サイアスの千日物語 四十六日目 その四十三
爆発的な瞬発力で一気に10オッピは突っ走り
轟々と燃え盛る炎の壁を背に、してやったり、と
表情を緩ませる兵士らは、北方で趨勢を見守る指揮官たる
兵団長サイアスを見やった。サイアスは兵士らと視線を合わせて
大きく頷き目のみでその武勇を讃えつつ、
無言のまま槍の穂先を南東へとかざした。
勝利に酔うにはまだ早い。兵士らはすぐにそのように納得した。
そしてただちに気構えを切り替え次の作戦へと移行した。
すなわち二戦隊哨戒部隊副官含む8名が一戦隊兵士長2名に
警護されつつ炎の壁に適宜可燃物を放り込んで壁の火勢を
維持する役回りを負い、哨戒部隊長含む12名が火計用の雑貨や
他の装備品を一時放棄し、敵を屠る爪牙たる恃みの利器のみ携えて
炎の壁の南西へと気配を殺すように粛々と向かった。
炎の壁の手前に抜け出てきた燃え盛る幼体は
既にラーズとロイエに全て始末され、
炎の壁の奥では生き残った7体が対応できずに硬直し、
そのさらに南方からは大口手足増し増しがさらに放出した
18体の幼体が合流せんと殺到していた。
これら同時多発的に発生した目まぐるしい戦況の変化に対し
「敵幼体18のうち射殺4、焼死7。残数7。
敵増援18。残数25。これにて予測数は出揃ったようです」
と迅速かつ正確明瞭に分析して軍師ルジヌがその様に報告した。
かつて闇夜の散歩においてシラクサが担当したように、
城砦軍師は戦果から各自の勲功を計上し報告する役目をも負っている。
軍師と共に行う戦闘ではとにかく数字周りが楽であり、お蔭で指揮官たる
城砦騎士は自らの武勇を活かしつつも戦況の把握と判断をおこなう
将と兵二つの役割を同時にこなせるのであった。
「了解。ランド、出番だ」
サイアスは短く応え、斜め右後ろの台車へと声を掛けた。
「了解、砲撃を開始します!」
バシュォンッ!
言うが早いか金属的な擦過音が奔り、仰角を大きくとった
砲身から閃影が飛翔した。前方に布陣する味方や炎の壁を越え、
縦に長い放物線を描いて飛びゆく油玉を肩越しに、
そして仰ぎみた騎乗のラーズは油矢を手に合成弓を引き絞り、
油玉を追うことなく、まっすぐ正面へ、南方へと射撃姿勢を取った。
油矢には火が灯ってはおらず、代わりに油の仕込まれた鏃後方の
筒には上から油と可燃物が塗りたくられ、暗い光沢を放っていた。
周囲が意外そうな視線を投げかける中、ラーズはひたすら集中し、
機をみてその一矢を飛翔せしめた。
弓弦の響きと共に鋭矢は飛翔し
ただひたすらに真っ直ぐに空を滑って炎の壁へと向かい、
これを貫くと同時にぼっと燃えた。そして上空から
落ちてくる油玉を正鵠に捉え、
パァアン!!
と派手に音を立ててこれに着弾し、無数の炎塊を
低空で同心円状に飛散せしめた。粘度の高い炎の塊は
或いは地に落ち或いは幼体に付着して勢いを増して敵陣を焦がした。
死角となるほぼ直上から落下し、至近距離で爆散するこの火攻を
避ける術を幼体は持たず、火に弱い身体を焼かれ逃げ惑い、
炎はぶつかった仲間に移ってさらに被害を拡げた。
「ハッ! こりゃまた見事なもんだな!!」
サイアスの策に従い炎の壁の南西で幼体の迂回を防いでいた
オッピドゥスは、次々に敵陣中央かつ地上すれすれで炸裂する
回避不能な炎の散弾を眺め、成す術無く燃えていく
幼体の群れを眺めていた。
追加の弾数8発を全て打ち切ったのは数分後。
サイアスの号令一下戦闘状況を開始しておよそ10分後であった。
炎の壁の南側にあった幼体25体は完全に死に絶え、射程外に聳える
黒々とした大口手足増し増しは、どこか色褪せたように佇んでいた。
「閣下。敵幼体の殲滅を完了しました。
次なる下令を願います」
大地と大気が悄然と戦の余韻に満ちる中、
ルジヌの声が淡々と響いた。
「本体の戦力指数に変化は」
些かの感情をも匂わせず、
サイアスもまた抑揚なく淡々とルジヌに応じた。
「ありません」
「成程……」
その身に宿った60体もの幼体を放出してなお、
大口手足増し増しの戦力指数は36と驚異的な数値を保ち、
欠片の変化もないという。これが示すのはただ一つの事実であり、
サイアスは小さく頷き南へと馬足を進めた。
熱気の伴わぬ陽光が大地を焼く様に白く染め、
轟々と燃え盛る炎の壁と灼熱の草原の如く地を這い焦がす
無数の残り火が実際にその手勢となって大地を焼いていた。
そして狼煙のごとく立ち上がる煙が荒涼の大地を死の色に染め、
生き残った全ての兵は眼前の光景を様々な面持ちを抱いて眺め、
しかし言葉を発さず指揮官たるサイアスの一言を待っていた。
「総員、戦闘態勢を維持せよ!
このままで済むはずがない。
本体に起きる、いかなる変化をも見逃すな!!」
ミカを共に炎の壁の間近まで進んだサイアスは、
東西に駆けて味方の状況を確認しつつ声をあげた。
サイアスの口から発せられたのは、勝鬨ではなく、
まして凱歌でもなかった。それはさらなる激闘への誘いであり、
兵士らはこれにしかと頷き、ただ一体残された敵の本体たる
上位眷属・大口手足増し増しを見つめていた。
そして一同が一心に見守るなか、
60体もの幼体を放出して随分と身軽になった
大口手足増し増しには、確かに変化が起き始めていた。




