サイアスの千日物語 四十六日目 その三十三
名槍と妙技を以て次々にできそこないを屠る
後鋭陣の左の前衛たるデネブの右方では、
火の字の陣形の左の前衛を務めるできそこないが
二枚盾のもう一方であるディード目掛けて襲い掛かっていた。
ディードを一瞥したできそこないは
即座に躊躇なく自らの攻め手を固めた。
魚人や羽牙といった性格に偏りのあるものを除いて
人より大柄であり強力な存在でもある荒野の眷属は
個対個の近接戦においては小技を好まず、
一撃の重さと速さでカタを付けることを好む。
巧遅拙速の見本というべきその一撃は
一目瞭然たるディードの弱点を狙った。
左腕を失い右腕に盾を備えるディードの弱点とは、
言うまでもなくその左半身である。よってできそこないは
飛び込みざまに波濤の如く斜めに盛り上がり、
振りかぶった右前肢でディードを袈裟に薙ぎ払おうとした。
もしもディードと対峙する者があれば
大半は躊躇いなく選択するであろう左方からの攻め手は
当然ながらディード自身が最も理解し警戒し対策を練って
修練し克服して待ち構えていたものでもあった。
左腕を失くしてなお前線に立つディードの覚悟と技量と
歴戦の経験を、このできそこないは完全に侮っていたのだった。
ディードはできそこないが振り上げた鉤爪が自身へと到達するより
速く、左足を右前方へと小さく踏み出し小刻みに旋回した。
暴風の如き薙ぎ払いとはまるで対照的な疾風の如き動きで反転した
ディードは右の肘を前方へと突き出し、装着した専用の重盾を
できそこないの振り下ろす右前肢の内側にあてがうようにして滑らせ、
鞘走る剣の一閃の如く摩擦を加速に変えて一気に振り抜いた。
これはサイアスが鑷頭戦で用いた「盾滑り」と本質を同じくし、
剣術では「龍尾返し」とも呼ばれる摺り上げの妙手であった。
小刻みかつ高速な身体の円運動と振り抜く腕の遠心力、
そこから生じる角運動量をも最大限に利したディードの妙技は
重盾に膨大な膂力を与えて加速せしめ、できそこないの
頭部を捉えて左から右へと強烈に撃ち抜いた。
パァンッ!
およそあり得ぬ苛烈な破裂音と共に
できそこないの首はぐるりと後方まで捻じれ、
飛び込みの勢いそのままに地に倒れ、死に絶えた。
そして前衛の唐突な死に唖然とする後続右端のできそこないに
向かってディードはすっと右腕を水平に伸ばし、手首をくいと折り下げた。
ドシュンッ!!
金属的な擦過音が短く走り、銀色の閃光ができそこないへと奔った。
ディードの盾に仕込まれた仕掛けが起動し、
槍の穂先程もある刃が空を斬り裂きできそこないへと飛翔して
その肩口へ深々と突き刺さった。致命とまではいかずとも
できそこないは絶叫して動きを止め、その隙を突いて
ディードはトトン、と軽やかに飛び下がり、
初期位置へと戻って再度後鋭陣の前衛を担った。
残り2体となったそれぞれ手負いのできそこない。
うち前方の1体はデネブに右前肢を斬り裂かれ、
呻き声を上げつつもその側面を突破して後方のロイエへと殺到し、
飛びかかって押さえ付けこれを食い千切ろうとした。
しかしロイエの動きは敏捷な肉食獣の上位種とも言うべき
できそこないを遥かに上回り、迅雷となって突撃し
できそこないの胴へと腰溜めの戦場剣を根元まで突き刺した。
そして突撃の当たりによってできそこないの上体を押し起こすと
戦場剣の鍔を支えていた左手を左の腰へと回して逆手にククリを掴み、
抜刀ざまの一撃でできそこないの喉笛を掻っ切って、さらに
右へと流れる動きそのままに反転して強烈な右後ろ回し蹴りを放った。
僅か一拍のうちに別個の武器で3撃を叩き込み、
飛び込んできた以上の勢いでできそこないを後方へと
吹き飛ばしたロイエは、次の瞬間には背中の両手斧を左八双に構え
流れるように左脇構えへと移行して呆気に取られる後続3体のうちの右端、
ディードに肩口を射抜かれた最後の1体へと殺到。
裂帛の気合と共に逆袈裟に斬り上げ、右脇から左肩へと斬断し
できそこないの上半身を吹き飛ばして辺り一面に紫の血の雨を降らせ、
血に降りかかる暇も与えずしなやかに跳躍し後衛に戻った。
サイアス小隊の3名による後鋭陣に襲い掛かった
できそこない5体は、こうして瞬く間にその全てが死滅した。
機を見て攻め入ろうとしていた数体及びサイアスを捕縛すべく
待機姿勢にあった数体、計6体の大口手足は3名の女兵士長の
阿修羅の如き戦いぶりに畏れをなし、身動き一つできずにいた。
そしてそこに、光の筋が迸った。
キン、と張りつめた音が鳴り、次いで裂け落ちる音が響いた。
大口手足6体全ての左前肢が、血飛沫を上げて地に転がった。
「……ねぇ。
あれだけ動きまわるサイアスを
どうやって捕縛するつもりだったのかしら」
穏やかな中に鬼気を孕んだニティヤの声が
風に乗って流れ、次の刹那にまた一筋の光が奔った。
今度は6体分の右の前肢が切断され地に堕ちた。
「手足を千切り、頭と胴だけ持ち帰る。
そんなことを考えていたのではなくて?」
ニティヤの声が一段と鬼気を増し、それを聴いた女衆もまた
怒気に満ちた眼光を放って、声ならぬ声を発してもがき蠢く
大口手足の群れを睨み付けた。
「手足に限った話ではないわ。
喪ったものは二度と戻らない。
残されたものは失くしたことを一生背負い、それでも
生きていくことになる。そうした覚悟はあるのかしら」
さらに一筋の光が奔り、大口手足の群れの右後肢を切り払った。
ディードは凍てつくような眼差しでその様を見つめていた。
「私の、私たちの大切なものを奪おうとした報いを受けろ。
サイアスは絶対に渡さない」
最後の一筋が迸り、全ての肢を落とされた大口手足は
紫の血を撒き散らしながらもがき、徐々に息絶えていった。




