サイアスの千日物語 二十一日目
騎士団領の東端となるラインドルフより北西。
半日程歩いたその先には、アウクシリウムと
呼ばれる街があった。
アウクシリウムは三つの西域守護城砦の東側に
ある最後の「街」だ。街とは人口1万を超す
生活拠点の総称で、血の宴による文明崩壊を
経て人口の激減した当世においては事実上
国家にも等しかった。
アウクシリウムには西方諸国連合軍の
本部があり、城砦騎士団関連の施設も多い。
連合の定める提供義務に則って平原の随所から
運ばれてきた物資はこの街にて集積され、
定期的に中央城砦へと輸送されていた。
物資には補充兵として城砦に送られる人々も
含まれる。よって荒野へ向かう人々は皆、
まずここへと至るのが常だった。
夕刻、アウクシリウムの南東にある東門へと
辿り着いたサイアスは、市街には入らずすぐに
南西の西門へと向かった。そこには中央城砦への
輸送を担う部隊が駐屯する詰め所があると
伯父から聞かされていたためだ。
荒野の城砦へ死兵を送る連合軍の兵士提供義務
では一度につき100名から200名の人々が
西方諸国連合加盟国中心に供出され、ここで
纏められていた。
もっとも此度のサイアスの城砦行きとは
そうした正規の提供義務に則ったものではない。
あくまで自主的な志願によるものだ。
よってまずはその意向を伝えるべく、書簡を
父の副官であった城砦騎士ベオルクの下へと
届けて貰うつもりであった。
魔軍の活動は専ら夜間だ。夜陰の迫る時間帯
でもあったためか、詰め所の兵士らは当初
硬い態度でサイアスに応対していた。
が、幾許かの謝礼と共に、連絡が付き
次第自分も城砦に向かうのだ伝えると、
一気にサイアスの味方となった。
曰く中央城砦への兵員輸送は基本的に数ヶ月に
一度の事であり、次回の正規の輸送にはあと
一週間は待たねばならぬとの事。
実際にサイアスが一週間をここで過ごす事に
なるのかは書簡の返信次第ではあるが、とまれ
それが判るまではこの街に滞在する事になる。
そこでサイアス向きな上宿と入砦に向けた
買出しに使う店の事。荒野の異形を相手取る
中央城砦での軍務に向けた身体を慣らすコツ。
そうした事を兵士らは入れ替わり立ち代り
説明にやってきて、皆口々に励ましてくれた。
書簡の返信については宿まで届けてくれるとも。
サイアスはありがたく拝聴し、礼をいうと
紹介された宿へと向かった。
兵士らが語って聞かせてくれた内容とは
実のところ、元城砦騎士たる伯父グラドゥス
から聞かされていた内容と大差ないものだった。
ただし伯父の説明にはまるで登場しなかった、
風変わりな店に関する情報が追加されていた。
伯父が現役だったのは10年近く前の話だ。
それ以降に出来た店なのだろうか。
翌朝、その辺少々気になったサイアスは
まずその店を訪れてみることにした。
街の中央には西方諸国連合の本部や官舎が
立ち並ぶ。それらへ向かう目抜き通りの
左右には、無数のバザーが賑やかだった。
そうしたバザーで小物を揃えつつ
サイアスは半ばで通りを外れた。
バザーの華やいだ明るさはすぐに失せ、
味気ない色の壁が愛想なく立ち並ぶ
路地と成っていく。
路地は進むほど道幅を失い、天より注ぐ
陽光さえ随分遠慮がちに成っていった。
華やいだ表通りと路地裏は一対の存在。
バザーが際立って賑やかな分、こちらの
寂寥感も一入だ。加えて何故か不思議な
事に、人の気配がまるでなかった。
いや人の気配どころか現実味さえ失せてきた。
次第に今が早朝なのか夕刻なのかも不確かに。
彼は誰と誰そ彼が物陰で忍び笑う
不思議な路地をサイアスは進み、
やがて件の店へと辿り着いた。
