サイアスの千日物語 四十八日目 その四
背後に続くギェナーを携えたデネブに怯えつつ
男衆が居室を発った後、サイアスは深刻な表情で
ブツブツ呟き、或いは懊悩していた。
「……何? どうしたの?」
訝しげに問うニティヤに対し、サイアスは
「いや…… 真ん中の小袋は
私への下賜品らしいのだけれど。
シェドのものと同様、異名に対する宝飾品でね。
書面には『将と兵、二つの輝きを宿す者』
と書いてあるんだ。それで何の石かな、と」
と首を捻りつつそう答えた。
「謎掛けなんだ? そういうの、
セラエノ閣下が好きそうね……」
歴とした一個の宝物である風花流鳥蒔絵文箱の蓋を
手にとって、うっとりと眺めつつロイエがそう述べた。
「先日司令室で、呼称を兵団長に変える話が出た際
じゃあ石ください、ってお願いしたんだよ。
だから閣下の謎掛けで間違いないと思う。
ただ、文面の意味する石がね……
勿論心当たりはあるのだけれど、まさか、ねぇ……」
サイアスは小袋を卓に置き、
顎に手指を添えて思索に耽っていた。
「アレキサンドライトね。
私も実物を見たことはないわ。
大抵の石なら見知っているのだけれど」
ニティヤの生家は宝石商であり、二度目の両親である
領主夫妻も多数の輝石や宝飾品を所蔵していた。
だがそうした中にもアレキサンドライトは存在しなかった。
アレキサンドライトは極めて希少な輝石として、
ただその名前だけが広く知れ渡っていたのだった。
「そうだよね。私も書物で名前だけ知っている。
うぅん、どうなんだろう……」
サイアスはニティヤに頷くも、
未だ小袋に手を付けずにいた。
「さっさと開ければいいじゃない!
あんたにしては珍しいわね」
サイアスの様子を面白がったロイエが
蒔絵文箱の蓋をそっと卓においてそう言った。
「駄目だ。もっと粘らないと感動が薄れる。
このもどかしい間が良いんじゃないか」
何をいう。判ってないな、とでも言いたげに
サイアスはゆっくりと首を振った。
「……はぁ?」
「こと石の事になると、ちょっと変なのよ。
まぁそっとしておきましょう」
常とはまるで異なるサイアスに
ロイエはすっかり呆れ返り、
ニティヤは苦笑しつつそれを宥めた。
「よし、私は覚悟を決めた。
開けてみる。 ……開けてみるからね?」
「はいはい」
暫しの後、意を決しそう宣告するサイアスに
ニティヤは微笑してそう応じた。
ロイエはため息をついて首を振り、ベリルは
緑の瞳を見開いて不思議そうにサイアスを見つめていた。
そしてサイアスは慎重に小袋を手にし、そっと中身を取り出した。
「ぅ、ぅわっ、ほ、本当にアレキサンドライトだ……
しかもこんなに大きい、というかこれは……」
「アレキサンドライトの認識票ね」
サイアスは唖然として言葉を失い、
ニティヤは紫掛かったその瞳に眼前の眩い煌きを映した。
サイアスが両の掌で大事そうに抱えるそれは、
城砦兵士や騎士の身につける認識票だった。
通常の認識票は両手の親指を並べた程度の大きさの
青み掛かった薄い正方形の金属板の内部を円形にくりぬき、
そこに上下左右に頂点を持つ正方形の別のプレートを
内接させ、内接の空隙と内側の正方形をそれぞれ城砦の
内郭や本城と見立て、俯瞰して営舎のある部位の空隙に
色で階級を示す石を嵌め込んだ、手の込んだ意匠の宝飾品であった。
一方今サイアスの手の内にあるこの認識票は、
外郭を示す外側の正方形が金で縁取られた
白金のプレートで出来ていた。そして内接する正方形は
プレートではなく巧緻かつ精緻なカットの施された
特大のアレキサンドライトの多面体そのものであり、
応接室を照らし出すランプの灯りを受けて
豊かな赤紫の光芒を放っていた。
太陽光の下では深緑色に。炎の灯りの下では赤紫色に。
1つの身に2つの異なる輝きを秘めた瞳程の大きさはあろうか
というアレキサンドライトは、その身から無数の光芒を放射し
見守る者たちの容貌を染め上げていた。
「うわー、綺麗……」
時折揺れる灯りの加減を如実に反映しゆらゆらと濃淡に
色合いを変じ燦然と留まるその光石に、ベリルは
うっとりとした声を出した。
「『宝物庫から飛び切りのを掠めてくる』
とは言っていたけれど、これは流石に飛び切り過ぎだ。
小指の爪程の大きさですら国一つより価値があると
言われているのに、これは小指の先を合わせたよりも大きいね……
というかこんな至宝があるなんて、ここの宝物庫って
どうなってるんだろう。何とかして潜り込めないものか……」
アレキサンドライトの余りの存在感に眩暈すら覚えつつ、
サイアスは何やら物騒なことを考え始めた。
「ちょっと覗いてこようかしら」
おかしげにそう言うニティヤに
「駄目。私より先に見るの禁止」
とサイアスが駄目出しし、
「なんだこのお子様……」
とやや素に戻ったロイエがお手上げの様子を示した。
「とにかく、素晴らしいものを頂いた。
もっと素晴らしいものを得るべく頑張ろう」
志も新たに何度も頷くサイアスに
「はいはい」
とニティヤは相槌を打ち、
ディードと顔を見合わせ苦笑していた。
「最後の小袋は兵団長の印章が入った指輪だね。
白金製かな? 印章のないものも5つある。
内側に皆の名前が彫ってあるね」
ややあって漸く正気に戻ったサイアスは
そそくさとアレキサンドライトの認識票を
首に掛けてしまいこみ、そう述べた。
「おー」
指輪と聞いて女衆は感嘆の声を上げ、
サイアスは一人一人の指に手ずから指輪を嵌めてやった。
どうやって調べたものか、兵団長の指輪を含め全て
各人の指サイズに寸分違わず合っており、
無駄な飾りのない純粋な輝きを宿す5つの指輪は
何年もそこにあったかのように各人の指に馴染んでいた。
「デネブの分は首から提げられるようにするか」
「私に任せて頂戴。すぐに済ませるわ」
サイアスからデネブの分の指輪を受け取ると、
ニティヤがご機嫌で下げ紐の用意に取り掛かった。




