サイアスの千日物語 四十六日目 その三十四
奸知公爵がサイアスの捕縛を狙いとして
丘陵より差し向けたと思しき眷属の一個中隊58体は
騎兵隊ら援軍の到着を待たずして1体の例外なく殺滅された。
短いながら激しい戦闘となったものの
退路の死守を買ってでたサイアス小隊に人的損害は一切なく、
荒野の大地にはただただ眷属の屍と屍らしき肉塊が散乱していた。
熱量に乏しく生命の気配が希薄な夏の荒野には再び
時折風が吹きすさぶだけの無機質な静寂が訪れていた。
「屍と死臭はさらなる魔物を呼ぶと言うわ。
ランド。全て焼き払って頂戴」
どこからともなく二台目の台車に姿を見せたニティヤは
特製バリスタの砲座で茫然と周囲の光景を眺めている
ランドへと声を掛けた。
「ひゃ、ひゃいっ!!」
ランドは声を裏返らせて返事をした。
そして大柄な身体を台車のあちこちにぶつけながら
慌てて火種を準備し、こけつまろびつ散乱する屍に向かった。
悪鬼羅刹の如き眷属の群れの暴威を
遥かに上回る阿修羅の如き女傑たちの武威に、
そして阿修羅をも凌駕する姿なき暗殺者ニティヤの鬼気に、
ランドは完全に呑まれていた。そして何があっても絶対に
機嫌を損ねるまいと、固く心に誓っていた。
「良い指示です、ニティヤさん。
ラーズさんは引き続き周辺の警戒を願います」
眼鏡を掛け平素の気配を取り戻したルジヌが
日差しを嫌ってフードを被りつつニティヤに頷き、
ラーズに追加の指示を出した。
「ほいよ、了解したぜ。
……ランドの奴相当ビビってるな。
あーあー、右手と右足が同時に出てらぁ。
初陣の時より酷ぇぞこりゃ。そういやベリルは大丈夫か?」
先刻のランドよろしく目的語をはぐらかして
ラーズは苦笑した。
「大丈夫です! というか悔しいです……
私だってあいつらをやっつけたかった……」
ベリルは憤慨してそう言った。
どうやらベリルの心中では
未知の異形に対する根源的な恐怖よりも
身内を害されそうになったことへの怒りが勝っているようだった。
「ガッハハハハ!
こいつは実に頼もしいじゃないか!」
戦闘行動にはまったく支障がないものの
新造ゆえまだ通常運用の面で身体に馴染み切らぬ重甲冑で
東から駆けてきたオッピドゥスは、ベリルの心意気に呵呵大笑した。
概して確固たる世界認識を有する大人よりも
未だ不完全な認知状況にある子供の方が、
こうした慮外への存在への適応力が高かった。
また、未知の異形への恐怖はこれを撃破することで克服される。
そして繰り返し撃破したなら新たな未知の恐怖に抵抗し得る
さらなる気概をも手に入れることができる。
正気は狂気や恐怖に蝕まれ、失われる一方ではなかった。
ベリルは今後少なくとも今日対峙した3種の眷属に対しては
恐怖に怖じず冷静な対応が取れる見込みを得ていた。
「にしてもお前たち、大した手練れだな!
流石にサイアスが目を付けただけはある。
特務隊を名乗るに相応しい腕だ」
オッピドゥスはそう言ってサイアス小隊の面々を労い、
「こうして若い連中が育ってくれれば、
向こう10年は城砦も安泰だな」
と満足げな表情で貨車から特大の床几を降ろし、
どかりと腰掛け周囲を睥睨した。
「お前たち、屍の焼却を手伝って来い。
哨戒はラーズ一人で十分だろう」
「ハッ」
オッピドゥスの命を受け、配下の第一戦隊兵士長2名は
油袋や松明を手にしてランドと合流し屍の処理にあたった。
ニティヤの言にもあるとおり、迂闊に屍を残せば
百頭伯爵に取り込まれたり、奥地からさらなる眷属を
呼び寄せてしまう可能性があるからだ。
「お待たせ。皆、無事で良かった」
オッピドゥスから遅れること数分、騎兵隊が発って概ね
25分が経った頃、小隊長であるサイアスが本陣へと戻ってきた。
サイアスは戦闘の顛末を見届けた後すぐに東へと駆け、
シェドの一報を受け急行してきた第二戦隊の西側の哨戒部隊と合流し
敵の伏兵や増援を警戒しつつ錐行陣で進軍し、帰陣したのだった。
二戦隊の哨戒部隊20名は辺り一面に上がる火と煙に
先刻までの戦闘の苛烈さを偲び、すぐさま後処理や
退路の確保、警備を引き継いで、サイアス小隊に休息を取らせた。
自隊の下へと戻ったサイアスは配下全員が無傷であることを
大いに喜び、ミカとグラニートにカエリアの実を与えて休ませ
本陣を護った一人一人と相対してその奮戦を労った。
その後サイアスは軍師ルジヌを伴ってニンマリと笑顔を向ける
オッピドゥスの下へ向かい、簡易の軍議を開始しようとした。
とその時。
「ん、ありゃぁ何だ……」
哨戒を担当していたラーズが怪訝な声を上げ、南を指差した。
他の者たちもその声に釣られ、ある者は手をかざし、
ある者は遠眼鏡でラーズの示す南方を見やった。
本陣から3000歩近く離れて拡がる奇岩の林。
その林たる奇岩の狭間を縫い、あるいはなぎ倒し踏み越えながら、
樹木に似た巨大な異形が枝葉のようなその上部を
ゆらゆらと揺らし揺らめきながら、ゆっくりと北へ、
サイアスらの詰める本陣へと迫ってきていたのだった。




