断章 再び古城にて その3
広大な平原の北西にして峻厳たる霊峰の南東、湖水地方。
星月の照らす大きな水面に茫洋と浮かぶ城館にて
危機的状況が発生し、そして回避されていた。
「いやはや、危ないところでしたな。
やはり奥の手は用意しておくものです」
自らの招いた危機を他人事のように論じて
貴人は肩を竦め嘯いた。
「何もかも全て貴方が悪いのだけれど、
『七色香魚の荒塩焼き』と大吟醸『上の空』を出されてしまっては
流石の私も慈母のごとく寛大にならざるを得ないわね」
メディナは夢見心地にして御感斜めならずだった。
「そうでしょう。そうでしょうとも。
この時期の七色香魚はまさに旬、香りも風味も格別です。
遠路遥々東方諸国の海辺より取り寄せた
荒磯の大粒塩で以て焼き上げた獲れたてのこいつを
卸したての蓼酢にチョイと付けて頂きますと
これが実に堪らない。そこに大吟醸の上の空がまた
実に小粋にまろやかな絡みを」
「やめて! また食べたくなっちゃう!」
「ハハハ、御安心を。
ほれこの通り、まだありますとも」
貴人が卓上にさっと手をかざすと、空いた皿や器が消え、
再び風味豊かな焼き立ての香魚と芳醇な美酒が現れた。
「なんてこと! この女ったらし!」
メディナは狂喜乱舞してさらなる美食に熱中した。
再び出された美食と銘酒を存分に堪能させ、
荒神と化していたメディナが膝乗り猫並みに
ゴロゴロと喉を鳴らしそうになったところで
「さてさて、そろそろ
彼の君の近況でも雑観いたしましょうか」
狂言回しのその裏できっちり仕事を仕上げていた
貴人がそのように切り出した。
「あらあらうふふ。
流石に如在が無いわね。ではお願いするわ」
来訪時の数倍は機嫌のよくなったメディナは
上品な笑みを浮かべてそう促した。
「畏まりました。それでは……
まず、平原の強国の一つが彼の後見についたようですな。
北のカエリア王国です。騎馬隊で構成される騎士団の精強さは
平原でも屈指。荒野ですら通用する水準にあります。
そのカエリア王国が王立騎士に叙勲した事もあって、
平原では徐々に彼の君の名が広まりつつあるようです」
「それはまた凄いわね」
「そうですな。
もっとも地理的に隔絶した荒野からわざわざ一兵士の名が
平原まで届くというのは、広報的な意図あっての事でしょう。
おそらくは情報戦略の一環かと。今の中央城砦には
なかなかの知恵者がおるようですな。
また、軍師の示す数値的な評価なぞ、一般人には無意味です。
よって尾ひれ端ひれとは言いませんが、広まる名とは
抽象的で英雄的な『異名』と呼ばれる尊称です。
こうした異名は常ならば絶対強者たる城砦騎士に付くのですが、
彼の君は未だそれに満たぬ兵士長であるにも関わらず
既に4つもの異名を得ているようですね。列挙しますと
『誓いの歌姫』『天馬騎士』『魅惑の兵団長』そして『眠り姫』です」
魂に直接響くかのような流麗な音声でそう語り、
貴人は薄く笑んでみせた。
「……えっと。
とても凄いことなのは判るけれど
異名の意味するところにうまく想像が追いつかないわ。
何よ姫って。確かに見目麗しくはあるけれど。
ねぇ。一体どういうことなの?」
メディナは軽くこめかみを押さえつつ
どこか不可思議な異名について問い返した。
「異名は当人の偉業に則って付けられるものです。
つまり名にし負うべき活躍をしたのでしょうなぁ。
きっとアレですな。
こんなに可愛い子が女の子であるはずがないとか、
サイちゃんきゃわわとか萌えーとか、まぁ何と申しますか
そういう感じなのでしょう。強くて大きなお姉さんたちが
それはもう大喜びしていそうですなぁ。
既に城砦内にはファンクラブがあるという話も……」
貴人は両手を拡げクツクツと楽しげに語った。
「まぁ、何ということでしょう。
私のサイアスきゅんに手を出させないわ!」
メディナは声高にそう宣告した。
貴人はその様に苦笑しやや眉を顰めて
「きゅん、ときましたか……
流石はメディナ殿。神をも畏れぬのは良いとして、
齢を覚えぬのは如何なものかと些か不安になる物言いですな。
っと、誠に申しあげにくいことですが……
彼には既に、4名の嫁と1名の娘が居るようです」
と述べ
「なんだ、と……」
とメディナは驚愕で硬直した。
「私も流石に魂消ましたがね。事実なのですよこれが。
揃いも揃って美女揃い。まぁいずれも恐ろしく強烈な
気性を有しておるようで、彼の君の心労が偲ばれますが。
特異な状況を引き寄せる度合いである『幸運』の値が
20に近いというのはまぁ、こういうことです。
それと『精神』の方は予測通り『限界突破』したようですよ。
まぁなんにせよ、雑観としてはこんなところですかね」
「……成程、とても参考になったわ。
……というか何か貴方、やけに生々しい情報を持ってるのね。
まさか荒野まで見に行ったの?」
メディナは軽く頭を振りつつもひとまず納得し、
新たな疑問を提起した。
「御冗談を。
幼女なきところに私なし、ですぞ」
貴人はやれやれと肩を竦め、笑った。
「えぇいうるさい黙れ。
じゃあ間者でも入れたのね」
「いえいえ、そんなセコい真似はいたしませんが……
っとそろそろお下げしましょうか。
仕上げに茶と氷菓などお持ちしますので、
今暫くお待ちくださいませ」
貴人は再び卓上に手をかざし、
さっと綺麗にしてみせた。
「あらそう? 悪いわね。
では折角だからそちらも頂いてから帰ろうかしら」
その後、謎の貴人と魔女メディナは
湖上と天上の星月を肴に暫しの茶会を楽しんだ。
そして夜明け前、銀月が湖面の西に消えゆく頃、
白銀の霧が湖上を去り、古城は再び黒い影となった。
「断章 再び古城にて」はこれにて終了です。
遠からず、機会がくればまた続きなど。




