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サイアスの千日物語  作者: Iz
第二楽章 魔よ、人の世の絶望よ
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サイアスの千日物語 四十六日目 その四十四

本陣となる北方岩場手前に停車する3台の車両から

50オッピの位置に在り、未だ勢いを保つ炎の壁。

これを絶対的な防衛線として、人と眷属は対峙していた。

60もの幼体を吐き出してただ1体きり残された上位眷属

「大口手足増し増し」は、しかし微毫びごうも戦力指数を失わず

未だ36という眷属としては驚異的な数値を保っていた。


一般的な大口手足の戦力指数は6。

宴の一夜目に現れた上位眷属「できあがり」が30。

人外の域にある人中のオッピドゥスも当時30であり、

こちらは勝利を経てさらに伸びている可能性もあった。


ともあれ60もの幼体を失ってなお高い値を保つのは、

ひとえに本体自身の戦闘力ゆえということになる。

サイアス以下退路を死守する者たちは炎の壁を

絶対的な境界線としつつ、この上位眷属の趨勢を見守っていた。



大口手足増し増しは全ての幼体を放出しきって

しばし悄然と放心状態であるかの様子を見せていたが、

眼前で全ての幼体が死滅させられたことを悟ってか、

突如小刻みに震えだした。

小刻みに震える大口手足増し増しは震えつつも前に進みだし、

やがて攻城兵器の射程圏である150オッピ内へと侵入した。


既に攻城兵器の油玉は尽きていた。

また先日ロイエの発注によりラーズが手に入れた

100本の変わり矢のうち、今回持参した油矢10と火矢10は

それぞれ2と6に減っていた。硬質な表皮を持つ大型な眷属の場合

貫通特化のたがね矢以外はほぼ弾かれ、油矢で下準備をしてようやく

火矢が機能する程度であり、たとえ火矢で表面をいくばくか焼いても

それが膨大な質量を持つ敵の機能を奪うだけの損害となるかは

微妙なところであった。


そうした守備側の事情を知ってか知らずか、大口手足増し増しは

ブルブルと震え前後左右に揺れながら、本陣との距離を詰めていく。

既に上部に見えていた無数の触手らしき肢は無く、黒艶の強い

巨大な円柱として、もぞもぞと北へ進んでいた。



サイアスと守備を担う兵士らはその様を

手出しせず最大限の注意を払って見守っていた。

数の暴力で強引に自陣を食い破る可能性を持った幼体を

全て始末した以上、あとはゆっくり時間を掛けて戦えば良い。

時間を掛ければ援軍が到着し、本体たる騎兵隊も合流できる。

そのためとにかく時間を掛け、しぶとく粘る。

それが守備隊の戦闘目標であり方針でもあった。


ただしサイアスの企図したこの策には誤算もあった。

一つは幼体を全て吐き出してなお、

本体の戦力指数がいささかも落ちなかったことだ。

サイアスは当初、幼体を吐き出した後は

敵が侵攻を諦めるか、その勢いが確実に鈍化すると踏んでいた。

だがしかし、実際にはそうはならなかったのだ。

二つ目は、味方の攻撃力が高すぎた点。

できれば現状を招くまでに苦戦とは言わぬまでも

十分な時間を掛けておきたかったが、味方の損耗を嫌う余り

手加減抜きで一気に攻めて早々に次の段階へと進めてしまった。

もっとも結果として味方に一切被害が出ていないため、

これは一概に失策とも言えず、痛しかゆしと言ったところだった。


サイアスは本陣と炎の壁の丁度中間地点にたたずみ、

ミカの背から、徐々に近づく大口手足増し増しと

味方の布陣とを眺めていた。

サイアスの南側、炎の壁との狭間の位置には

これの維持に全力を注ぐ10名がおり、炎の壁の左右には

指示通り右にオッピドゥス、左に伏兵12名が敵の迂回を防ぎつつ

