サイアスの千日物語 四十六日目 その四十九
「ヒッ!! 気付かれ……ッ」
「閣下ぁ!!」
東方より忍び寄っていた、サイアス率いる伏兵隊の
兵士数名が悲鳴をあげた。未だ10オッピあるとはいえ、
敵の巨躯や運動能力を考えればあっさり埋まる距離であり、
騙すつもりがばれていた、という心理的な衝撃も
兵士らの恐慌に拍車をかけていた。
「織り込み済みだ、臆するな!」
陣の中央で敵の巨躯を見据えるサイアスは
微塵も動揺を見せることなくピシャリと応じた。
これは無論、はったりである。とはいえ信ずる将が
毅然と保障したことで恐怖の拡散は発生せず、
狼狽えた兵士もすぐに落ち着きを取り戻した。
「威嚇する手間が省けたと思え。
総員、投擲準備! 構え!」
サイアスの号令一下、12名の伏兵たちは
一斉に手にした武器を掲げ、投擲の準備を整えた。
その様を大口手足増し増しはニタリと笑んで待ち構え、
さっさと投げろと言わんばかりにドスの利いた声で嗤い掛けた。
ばっくり裂けた大口から放たれるその哄笑は重く低く
兵士らに恐怖と狂気を投げつけたが、その心攻は
もはや届かず、兵士らは意を決してサイアスの一声を待ち受けた。
一方の大口手足増し増しは、内心焦りを感じていた。
さっさと投げろとはまさに本心であり、
背後から静かに迫るオッピドゥスの気配と共に
先刻の強烈な一撃が脳裡に過り、苛立ちを禁じ得なかったのだ。
「踏み込め!!」
サイアスは自らも槍を逆手に振り絞り、
自らに従う勇士らに、死地をさらに前へと命じた。
兵士らは一糸乱れず一歩踏み出し、後ろ足を送って
「放て!!」
の号令に合わせさらに一歩踏み込んでその武器を放った。
13の武器が一斉に西へと飛翔し、弓なりの弾道で
大口手足増し増しへと迫った。
元来手槍や手斧といった設計段階から投擲用途を考慮された
武器を除いて、手に持ち用いる多くの武器は投擲には適さない。
重心や強度、重量といったあらゆる要素が手にして
突き斬り打つことに特化し調整されているため、
これを投擲し精確に敵に当てかつ手傷を負わせるのは
想像以上の難事であった。
また坂の下手より投擲する以上その軌道は随分と
限定されたものとなり、弓なりながらも大口手足増し増しには
ほぼ水平に接近し、対処は容易であると言えた。
自らの企図通り武器を投げて寄越した小物共に
感謝と嘲弄を与えつつ、大口手足増し増しは剣呑な勢いで
飛来する13の得物を見定め、或いは避け或いは撃ち落とし
かつ掴んで自らのものとし、既に5オッピ内に迫っている
オッピドゥス攻略に役立てようとした。
だが未だ13の武器が中空から
自らへと届き切らぬその矢先、
ピィィイィィィイイイィイイッ!!
