サイアスの千日物語 三十日目 その三十
「ふー、遊んでたらなんだかどっと疲れたわ」
デレクが伸びをしながらそう言った。
「それはこっちのセリフです」
サイアスは溜息混じりにそう漏らした。
「んじゃ、一足先に帰るかー。帰って風呂って飯って寝るべ」
そう促すデレクであったが、
「待てよデレク。俺らは馬にゃ乗れないぜ」
と兵士の一人が慌てて言った。
「なんでよ? 上に乗っかりゃそれで良いんだぞー」
デレクはさも不思議そうに問い返した。
「振り落とされたらどーすんだよ。なぁ?」
と兵士はもう一人の兵士やサイアスに同意を求めた。
二人はうんうんと頷いた。
「それは落ちるヤツが悪い」
デレクの返事はそっけない。
「ちょっ」
兵士が何か言い返すより早く、
「てのは半分冗談だけど。
まーぶっちゃけ、馬の方がお前らより遥かに訓練積んでるから。
そうそう無茶な動きはしないって。軍馬舐めんなよー?」
「そ、そうっすか……」
「うむ。お馬様とお呼びして、有難く乗せていただいとけー」
デレクはそう言って笑い、自分の乗ってきた馬と、
さらに三頭を見繕って連れてきた。既に鞍や鐙が取り付けられており、
すぐにでも出立できる装いだった。
サイアスは軍馬たちを興味深げに観察した。
人の足を上回るごつごつとした肢を持ち、
足首から下はふさふさした毛で覆われていた。
胴は大盾よりなお大きく、首は人の胴ほどもある。そして目が
デレクと同程度の高さにあり、サイアスを下に見下ろしていた。
総じて、村で用いていた農耕馬より一回り以上大きいものの、
体型や動きは然程変わりはない様だ、とサイアスは感じた。
「このでかいのは俺専用な。こっちの黒い二頭はお前ら。
サイアスはそっちの白いのな。歌姫っぽくていいだろー?」
「なんとでも言えー」
サイアスはデレクの口調を真似てみた。兵士たちが噴き出した。
サイアスは自分にあてがわれた馬へ近づいていった。
その馬は他3頭と馬種が違うのかやや小振りで細く、
色味は白というより灰色に近かった。
全身灰色の毛並みに混じって白い毛が紋様のように浮き出ており、
遠目にはまさに白銀色といった風情だった。
サイアスは暫し馬を無言で見つめ、
白馬もまた、暫しサイアスを無言で見つめ返した。
「え、何。お前らどういう関係?」
兵士たちが興味半分、面白半分に声をかけてきたが、
それを無視してさらに見つめあい、
やがて腰の袋から赤い実を多量に取り出し、
サレットを皿代わりにして白馬の前に突き出した。
白馬はそれを見つめ、サイアスを見つめ、サイアスが頷くと
サレットに首を突っ込み、あっという間に平らげてしまった。
余程美味であったのか、馬は大変満足した様子でサイアスに
顔をこすり付け、早く乗れとばかりに向きを変え鞍を近づけた。
「おー。餌付けしおった」
「ず、ずるいぞお前」
「汚いなさすが歌姫汚い」
などと喚くデレクたちをよそに、サイアスは鞍に手をかけ、鐙に
足を通してひょいと跳び上がった。
途端、サイアスの眼前には新たな世界が広がった。
今まで眺めていた様々の景色が、一段低い位置で色あせていた。
「おー」
サイアスは知らず感嘆の声を漏らし、
それを聞いた白馬が応えるかのように嘶いた。
白馬はその場で足踏みするように左右の足を踏み鳴らし、
サイアスは愉快気に笑い、鼻歌を歌いだした。
「ピアッフェやっとる……」
デレクは信じられないと言った表情でそれを眺めた。
ピアッフェとは馬の歩法の一つで、前進せずその場で足踏みをする
動作のことだ。訓練された馬にしかできない動作であり、
またこれを命ずるには騎手の熟練が必須とされていた。
白馬はピアッフェをおこない、後肢を軸にくるりと回る動作、
ピルーエットをおこなって、サイアスと遊んでいるようだった。
「……とりあえず、こいつは落馬しなさそうだ……
よし、お前らもさっさと乗っちまえ。帰るぞー」
「お、おぅ」
デレクに促されて2名の兵士も馬に乗った。軍馬たちは人を乗せ、
命令されて走ることに慣れているせいか、唯々諾々といった体だ。
「手綱は基本、使わんでいいぞー。
それは安全装置みたいなもんだ。まぁ、馬に任せて適当に進めー」
「おー」
サイアスは楽しげに返事した。
「おい、なんか性格変わってんぞサイアス」
そういう兵士に対して、
「気にすんなー」
と、サイアスとデレクが異口同音に言った。4人は顔を見合わせ大笑いした。
激戦の果てゆえか疲労の極みゆえか、どうにも色々おかしくて仕方がなく、
一向は楽しげに笑いながら、中央城砦へと戻っていった。




