
こっち見んなといわんばかりに顔をしかめた。
「うむ。大変申し訳ないことで、ある」
ベオルクは真面目腐って言った。マナサは既に笑い出していた。
「……そのヒゲにかけて誓えますか?」
サイアスはジト目で問うた。
「そんなことは、できぬ」
ベオルクは真面目腐って言った。サイアスもベオルクも笑い出した。
ブークは独り哀しみに耽っていたが、周りの態度を見て怪訝な表情をした。
「……どうされたのですか?」
ブークは問い、ベオルクは盛大な溜息をついて言った。
「どうしたもこうしたもない。だから無駄だと申し上げたのに」
とヒゲを撫でつつ肩を竦めた。
「これはそんなことを気に病むようなタマではありませんぞ。ブーク卿」
「はぁ」
ブークは腑に落ちぬと言った表情だ。
「千日の猶予を捨て、覚悟一つで城砦にまで来た身です。
今更二十日の猶予がなくなったとて、それが何だという感じです」
サイアスはさらりと言ってのけた。ベオルクはニヤニヤしていた。
「まぁ、こんな感じなので『誓いの歌姫』なのでしょうな。
そりゃ大ヒル相手に熱唱もするでしょう」
今度はブークが溜息を付いた。
「余計な気遣いでしたか。これは失礼を」
「いえ、閣下のお心遣いは大変ありがたく存じます。
気にかけてくださる方が一人でもいると判って嬉しいです」
「あら、私だって気にかけているわよ?」
マナサは妖艶に微笑みそう言った。
「うむ、私も気にかけておる」
ベオルクが大袈裟にそう言った。サイアスは楽しげに頷いた。
あぁ、この少年はとっくに騎士の魂を持っているのだな、と
ブークはしみじみ感じ入っていた。




