サイアスの千日物語 三十日目 その十
デレクが川と湿原の突端に挟まれた隘路を超えると、
丁度湿原の陰になっていた位置に第二戦隊所属偵察小隊の残存兵が居た。
デレクはゆっくりとした馬足で、左右に警戒しつつ進んだ。
羽牙なら、残存兵を囮に奇襲を仕掛けるくらいはやってのけるだろう
と値踏みしていたのだ。
「やーどーも。第四戦隊の騎士デレクだ。救援にきたよ」
無事合流したものの、下馬することなく周囲を警戒しながらそう告げた。
「おぉ! 有難う御座います。
私は第二戦隊の兵士長アッシュです。 ……あの、お一人で?」
兵士長アッシュは喜び半分、不安半分といったところだった。
「あー、いや、うーん。ハハハ、ヒゲ親父おぼえてろよー」
デレクは笑ってごまかした。
「味方ぶっちぎってきたもんでねー……
ま、後続はすぐに来るよ。空馬と馬車もあるから運んでやれる」
アッシュはやや安堵の表情になった。
「とりあえず報告聞いとこうか」
「ハッ。三つ目の狼煙付近にて、羽牙の奇襲で3名重症。
二つ目の狼煙付近にて魚人と羽牙の挟撃を受け3名即死。
また騎士ヴァンクイン様は魚人8体と対峙して離脱」
アッシュの声はどんどん消沈していった。
「その後隘路出口手前にて、川から謎の黒い巨体が襲ってきて、
兵士長ディード含む5名が戦死……
残りはかろうじてここまで来たものの、前方を羽牙の群れに阻まれ
なす術もなく立ち往生しておりました」
新兵の中には泣き出すものもいた。
デレクはそれを冷ややかな目で見下ろしつつ、
「……で、何体倒した? そっちの数が重要でね」
アッシュはやや感傷に酔っていたが、はっと我に返って報告した。
「一度目の奇襲で羽牙5体中5体撃破。
二度目の奇襲で羽牙4体中2体撃破。
残り2体は湿原へと逃げました。魚人については判りません……」
デレクは頷いた。
「成程ね、さっきの群れが23だから、全部で30居た訳だ……
ま、綺麗な数字だし今回の羽牙はこれで打ち止めかねー。
っと7匹逃げたんだった。こいつらは始末しないと」
羽牙は通常三体一組で行動する。ベオルクが告げた
「虎視眈々と見つめている」存在が指揮を執っていたとすると、
10組まとめて一個の小隊とし、組のうち一体がやられても、
全体としては逃げずに戦闘を継続していた理由にはなりそうだ、と
とデレクは推察した。と同時に、少なくとも二組分6体はどこかで
奇襲の隙を窺っているのだろうとも推測した。
「魚人も大抵群れるからな……
確か五匹セットでうち一匹がお得な色違いだったはず」
「お、お得な色違い、ですか……?」
アッシュはやや混乱しつつ尋ねた。
「……ん? あぁお前らまだいたのか。
ほれ、ちゃっちゃと隘路から出ちゃえよ。すぐに後続くるからさー」
何とも無責任にそう言い放つと、デレクは川へと向き直った。
往路のすぐ北に横たわるその川は、
暗い淀みをゆったりと西へ押し流していた。
「しかし大ヒルまで出るかー…… アレの相手はしたくないなぁ」
デレクはなおもブツブツと呟きながら、付近を散策し始めた。
アッシュと生き残りの新兵は不安気に顔を見合わせたが、
西方から確かに後続らしき一団が近づくのを見て、
そちらへ向かって移動を開始した。
ガラガラと一際大きく車輪を鳴らしながら、
第四戦隊の荷馬車は東へと駆けていた。
不整地な上明らかに速度を出し過ぎていたため、
荷台に乗っていたサイアスは舌を噛まないようにするので精一杯だった。
今回の任務は半日に渡る長丁場なため、食料や水、薬品、
予備の武装などを満載していたのだ。
馬車の扱いに関しては、カエリア王立騎士団の方が遥かに上だ、
などと思いつつ、サイアスは徐々に迫る一つ目の狼煙を眺めていた。
ややあって、馬車はその馬足を落とし始めた。前方に複数の騎影と
人影が近づいてきたためだ。合流してみると、それは先行した
第四戦隊の騎馬隊8名と、撤退してきたと思われる兵士達だった。
騎馬隊8名はそれぞれ数頭の空馬を率いていた。
先行したベオルクら10騎が乗り捨てていったもので、
丁度それらに新兵と負傷兵を騎乗させているところだった。
第二戦隊の残存兵たちはいずれも顔面蒼白で生気がなく、
外傷以上に精神を深々と蝕まれているようだった。
「馬車も来たか。俺たちはこの連中を城砦まで護衛していくことにするよ。
第二の新兵連中、馬に乗ったことがないそうでな。
いちいち落馬されても困る」
騎馬のうち一人が言った。
「いいんじゃないか?
そもそも俺らも馬に乗れないから馬車な訳だしな……」
馬車の兵士の一人が言った。
馬車にはサイアスの他に3名が搭乗していた。
文句の付けようなどあるはずもなかった。
「第二戦隊の騎士とうちのデレクが現場にいるそうだ。
戦力的には問題ないだろ。届け終わったら戻るから、
とりあえず無理せず無難にやっとけよ?」
騎馬の一人はそう告げ、手足の無い負傷兵を1名ずつ別の馬に乗せ換え、
ベルトと金具で強引に固定していった。
「暫く我慢するんだぜ。戻ればがっつり休めるさ」
「手足だって、運が良けりゃまた生えてくるしな」
別の騎馬の一人が言った。サイアスは怪訝に思ったものの、
特に何も言わなかった。重傷者を励ましているだけだろう、
そう思ったからだ。
「俺は隘路へ戻ることにするよ。すまんがそいつらを頼む」
そう言って馬車に飛び乗った者がある。
「ん? せっかく助かったのにか?」
馬車の兵士の一人が告げた。
「あぁ。なんていうかな、意地だ。
……このまま戻るわけにはいかん」
度重なる脅威と恐怖とに翻弄され、ようやく安全が確保された途端、
アッシュの心に去来したのは深い敗北感と屈辱感、
そして身を焦がす程の戦意だった。
もとより熱し易く醒め易い、感情的な男だった。
身も世もなく死地から逃げ惑った挙句、今はむしろ死地を求めていた。
「止めはしないが…… お前戦えるのか?」
「勿論だ。俺は第二戦隊の兵士長アッシュだ。
治療の心得もある。必ず役に立つぞ」
「物好きだな。まぁ気の済むようにしたらいいさ」
第四戦隊の兵士たちは苦笑しつつも頷いた。
気持ちは判らなくもなかったからだ。
「じゃあ俺らは戻るからな。しっかりやれよ!」
そう言って騎馬の群れは西へと去っていった。
それを見送った後、サイアスが改めて前方を見やると、
一つ目の狼煙はそう遠くない位置に見えていた。
馬車は再び車輪を回し、隘路を目指して進み始めた。




