サイアスの千日物語 三十日目 その二十三
光沢を伴った白い狼煙が、ゆるやかに空へと昇ってゆく。
朝から昼へと向かう初夏間近の青空に一際明るい筋を描いて、
狼煙は各地から趨勢を伺っていた者たちの目に、人の勝利を伝えていた。
第四戦隊副長にして城砦騎士ベオルクは、
供回り9騎と城砦を超えて南下し、丘陵地帯へと駒を進めていた。
先日の輸送部隊襲撃の最後に
地響きのような音が聞こえてきたとされる現場だ。
ベオルクは今回の北往路における眷属の群れの一計も、
先日と同じ魔の手管によるものだと目星を付けていた。
羽牙との戦闘後に魔剣が語った内容を受け、目星は確信へと変わり、
件の魔が罠を張って潜伏している可能性の高い
丘陵地帯へと出向いたのだった。
丘陵地帯は荒野の南方に聳え立つ断崖絶壁が数段低くなって
北方へ突出した地勢であり、俯瞰すれば北を上底とした台形をしていた。
東西から見た場合は丁度棚か階段のように見えなくもないこの丘陵は、
中央城砦よりやや大きい程度の幅を以って荒野に威容を曝していた。
かつては中央城砦建造の候補地に上がったこともあり、
平地に比べ格段に設営や維持が困難なことを除けば、
高い戦略的価値を持つ天然の要害だったのだ。
丘陵北部の各地には傾斜の緩やかな箇所があり、
多少の困難は伴うものの上部への登攀が可能であった。
ベオルクはそうした登攀口の一つに騎馬の一隊を視認し、
部下と共にそちらへと接近していった。
その一隊の周囲には槍と大盾を利用した簡便な防柵が組まれており、
防柵の内側には10頭の軍馬と5名の兵士が待機し、周囲を警戒していた。
ベオルクと部下が近づくと、中から一人の兵士が飛び出して敬礼した。
「これはベオルク様。我らは第二戦隊長の供回りで御座います」
兵士はすこぶる丁寧な口調で挨拶をした。
「ほう。閣下はどちらかな」
ベオルクは部下を手を振ってとどめ、馬から降りつつそう尋ねた。
「ハッ。奥の登攀口から数名を伴って視察に向かわれました」
「ふむ」
「もしもベオルク様がお越しであれば、
お通しするようにと伺っております」
「フフ。敵わんな」
ベオルクはヒゲを撫でつつ苦笑し、部下へと振り返った。
「2名、私と来い。他は待機だ」
ベオルクが登攀路を進んでいくと、頂上である丘陵の大棚に程近い岩場に
3名の兵士と銀と緋色のラメラーに身を包んだ騎士がいた。
ラメラーとは同一形状に整えられた多量の金属片や皮革を繋ぎ合わせて
構築された鎧で、スケイルメイルと異なり縫い付けるための布地を持たず、
外殻そのもので自身の構造を保っていた。構造上は鎖帷子に近いが
製作工程の複雑さや柔軟性はより高く、鎖帷子が苦手とする刺突にも
十分な効果を持っており、何より成形の自由度が高く見栄えが良かった。
この騎士のラメラーは外套と胴鎧、腰当や草摺までを包む巧緻な品であり、
鈍色の小札を黒と緋色の革や糸が繋ぎとめ、豊かな光彩を発していた。
「ローディス閣下。こちらでしたか」
ベオルクはラメラーの騎士に会釈して声をかけた。
「来たかベオルク。とりあえず閣下は止せ。お前も同格だろうが」
ローディスと呼ばれた男は苦笑しつつ答えた。
「なんの。私はただの戦隊長代行で、称号も城砦騎士に過ぎません」
「クク、まぁそういうことにしておこうか。
騎士長の称号だけは、遠からず受領して貰うがな」
「……それはまた後ほど。どうしてこちらにお出でで?」
ローディスは腰の剣に手をやって答えた。
「お前と同じさ。剣が騒いでな」
黒地に銀と青の装飾が施された拵えを持つその剣には、
楔形の切れ込みの入った鞘から露出した、刃の根元に象嵌された
琥珀色の宝石を輝かせていた。琥珀色の宝石は内部に光の筋を持ち、
陽光を受けて瞬きするかのように煌いていた。
「成程。因果なものですな」
とベオルクは頷き、
「まったくだ。まぁ役には立っている」
とローディスも頷いた。
「上はどうなっておりますか」
ベオルクは前方の傾斜の向こうを仰ぐように尋ねた。
「今マナサが行っている。じきに戻るだろう」
その言葉に呼ばれたようにして、
岩陰から滲み出すように一人の女性が現われた。
丈の短い薄手の装束に影色のケープを纏っただけの軽装だ。
「……お待たせを」
「噂をすれば影、だな。どうだった」
ローディスは薄く笑って問うた。城砦騎士マナサは目深なフードの
下で赤く際立つその唇を肯定とも否定ともつかぬ風に歪め、
ローディスの隣のベオルクに一礼すると
「詳細に語ると、とても長くなる。一言で済ませて良いかしら」
と声を発し、
「クク。構わん。言ってみろ」
ローディスがそれに笑ってこたえた。マナサは頷くと、こう告げた。
「魔が、砦を築こうとしているわ」