布陣している。ラーズはサイアスの右手、少し離れた位置で

グラニートに騎乗し矢を選んでいた。

本陣を除くそうした味方の様子を確かめ、

再びサイアスが南方へと向き直ったときには

大口手足増し増しは焦土と化した領域のほぼ中程、炎の壁から

30オッピ、サイアスから見て50オッピ程の地点にまで迫っており、

肉眼でも十二分にその大きさを確認できる状態となっていた。


敵の巨躯とその行動半径を考えれば、

そろそろ何らかの手を打たねばならない状況だ。

そう判断したサイアスが声を発しようとした矢先、

大口手足増し増しの動きに極端な変化が訪れた。



すすり泣くような高音と呻くような低音。二つの音が

不気味な不協和音を生み、周囲の空気を振動させた。

振動に伴い徐々に大口手足増し増しの黒々と輝く胴が

徐々にその外観を崩し始めた。


1.5オッピを誇るその巨躯の大半を占める円筒が

亀裂に沿って剥がれ落ちるようにしてほどけていき、

或いはボトリと地に落ちてどんどん黒の色合いが薄くなっていく。

そしてぼんやりと薄くなった外観から、灰に似た色合いの

生々しい何かが見え隠れし出し、徐々にその輪郭を露わにした。

そうしてそそり立つ異質な円筒の中から現れたのは、

上下に並んだ二つの大きな球状の物体であった。


上の球は黒鉄の大釜の如き形状をしており、周囲にはべっとりと

粘液をしたたらせ円筒状の外観とともに徐々に溶け出し、

全体がそのまま朽ち果てていくかに思われた。

一方下部の球は屍に近い灰色をして

後足で立ち上がった馬を数頭並べた程の幅と高さを持つ、

巨大な、巨大な人面であった。目と鼻があり、口がある。

顎にあたる部分は下方に隠れており、どうやら本来は

下方にあって地に面しているものが、反り上がって見えている

のだと思わせる様相であった。


この巨大な、オッピドゥスに匹敵する程巨大な人面は

左右の側面に筋骨隆々たる灰色の腕を4本ずつ持っており、

うち左右の下2本ずつがいびつに屈んで大地を掴み、

うち左右の上2本ずつが同様に歪んで上部の球体を掲げ支えていた。


人の姿勢で最も近い例えとしては、

頭上に壺を乗せ手を添えて運ぶ女性の姿である。

致命的な違いとしては、頭にあたる部分が無く、

胴体全てが頭あるいは人面であり、側面に生えた手足の数が

圧倒的に多いことだ。人面は例えの通りどこか女性的であり、

その表情はもの凄まじい憎悪と殺意に満ちていた。


それは、一言でいえば、頭上に卵嚢を捧げ持ち、

腹部が巨大な人面で構成される蜘蛛ないしは蟹であった。

無論これほど巨大な蜘蛛や蟹はおらぬし、腹部の人面は

余りに表情豊かに兵士たちを睥睨へいげいし呪っていた。

その口からはすすり泣きと呻きと呪詛と冒涜の限りを尽くした

得体の知れぬ音声がほとばしり、真夏の午後を奈落の闇中に

引きずり込むかの如きおぞましい迫力を伴い、炎の壁と左右の兵士ら、

そして本陣とこれを護るサイアスらをねめつけていた。



蜘蛛の中には産卵に際し、

生み出した卵嚢を自らの糸でくるみ、

頭上に捧げ持って暮らすものがあるという。

この巨大な上位眷属の行動はまさにこれに近く、

頭上に掲げた卵嚢と自分自身をもさらに粘液と糸で包み込み、

巨大な円筒と化してゆらゆらと揺りかごのようにうごめき、

孵化した幼体を上部から放出して大地へと放っていたのだ。


この眷属は、生物としては理に適った、

少なくとも他に類例のある、そういう姿勢を取っていた。

だがこの眷属は不気味な程に人面であり、

直視しがたい程に人に似て、呪わしい程人間的な表情をしていた。

さらにはあり得ない程人に似た、巨腕を8本も持っていた。

これが、これこそが、大口手足増し増しの真の姿であったのだ。

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