店に看板は出ていない。
だが周囲とは明らかに壁の色味や造りが異なる。
サイアスには一目でこれが目当ての店と判った。
店内は外観以上に不可思議な空間であった。
店外の路地と同様に時の流れを感じさせない。
実に様々なものが渾然と在り各個に存在感を
主張するもどこか粛然と佇んでいた。
色とりどりの布地や香木。
変わった色の液体入りな小瓶。
燃え盛る炎のような植物と孔雀の羽。
厳しい宝箱の側の棚には極彩色の象の置物。
手前には夜の帳にも似た紫紺の天鶩絨を
張った小振りなテーブルがあり、そこには
真鍮の色味をした煌びやかな香炉や厳しい
装飾の水晶玉、材質不明の砂時計などが在った。
詰め所の兵からは香木を扱う店だと聞いていた。
確かに香炉に灯る灯火は香の煙を燻らせていた。
だがサイアスの抱いた第一印象は道具屋だ。
それも飛び切り高級品を扱っている風だった。
どこか無造作に、何故か理路整然と感じさせ
そこに在るべくして在るように陳列されている
品々はどれも相当価値の高いもののようだ。
光物に目がないサイアス個人としては大層
好ましい光景だが、果たして荒野の死地へと
赴く者に何か関係があるものなのだろうか。
まさか形見や副葬品を買えとでも、と
サイアスが小首を傾げ怪訝げでいると、
店の主らしき声がした。
「いらっしゃい……
あら、随分線の細い子ね。
あなたも城砦へ行くの?」
店の中央、小振りなテーブルの向こうには、
さながら彫像の如く身じろぎ一つせず、
サイアスをじっと見つめる姿があった。
声を掛けられるまで、サイアスはその存在に
気付かなかった。それほど現実味の薄い美麗
な人影が、さながら静物の如く佇んでいた。
彫像と言われた方が遥かに納得し易い程だ。
こうした評価はむしろサイアスが
平素周囲の人々によって成されていた。
曰くお人形のお姫様。そういう風に喩えられた。
村内を巡回する際も、民は領主一族を恐れ敬う
というより貴重で精緻な宝物を慈しみ、けして
傷付ける事のないようにと随分気を遣って
サイアスに接していた。
白を基調とした流麗で艶やかな生地の衣に
紫のヴェール。随所に鮮やかな色味の宝飾。
ヴェールの布地は外套のように総身を覆う
風ではあるが、シルエットは極めて華奢で
小振りであり、声も歳若い女性のものだった。
「サイアスといいます。
城砦騎士ライナスの子、サイアス。
父の跡を継ぐつもりです」
今のサイアスにとり、それが
最も過不足のない返事であった。
サイアスは続いて簡潔に自身に纏わる
諸々の経緯と、この店を輸送隊詰め所の
兵士から教わった旨を伝えた。
「そう…… 志願兵なら待遇も
そう悪いものではないわ。きっとね」
同じ補充兵であっても提供義務のために
召集されて送られる者と自主的に志願し
入砦する兵士とでは、多少扱いが違うらしい。
女店主はそう教えてくれた。
詰め所の兵士らの対応が途中で大きく
変じたのもその辺りが理由なのだろうか。
「うちは染料や香木なんかを
主に扱っているのだけれど。
色々と調合していると、時折ちょっと
変わったものができることがあるのよ」
女店主は口上に合わせて
幾らかの香木と粉末を取り出した。
「中には霊験あらたかな代物もあるの。
魔にも効き目がありそうな、ね……
そうした品を魔除けや御守として
買っていく兵士も時折居るわ」
香木をや粉末を興味深げに見つめる
サイアスに、女店主は薄く笑った。
「本当に効くかなんて知らないわよ?
私は魔に遭ったことがないんだもの」
サイアスは何やら思案気だ。
女店主はなおも続けた。
「そんなに安いものでもないし、
他に入用なものはあるでしょう?
