サイアスの千日物語 四十六日目 その三十
疑念を許さぬ明確な死をまざまざと見せつけられ、
敵群の猛追に迷いが生じた。しかしそれも一瞬のことで、
絶技を放った当のサイアスが不審げに首を傾げているのを
見て取って、敵群は一つの確信を得た。
あぁ、これはマグレだと。実力ゆえの結果ではないと。
そこで一気に余裕を得た眷属の群れは再度の突進をおこなった。
必殺の勢いで突進してくる眷属の群れをよそに、
サイアスは確かに首を傾げていた。
それは強撃を用いずして自分の槍術の力量を遥かに上回る
凄まじい破壊力が生じたせいであり、また深々と突き刺さった
できそこないの首が、まるで槍から抜け落ちぬせいであった。
必死で頭を回転させて生じた結果を分析し、これが馬術及び
ミカの能力に起因するものだと得心したサイアスは
あぁ、と声に出して頷いた。
人は手に武器を持ち、武器を振るって敵と戦う。
手は肩から生えており、ゆえに武器は肩を起点とした
一定範囲を動き、敵に迫る。人同士であればこの範囲は
互いに重なり、人と異なる体型体格をした眷属が相手の場合でも
大同小異の可撃範囲を以て攻防する。
然るに馬上戦闘においては地に立つより遥かに高所に肩があり、
武器は地に立つより遥かに高所から振り下ろされることとなる。
そしておよそ地上の生物は敵への捕捉も邀撃も
能力的には地平上、水平方向に特化しており、
高所から降ってくる攻撃に対して対応することを不慣れとしている。
要は馬上からの攻撃は、地を往く者にとっては
常に死角から頭部へと振ってくる危険な代物であり、
命中さえすればほぼ確実に痛打を招くのであった。
サイアスの槍術技能は2とようやく実戦で使える域に留まるが、
馬上から適切に命中させ得たことで痛打となり、突進するミカの
膂力や体重といった諸能力が相乗的に加味された結果
重騎兵の突撃に迫る破壊力を産んだのであった。
成程そういうことか、と場違いにも一人納得し頷く
サイアスは背後から迫る残る2体の気配を感じ、
北東へ疾駆する勢いそのままに
ミカに前肢と後肢を交互に使った左回りの旋回をさせた。
これは行軍中グラニートと共に遊びで行った動きであったが、
戦闘状況で疾駆中にも関わらずミカは美事に成功させ、
サイアスは一回転するミカの動きに合わせて
腕や腰に絡めた槍を体軸を揺らさず盛大に左方向へとブン回した。
遠心力を加勢に得た槍の穂先は頑迷に留まるできそこないの首を
吹き飛ばし、前肢を振りかぶって襲い掛からんとする2体へとぶつけた。
モロに首を喰らって転倒した2体は後続に踏みしだかれ屍と化した。
サイアスは無表情に顛末を見届けると視線を再び前方へと向け、
余勢を駆ってさらに北東へと、台車のある本陣の南前方へと駆けた。
台車のある本陣をすぐ左前方に見たサイアスは
そこにオッピドゥスの姿が無いことを確認し、
軌道修正して真東へとミカを進ませた。これにより
南西から追走するできそこないや羽牙、さらには
真南から殺到する大口手足の群れとの距離はさらに縮まり、
敵群は挟撃の構えを採りつつあと一息で爪牙が届く
というところにまで肉迫していた。
絶体絶命とも言えるこの状況に対し、相変わらずサイアスは
平然としてミカを促して東へと疾駆し、下り坂を徐々に「上って」いった。
サイアスを追うのに夢中であった敵群はその動きに釣られて上体を起こし、
自らも下り坂を「上ろう」とした。しかしそれは無理というものであった。
眷属たちは前肢が空を掻いたところでようやくそこに大地が無いことに気付いた。
