サイアスの千日物語 四十八日目 その三
「あぁそういえば。昨日の綺麗な箱、
まだ中身を確かめていなかったね」
その後も大湿原や任務について話し、
かつ頻繁に脱線しながらすっかり話し込んでいた
サイアスは、ふと思い出したようにそう言った。
「色々あり過ぎてすっかり忘れていたわ。
中身は何かしらね……」
流れにあわせてデネブが卓上に置いた
蒔絵の施された漆塗りの箱を、サイアスの
右隣の席からニティヤが興味深げに眺め、呟いた。
「おー、すっげぇ綺麗な箱だな」
「箱は私が貰うからね!」
シェドやロイエが所見を述べる中、
一個の美事な工芸品である箱を
満足げに眺めていたサイアスは
「はいはい。では開けるね」
と適当に相槌を打ちつつ箱を封じる紐を解いた。
金地で草花や舞い遊ぶ鳥の蒔絵が施された
豊かで艶やかな黒色をしたその箱の上蓋を開けると、
まずは書状が一通置かれ、その下には光沢のある
滑らかな布地の拳大の小袋が3つ並べられていた。
箱の内部は二段重ねになっており、小袋ごと上棚を取り出して
脇に置くと、その下からはそっとゆるやかに折り畳まれた
蒼天色の布地が出てきた。
「ふむ、この書状は目録か。どれどれ……」
一家や小隊の面々が
すっかり興味津々となって見やる中、
「これらはすべて贈呈品のようだね。
まず箱は『風花流鳥蒔絵文箱』といって、
二戦隊長ローディス閣下からの下賜品。
退路の防衛戦で配下を全員生還させたことへの
個人的なお礼なのだそうな」
とサイアスは説明した。
「箱そのものが宝物なのね……
この箱は皆を一人も死なせずに守り抜いた
サイアスの活躍への暗喩ではないかしら」
「成程…… 流石は姫。
御美事なる見立てです」
ニティヤが仄かに笑んで述べる内容に
ディードは大いに賛同してみせた。
「まぁ。貴方も既にサイアスの妻。
私と同格なのだから、姫だなんて呼ばなくていいのよ?」
ニティヤはディードに柔らかな眼差しを向け、
「いえ、それでも貴方は我が姫君です」
とディードもまた仄かに笑んで
忠節と敬意を示していた。
「また嫁が増えてる、だと……」
「止せ、深入りすんじゃねぇ」
世の理不尽と不条理とを痛感し、持たざる者の哀しみを背負って
プルプルと震え戦慄くシェドを、厄介事は御免蒙る
とばかりにラーズが止めた。
「なんだかちょっとだけ箱を貰い難くなったけど……
私はあんたのものなんだから、あんたのモノは私のモノ。
そういうことで良いのよね」
眉根を寄せてそういうロイエに
「それで結構。後ほどお納めいただこう」
とサイアスは苦笑し、
「やった!」
と叫んでロイエの機嫌がよくなった。
「シェド、この小袋は君へだよ」
「ぅぇ!? 俺っちか?」
サイアスの差し出す小袋を受け取ったシェドは
早速中身を取り出した。そこには親指程の大きさをした
金銀の細工で縁取りの施された、淡く明るい緑色をした石
で出来た羽の飾りが入っていた。淡く明るいその石には
水面の波紋か年輪かといった同心円状の紋様が浮き出ており、
フェルモリアで稀に見られる鳥、孔雀の羽の
美々しく輝く様に似ていた。
「おー……
宝石で出来た、羽根?」
シェドは訳が判らぬといった風に、
手にした宝飾品とサイアスを交互に見た。
「それは騎士団上層部からだね。
二戦隊のローディス閣下が先日の活躍に対し
命名した異名『韋駄天のシェド』をあらわす宝飾品だね。
認識票の下に提げるように取り付けるといい。
それは彫金された孔雀石の羽根飾り。
詳しくは知らないのだけれど、韋駄天という
足の速い神様がいて、孔雀という鳥に乗るのだそうな。
そうした伝承に基づいた逸品だね。作者はスターペス様。
資材部の長で著名な彫金師の方だよ」
「韋駄天のシェド……」
シェドは自身に付けられた異名を反芻した。
既にちらほらと噂では聞いていたが、改めてこうして
示されたことで、シェドは強い感動を覚えていた。
「韋駄天はスカンダデーバーの音写です。
俊足を誇る神格で、孔雀に騎乗したと伝わります」
かつて神話伝承の本職であったディードは
淀みなくそのように補足した。
「スカンダは聞いたことあるかもしれん!
そうか…… つまり、俺っちは神か!!」
シェドは大いに浮かれはしゃぎ出した。
その不遜ながらも愉快な様をクスリと笑んで
眺めるサイアスは
「なお表の異名の成立に伴い、
裏の異名も公式のものとする、とのこと。
確か『ぬめぬめフラれ饅頭ガニ』だっけ」
との追加情報を発し、
「ぬ、ぬめぬめちゃうわ!
キモい方向にパワーアップさすな!」
とシェドはずっこけつつ大いに否定した。
「やっぱりオチは付くんだね。
流石は剣聖閣下、判っていらっしゃる……」
腕組みしてうんうんと頷くランド。
シェドを除く一同は暫し共に笑いあった。
と、その時サイアスの居室の扉がノックされ
「サイアス、工房から荷物が届いてるぞ。
結構な大箱だ。一人で運ぶのはちと厳しいかもなぁ。
武器庫入ってすぐのとこにおいてあるからなー」
と兵士がひょいと顔を覗かせた。
「了解です。有難うございます」
サイアスの返答に兵士は笑顔で手を振り、
すぐに引っ込んだ。
「大箱、ねぇ……」
何かを勘付いたらしいロイエがそう呟き、
「ひ、ヒィッ!?」
と思わずシェドが悲鳴を上げた。
「……」
その様をロイエはじっとりと凝視し、
「あ、じゃあ僕が引き取ってくるね!」
「おぉ、んじゃ俺もいくかな……」
「俺っちも!」
と男衆がそそくさと退室しようとするところに
「……アンタら、勝手に開封すんじゃないわよ!」
とピシャリと言い放った。
「!?」
そして男衆が硬直する中
「デネブ、見張りお願い。
おかしなマネしたら即始末して」
とデネブに声を掛け、
デネブは頷いてギェナーを手にした。
「う、うぉっ!」
「し、信用ねぇな……」
明確に動揺しうろたえる男衆は
デネブがギェナーの石突でトン、と床を叩くと
ビクリと跳ねて、全力で挙動不審を演出していた。
そしてサイアスが涼しい顔で茶を喫し
女衆が一様にジト目で見守る中、
男衆3名とデネブは詰め所へと向かった。




