サイアスの千日物語 二十日目
いよいよ出立の朝がやってきた。
村の北東にある、街道の支道へと続く門前には
200を超す村人のその全てが彼らの戴く
未だ若き領主サイアスの旅立ちを見送りにきていた。
「いいかサイアス、絶対に死ぬな。
無理だと思ったら帰ってこい。
まだまだ時間はあるんだ」
親族の一人がそう言った。
今すぐにでも自分が代わりとなりたい、
そんな表情がありありと表れていた。
「そうだとも。
俺らだって鍛えりゃそれなりになるし、
村だってもっと大きくなるんだからな」
父の配下の縁者である初老の男性が嘯いた。
「まだこんな若いのに、
こんな細っこいのによぅ……」
「一人で背負いこむな、つっても無理か……」
「とにかく死ぬな!
絶対無事に帰って来い!」
村人たちは口々に、或いは
涙混じりでサイアスに声を掛けた。
当主の子として所領を継いだとは言えど未だ
20にも満たない、人一倍華奢な少年が。
村を、自分たちを守るために唯一人、
魔の住まう彼方の戦地へ赴こうというのだ。
村人たちは言葉にできぬ想いに
打ちひしがれていた。
サイアスはそうした様を見つめ
微かに笑み、努めて明るく言葉を交わした。
思えば時期当主として、常に陰に日向に
支えられてきた。サイアスは感謝を胸に
決意を新たにするのだった。
「本当に、無理はしないでね……
約束して頂戴」
ここ数日は母グラティアも随分落ち着いた。
怒り嘆き、取り乱しもしたが、
今は諦めの境地なのかもしれない。
「勿論です、母さん」
サイアスは母に笑顔で頷いた。
その儚げな笑顔に
グラティアは瞳を潤ませ、目を伏せた。
「坊ちゃま、今からでも私が代わりに」
「駄目だよアルミナ。母さんや伯父さんは
アルミナがいないと何も出来ないんだから。
これからも面倒をみてやって。お願いだよ」
「うぅ、坊ちゃま……」
ボロボロと涙を流してサイアスの手を握る
乳母でもあった家宰アルミナにサイアスは
穏やかな口調で微笑み応え、次いで周囲の
悲嘆を他所に、意外な程の落ち着きを見せる
伯父グラドゥスへと向き直った。
「伯父さん。母と村を頼みます。
勿論アルミナのことも、アンバーもね。
……あと、さっさと結婚してくださいね」
「お前ぇはどーしてそう一言余計なんだ。
俺に対してだけ」
どこか含みのあるサイアスの物言いに、
グラドゥスは深い深いため息をついた。
「いい加減にしねぇと泣きじゃくるぞ」
「げぇ、勘弁しろよ」
「五十路オヤジの小汚ぇ泣きっ面なんか
見たくねえぞ」
「やかましい! まだ四十八だ!」
村人とグラドゥスは罵りあい、笑っていた。
ライナスの訃報以来消沈しきっていたが、
この村本来の雰囲気とはこういうものだった。
「おぅサイアス、くれぐれも
ライナスのマネだけはするんじゃねぇぞ」
グラドゥスはサイアスに諭すように言った。
「アイツとお前は違う。
お前はお前のやり方でいいんだ」
グラドゥスはなおも語って聞かせる。
「体格とか特にな……
あいつは岩みたいにゴツかったが、
お前は母親似だ。どっからどう見ても
いいトコのお姫様だぜ」
苦笑してそう言い、
「まぁ女にゃあモテるんだろうけどな。
見ろ。娘っこどもが泣きじゃくってるぜ」
肩を竦めつつ顎で示したその先では、
村娘たちが人目も憚らず大泣きしていた。
他の村人に対するのと同様に、サイアスは
感謝の念を胸に刻んだ。必ず騎士となり皆を守ると。
「そうそう。
城砦にも女はいるが、気を付けろ……
下手すりゃ魔よりおっかねぇぞ」
元城砦騎士であるグラドゥスは
思い出したようにそんなことを言った。
サイアスは怪訝に思い聞き返そうとした。
が、グラドゥスはそれを制した。
「ま、それも楽しみとして取っとけ。
とにかく達者でな」
特にこだわることはなく、頃合とみた
サイアスは村の門をくぐり、村の方へと振り返った。
いよいよ出立、そうなると
うまく言葉が出てこなくなった。
見慣れた景色
住み慣れた村
見知った顔。
愛しき全てに別れ告げて、向かうは彼方の激戦地。
荒野に住まう魔の脅威から人の住まう平原を護る
西域守護城砦が一城、中央城砦「人智の境界」。
そこに向かった者の大半は数年と持たず屍と化す、
人魔の戦いの最前線。陸の孤島、悪夢の死地。
割り切ったはず。
決意したはずだったのに。
村人たちはただ静かにサイアスの言葉を待ち、
暫しの後、漸くサイアスは口を開いた。
「皆、本当にありがとう。
いつか、きっと」
それだけいうサイアスは
目を伏せ再び口をつぐんだ。
見守る人々のすすり泣く声がきこえ、
滲んだ眼差しが降り注ぐようだった。
ともすれば縋りたくなるそれらを振り切り
サイアスは毅然とした眼差しを西方へ。
眼差しの遥か彼方では荒野の死地が。
人魔の大戦の最前線、西域守護中央城砦が。
人智の境界がサイアスを待っている。
折りしも昇り来る朝日を浴びて
決意一つ、覚悟一つを供にして。
自らを包む全てのぬくもりに背を向けて
サイアスは振り返ることなく歩きだした。
本話掲載のイラストは
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