サイアスの千日物語 三十日目 その十六
大ヒルによる再度の奇襲を受けた際、
実はサイアスは誰よりも早く動き出していた。
もっともそれはアッシュの叫びに反応したからでも、
デレクらのように水面の持ち上がる音に反応したからでもなかった。
全く別の理由で先走ったのだ。
色違いの魚人三体を始末し、
デレクや兵士たちが雑談しつつ屍の検分をしていた折、
サイアスはデレクに説明された「サイアス流」とでもいうべき
戦闘の手法を反芻し、もの想いに耽っていた。
そして何気なく南を見やり、次いで東へと顔を向けた先に
4つの人の屍を発見し、そちらに釘付けになってしまったのだ。
サイアスの目に浮かぶのは、恐怖や哀しみ、怒りといった
人らしい感情ではなかった。いうなればそれは好奇心や猜疑心、
不信感の類であり、サイアスは4つの屍に向かって歩を進めつつ、
漠然とした違和感に首を傾げていた。何か、どこかがおかしい、と。
4つの屍のうち3つは、川と往路がやや狭くなり北西へと曲る辺り、
丁度城砦から見て二つ目の狼煙の少し東辺りにあった。
それら3つは南に広がる湿原のすぐ手前に、北を向いて
うつ伏せになって倒れており、いずれも頭部が欠けていた。
羽牙に背後から喰いちぎられたのだろう。
サイアスは先ほどの戦闘で自分もそうなりかけたことを思い出し、
顔をしかめた。だが、これらの屍は荒野の基準でいえば
「健全」なものだった。別の表現でいえば、「判り易い」屍だ。
一方それらから離れた位置にあるもう一つの屍は、
どうにも不自然な印象を受けた。その屍は二つ目の狼煙のやや手前、
往路のほぼ中央にぽつりとあった。屍の西側には無数の金属や木の破片が
散らばっており、地面に引きずったような後もある。
察するにもっと西側から吹き飛ばされたのではないか。
サイアスはそう思いつつさらに足早に近づいた。
間近まで迫ったとき、サイアスは遂に違和感の正体に気付いた。
この屍は、どこも部位が欠けていない、と。
魔や眷属とやりあって、欠けも喰われもしない屍など、
決してあろうはずはないのだ。
その屍は西に鎧と盾の破片を撒き散らし、突っ伏すように転がっていた。
左腕の損傷が酷く、赤黒く変色して間接の無い部位で捻じ曲がり、
ぐにゃりと身体に巻きつくようにして下敷きになっていた。
右腕は左腕に比べればマシだがやはり折れ曲がっており、
二の腕に盾の残滓と思われるベルトと基部がへばりつき、
指は取っ手を握り締めたままだった。
全体として、両の腕のみが突出して痛みきっていた。
他の部位は血と土で汚れ、部分的な、軽微な損傷はあるものの
ほぼ無事であり、頭部は完全に健在で、
近くに半ば割れたサレットが転がっていた。
そして血と泥に塗れてはいるが
長い髪が陽光を受けて黄金色に輝いており、
わずかにのぞく首の細さからして女性であるように思われた。
サイアスは腰の革袋から治療用の白布を取り出し、くるりと丸めた。
そして腕を気遣いながらそっと屍を裏返し、丸めた布を枕代わりとした。
仰向けにしてみるとどうやら女性で間違いなく、
サイアスは別の布で軽く顔や首、肩の泥を落とし、
首筋、次いで口元に手を当てた。
微弱ではあるが脈はある。
そして口元からは微かに呼気が漏れている。
まだ生きている。サイアスはそう確信し、叫んだ。生きてます、と。