そして気付いた時には既に手遅れであった。
サイアスは虚空のソレアをさりげなく用いて
ミカと共に宙を駆けていたのだ。足を踏み外した最前列が転倒し、
踏みとどまった後続はさらなる後続に押されてつんのめり、
玉突き状態となって追走どころではなくなった。
最前列の2体程が手ひどく潰され屍と化し、残りは何とか
態勢を立て直し、すぐに追走へと移ろうとした。が、
そこに大音声の鬨の声があがった。驚いた眷属たちが
目を血走らせて東を見やると、およそ1000歩程先に砂塵があり、
砂塵の前方には武器を振りかざした兵士の集団があった。
シェドの急報を受けた哨戒部隊が、間に合わぬまでも支援をとばかりに
南北に長く広がって砂塵を巻き上げ、大量の援軍に見せかけていたのだった。
ここに至って敵群は思考が完全に麻痺してしまい、
直ちに適切な行動を取ることができなくなった。
もっとも恐怖と驚愕による思考停止はすぐに
より高圧的な奸知公爵の暴威によって上書きされ、
ノロノロとした動作ながらも眷属たちは戦闘行為を再開しようとした。
が、そこに真北から音もなく巨影が歩みでた。
「よぅ。御馳走さん」
重く低い声でしかし楽しげにそう言うと
オッピドゥスは一息に間合いを詰め、右、左と鉄脚で踏み込んだ。
巨体が沈み、次いでずわりと膨れ上がった。
破ァアアァッッ!!
大気を引き裂く獰猛な雷声が轟き、
震脚が大地を揺るがした。
そして鎌首をもたげ全てを呑みこむ海嘯の如く
専用大盾である「メーニアⅡ型」が二枚横並びとなって突き出された。
オッピドゥスの開眼せし盾格闘の一手「双盾破」により
一挙に7体のできそこないが原型を留めぬ肉塊と化した。
オッピドゥスは挙動そのままにさらに一歩踏込んで震脚雷声と共に
右のメーニアⅡ型で奥義「猛虎硬爬山」を放ち、
ごっそり中央に大穴の空いたできそこないの群れから
さらに3体を肉片に変えて大口手足の群れへと吹き飛ばした。
大口手足の先頭の2体が吹き飛んできた3体分の質量に圧殺され、
残る個体は慌てて散開しようとした。
しかしオッピドゥスは巨体ゆえの歩幅を活かして一足飛びに肉迫し、
避け損ねた大口手足1体に対し左のメーニアⅡ型を鉄槌の如く打ち下して
グシャリと潰した。大口手足の群れは土石流の如きオッピドゥスの
突進を避けるべく陣を割って懸命に回避行動を取ろうとしたが、
オッピドゥスの巨躯はそれよりも迅速に動き、さらに2体が
鉄板焼きの要領で割かれ裂かれて摩り下ろされ死んだ。
何とか左右へと退避することに成功した15体の大口手足は
挟撃し圧殺すべく側面から四肢を拡げて立ち上がり、
首の無い巨漢が抱き着くようにしてオッピドゥスを羽交い絞めにし
喰らおうとしたが、オッピドゥスはこれを待ち侘びたとばかりに
僅かに身体を縮め、左のメーニアで正面を覆い、右のメーニアで
右側面を護りつつ右方の8体へと大地を砕いて踏み込んだ。
三度震脚が渇いた大地を割り砕き、轟く雷声が大気を奔った。
これこそが貪隴男爵の下半身を吹き飛ばした絶招「鉄山靠」の
盾格闘における完成形であり、右方8体の大口手足は跡形もなく爆散し
紫の血が霧となって地に落ち、これを染め上げた。
オッピドゥスのこの奇襲によって
23体もの眷属がほんの数拍のうちに肉片もしくは血霧と化した。
普段専守防衛を担うオッピドゥスを純然たる攻撃に回すとは
果たしてこういうことであったかと、目の当りにした全ての者は
戦慄を禁じ得なかった。