と耳を劈く高音が北方から高速で殺到し、
思わず大口手足増し増しはその身を竦め、挙動を躊躇った。
それは、ラーズの放った変わり矢の一つ、蕪矢であった。
鏃の背後に音を立てる蕪に似た膨らみを持つ蕪矢は
武器としての殺傷能力は高くなく、大口手足増し増しに
傷一つ付けることのできぬ、ただの脅しに過ぎなかった。
無論ラーズとてそれは百も承知であり、
蕪矢は大口手足増し増しの頭上を掠める様にして
山鳥の如き甲高い鳴き声を放ちつつ南へと飛翔していった。
元よりこの蕪矢は、大口手足増し増しを物理的に攻めようと
いうものではなかった。遭遇一番大口手足増し増しが
兵士らに対しておこなったように、その心胆を攻める一手であったのだ。
大口手足増し増しは確かに酷く動揺し、その挙動が不穏となった。
これは蕪矢がその精神を直に蝕んだからではなかった。
間近を翔け抜けた蕪矢の発した特大の高音すなわち空気の振動のせいで、
背後から迫るオッピドゥスの振動を、その気配を
逸失してしまったためであった。
無防備な背中に先刻のあの一撃を受けては堪ったものではない。
大口手足増し増しは慌てて背後へ、西へ振り返ろうとし
一方で東から飛来する13の武器の群れに逡巡した。
それは時間にしてほんの1、2瞬のことではあったが、
刹那を争う状況において大口手足増し増しの挙動は確かに遅れ、
不完全な形で対処を行う羽目になった。すなわち、
まずは飛来する13の武器へ、東へと向けた上体を
左の下部2腕を後方へさげて右半身とし、
同時に右の上部2腕を自らの人に似た眼を護るように掲げた。
これは東への投影面積を減らし、おそらくは軽微な威力に過ぎぬ
13の飛来する武器への対処を放棄しつつもその損害を減らそうと
いう意図であった。次いで右半身からさらに上体を左後方へと捻り、
左目で目視にてオッピドゥスの位置を確認しようとした。
大口手足増し増しのこの善後策は果断に実行に移された。
飛来する13の武器の5つは半身になった身体から逸れて
周辺に落下し、4つはその外皮に弾かれて、残る4つが
掲げた右上部の2腕や人面を浅く削った。
これら投擲された武器はいずれも致命の手傷を負わすことなく
その役目を終えて地に落ち、少なくとも得物を手に入れるという
大口手足増し増しの企図は達成されたかに見えた。
次に大口手足増し増しは最も危険視する
後方のオッピドゥスを見やったが、
投擲された武器を警戒してか、やや運足は乱れ遅れていた。
またオッピドゥスの攻撃は極めて間合いが短いため、
未だ対処に数拍の猶予があるように見受けられた。
これら3方よりの仕掛けを何とか捌いた大口手足増し増しだが、
いざ掲げた右の2腕で武器を拾い、反撃に転じようかと
その気勢が守から攻へ転じようというその瞬時の間隙に、
ドズンッッ!!
と重く熱い衝撃を受け、その巨躯が揺らいだ。
右半身となったことで北へ向いていた大口手足増し増しの腹部。
嘲弄と哄笑を放っていたその人面の口には、
北方より飛来したと思しき太い木の杭が突き立っていた。
大口手足増し増しは腹部に複雑な動きをする人面を有するため、
外皮はこの部分だけ柔軟性を有していた。要は攻撃に脆かった。
人を超える強者たる眷属でありながら有する
人の部位たる人面は、実のところ弱点の集合体であったのだ。
もっとも巨躯の有する体力や生命力は人の比ではない。
ごぼりと紫の血反吐を吐きつつも、大口手足増し増しは
炎の壁の向こうで攻城兵器を操るランドを鬼気迫る形相で睨み付け、
その口に突き立った木の杭をベキリと噛み砕き、
ゴリゴリと噛み潰して喰ってしまった。
口に突き立った木の杭は浅くない手傷を負わせたものの、
致命からは程遠いものだったようだ。
北方からの砲撃により再び1拍を無駄にした大口手足増し増しは
ようやく右目を庇って掲げた右の2腕を下げ、
地に散乱する13の武器を掴み、オッピドゥス攻略に活かそうとした。
逼迫した攻防を何とか制した大口手足増し増しは、
今度こそ攻めに転じてくれようと怒気を露わに得物を物色し、
巨腕で握るに十分な大きさを持つ槍や戦斧にその手をさしのべた。
大地に落とされた大口手足増し増しの視線はそこに過る影を見止めた。
そしてすぐにそれが自らのものではないと気付き、
慌てて面を上げ、頭上を見やった。
驚愕に目を見開き、大口を開けて仰ぎ見る、
上位眷属・大口手足増し増しのその頭上。
そこには、日輪を背負い、人馬一体となって
真っ逆さまに降ってくる、兵団長サイアスの姿があった。