勧めはしないけれど、どうするのかしら」
サイアスの成した返事は、
女店主にとって意外なものだった。
「塗り薬にしてください」
「……何ですって?」
「戦闘前に剣や防具に塗布します。
試しに数回分。お願いできますか?」
女店主は暫し呆然とサイアス見つめていた。
が、やがて気の抜けた声を出した。
「貴方変わってるわね。
ご利益のありそうな有り難い品を
磨り潰して使い捨ての道具にするなんて。
……天罰下っちゃうかもしれないわよ?」
女店主は軽く肩をすくめた。
「罰を当てたいほど人にご執心なら
とうに魔軍を滅ぼしているでしょう。
益のない神仙など居ないも同然。
いちいち気にする必要はありません」
「うわっ、可愛い顔して言うわねこの子……」
人形の姫の如きサイアスの口から零れる
割と毒を含んだ物言いに女店主はさらに
肩を竦めお手上げのポーズをした。
「道具は使うためにあります。
使うに最適な形状へと変えるのは
理不尽な事ではないでしょう」
となおもサイアス。
サイアスは元来人見知りの激しい性質だ。
会ったばかりの相手にこうも語るなどどうした
事だろう、と自身でも自身を不思議に感じていた。
当初はさながら永き眠りについていたが如く
まるで気配の無かった女店主も負けじと闊達化。
「はいはい、仰せの通りよね。
そんな事は百も承知よ。
道具屋舐めてんじゃないわよ」
ビシリとサイアスに指突きつけた。
「香や布屋さんでは」
「道具屋扱いしといてよく言うわ」
「確かに酷い言い草ですね」
サイアスは仄かに笑んで誤魔化した。
「そうやってスマイルで誤魔化すか。
中々いい根性してるわねこの子」
苛つくというよりはむしろ感嘆した風情で
顎に手指を添え、小首を傾げ思案げに
サイアスを見やる女店主。
「まぁ表象は本質の投影に過ぎないわ。
現世で象る姿というのは創意工夫で
如何様にも出来るものよ。
出来栄えが本質を超える事はないけれど」
こちらも初対面の客には不適切な
辻占いの如き謎めいた言葉を発した。
「『けしょう』の話ですか?」
とサイアス。
「字面によってはブッ飛ばす」
「料理は食材が命という事ですね」
ブッ飛ばされたくないので即言い直した。
「そういう事よ。そして料理は錬金術に同じ。
……気付いていたのかも知れないけれど、
私の本業は錬金術師よ。
つまり染料や香料の調合は
趣味と実益を兼ねているわけ」
「そうですか。
それでお願いできますか?」
頗るそっけなく事務的に問うサイアス。
「あらあら、なかなかつれない態度ね。
無理にでも振り向かせたくなっちゃうわ……
そうね、期日はあるのかしら」
「城砦からの連絡は四日後以降と聞いています」
アウクシリウムから城砦までは、輸送部隊の足で二日。
ベオルクが返書をしたためて、それを携えた部隊が
街に到着するのに二日。概ね妥当な数字であった。
「……強度の調整に時間は必要だけれど、
練成自体は十分間に合うわ。それで?
御代の方は払えるのかしら?」
「これで足りますか?」
サイアスは小粒銀の詰まった皮袋を一つ
差し出し、女店主はこめかみを押さえた。
「はぁ…… そうよね。田舎の子が
大金もってる方がおかしいし。
お金はいいわ。
準備品の買出しに使いなさい。
代わりに調合を手伝って貰うわよ。
触媒を磨り潰すのって
とっても力が要るのよ。
か弱い私には酷な仕事なの」
女店主には知る由もないことだが、
サイアスは田舎の子ながら大金を有していた。
持ち合わせていなかったのは金銭感覚であった。
持参した皮袋3つ。そのそれぞれの中身と貨幣
としての価値を、まるで気にしていなかったのだ。
そして偶々バザーで開いた皮袋には銅が。
詰め所で手渡した皮袋には金が入っていた。
サイアスが詰め所の兵士に渡した謝礼はつまり
「幾許か」ではなく「莫大な」だったのだ。
兵士らの対応もむべなるかな。
蓋しそういうことであった。
とまれそれから四日間
サイアスは宿と店とを往復しつつ
城砦からの連絡を待つことになった。
本話併載のイラストは
Yunika様の2018年の著作物であり、
本著作の諸権利はIzが有しております。
無断転載、二次配布、加工等は禁止いたします。