サイアスの千日物語 四十八日目 その二
「大湿原に架橋、か……
僕たちは城砦にくる際横目で眺めただけなんだけど、
あれって相当大きいよね?」
もう随分と前のことのように
ランドは遠い目をして思い出していた。
現在居室にいる面々のうちサイアスとディードを除く
7名は、およそ20日前のトリクティア機動大隊率いる
人員輸送部隊の列にあり、補充兵または志願兵として
城砦へと到着していたのだった。
もっともサイアスとてその僅か数日前の入砦であり、
大湿原について十分な知識を有しているとは言えなかった。
そこでサイアスはディードを見やって説明を求め、
「大湿原は東西に概ね…… そう、10000オッピ。
南北に5000オッピ程の、横長の湿地帯ですね。
外縁部には毒沼や潅木、泥炭地が散在し、内域については
未踏査となっていたはずです。通常の陸生眷属には移動困難な
不浄の地であるために、空を飛ぶ羽牙がその根城としています。
また、この大湿原が平原との境にあることと、大湿原の南北に
それぞれ河川や断崖が存在することで天然の隘路が形成されており、
荒野の奥地から平原への侵攻を困難なものとしています」
とディードが自らの知るところを語った。
「ほぅ…… するとこの位置に城砦があるってのは」
ラーズが片眉を上げ口元に笑みを浮かべてそう問うと
「そうですね。隘路の西口手前にあって
魔軍の侵攻を抑止するのが主目的です」
とディードが頷いてみせた。
「隘路の出口をふさいでるわけじゃねぇけど、
抑止効果なんてあるんスか?」
シェドはディードを見やり、
首をカクリと傾げて尋ねた。
「えぇ。ここに手ごろな餌箱があれば
わざわざ細道を通って平原まで出張ろうとは
考えないようですから」
ディードは笑い出したくなるのをぐっと堪え、
平静を保ってそう答えた。
「え、餌箱ぉ?」
シェドは素っ頓狂な声を上げ、
「中央城砦が荒野に突出して在るのはそのためだよ。
当騎士団の最大の役目は囮なのさ。この陸の孤島で
我々が粘っている限り、遠路はるばる平原まで
眷属が出向くこともないから」
サイアスがこともなげにそう補足し、
「い、今とんでもねぇこと言ったぞこいつ……」
とシェドが呻いた。
「ん? そう?」
「ん? そう? じゃねぇよ!
囮って俺ら危ないやん! 死ぬやん!」
サイアスはさらりとそう述べ、
シェドは声高に異議を申し立てた。
「見ての通りピンピンしているけれど」
「お前は参考にならんわぃ……
はぁ、俺っちも薄々おかしいとは思ってたんだよなー
なんでこんな辺鄙なとこにあるんだっつーのと、
やけに城壁低くね? ってさ」
城砦の外周を取り巻く防壁の高さは概ね4オッピ。
平原の城郭の有する一般的なそれと大差ないものであり、
人より大きく強大な魔や眷族を防ぐには
けして高いとはいえなかった。
「城壁があまりに高すぎると、連中諦めて
平原に行ってしまうからね。ギリギリ超えられない
高さに調整されているそうな」
「そんなチラリズム要らねぇよぅ!」
サイアスはなおも淡々と語り、
シェドはひとり、興奮していた。
寝不足の頭にキャンキャンと響く声に
いい加減イラっときたロイエは
「あぁもぅうっさいわ!
いちいちビビってんじゃないわよ!
これだからお坊ちゃんは……」
と咆え、
「覚悟が足りないです!」
とベリルもご立腹であった。
「ふぉっ!? べ、ベリルまで!?
染まっちまったのか。ぬぅぅ、戦闘民族共めぇ……」
現状ここに集う9名のうち、主体的に戦闘に参加した
経験がないのはシェドだけであった。もっともシェドは
敵地の中央を単騎駆け通して伝令を果たすという
比類なき活躍を見せていたのだが。
「うーん、お面の上からじゃ、黙らせるのは難しいね。
このとんがった口をふさげばいいのかな?」
ランドはシェドの頭を両側から掴み、
何とか発声を防げないかと模索していた。
「やめて! 死んじゃう!」
通気口を塞がれては堪らぬとシェドがもがいた。
「まぁ平原全体の生き死にが掛かってるからな。
騎士団一つで話が収まるんなら安いもんだろ。
そもそも囮だの殿だのは、基本有能で
信頼できるヤツにしか任せないんだぜ?
ヘタレにやらせてヘマ打たれたら、それこそ
目も当てられねぇからな」
ラーズはデネブに茶のおかわりを求めつつ
そのように語った。
「おぉ、んじゃ前回退路の死守を任されたのは」
「無論、我が君だからです」
シェドの問いにディードがしたりと得意げに頷いた。
「もともと特務隊内の特務隊だからね。
編成の時点であの役割は織り込み済みだよ。
まぁそうでなくとも、見せ場は余人に譲れないし」
サイアスはしれっとそう言い薄く笑った。
「だな。戦は目立ってなんぼだぜ」
ラーズは楽しげに、満足げに笑った。
「ただね、活躍し過ぎて準爵にされたのは
流石に想定外だった……」
サイアスは肩を竦めてそう良い、
実際の労苦を一身に背負う隣席のロイエの機嫌が
一気に悪くなったため、肩を揉んでごまかした。
「フフ。我が君には是非ともこのまま王道を
ひた走って頂きましょう。ともあれ、
城砦騎士団が西方諸国連合軍内において
独立した所領を有する一個の国家としての扱いを
受けているのは、重責への対価といったところでしょうか」
ロイエに再び捕縛され
抱きぐるみ扱いのサイアスに苦笑しつつ
ディードがそう語った。
「そうだろうね……
というか、城砦騎士団の戦略的役割については
訓練課程の講義でシェドも聴いていたはずだけど」
すっかり抱きぐるみ扱いに慣れた
家長のはずのサイアスはシェドにそう問うた。
「ぅむ? 聴いていた、ような、気がすると思、う……」
あの扱いは羨ましくねぇな、と内心納得しつつ、
シェドはキョロキョロと視線を泳がせた。
「まぁ城砦の意義や騎士団の責務については
そこまで気にする必要もないか。
そんなの知らなくても眷属と戦えるからね」
「お前ってさ……
なんかもの凄ぇ割り切り良いよな……
悟りきってるっつーか」
サイアスの有様とその発言に、
シェドはしみじみとした感想を述べた。
「『悩みは戦の後に』
城砦への道中、色々悩んでいた私に対し、
カエリア王立騎士団の長ラグナ様が
そう教えてくださったんだ。
……まぁ最近はさらに一歩進んで
『何でも良いから取り合えず斬れ』
と思うようになったけれど」
サイアスはどこか懐かしそうに
微笑み、そして頷いた。
「アカン、これやっぱりアカンやつや……」
シェドは左右に首をカクカクと振った。




