サイアスの千日物語 四十六日目 その二十九
密集した中央部に被弾したことで
一撃にしてその3割を失った羽牙の群れは
一時の混乱の後左右に割れてさらに散開した。
焼け落ちてくる羽牙にできそこないはまずは驚き、
ついで喰らい付いてその飽くなき衝動を満たしていた。
その様及びさらに南方を眺め、敵先陣に大口手足が追いつくには
今暫く掛かるとみたサイアスはオッピドゥスを見やり、
「では閣下。本陣はお願いいたします」
と告げて馬首を南西へと向けた。
その間にもランドとラーズの砲撃は続き、
さらに3体の羽牙を焼き落としていた。
「兵団長閣下、我らにも下知を!」
四頭立ての大型貨車で御者を務めていた
第一戦隊の兵士長2名がサイアスに声を掛け、
サイアスは僅かに首を傾げた。
自身より遥かに上位の武官であるオッピドゥスの配下に対し
オッピドゥス当人の前で直接指示を出すのは僭越にあたるからと、
サイアスはこの2名に対し敢えて指示を出してはいなかった。
サイアスは意向を確認すべく肩越しにオッピドゥスを見やったが、
オッピドゥスは
「たまには俺にも兵士をやらせろ!」
と身も蓋もない物言いをしたため、
「まずは馬と貨車の死守を。
第二戦隊の哨戒部隊が到着次第、
盾使いとして合流し戦列に加わってください」
と肩を竦めてそう告げ、
「御意!」
と嬉しそうに応じる声を背に、ミカを南西へと進ませた。
ランドとラーズは敵の散開によって効率の落ちた砲撃を一時中止し、
敵の動向を探る方針に切り替えたようだった。
ミカは軽やかに蹄を鳴らし、80歩程南西へと流れた。
するとそこから南東へ100歩程離れた位置で
テンポよく飛来する砲撃に空を焼かれ、
散開して回避行動を取っていた羽牙8体と
次々に降ってくる火の通った肉に舌鼓を打っていた
できそこない20体は、唐突にサイアスとミカへ向き直った。
そしてあらゆる衝動をねじ伏せる圧倒的な何かに憑かれた様にして、
一斉にサイアスの居る北西目掛け突進を開始した。
未だ合流し切ってはいない大口手足もまた、
明らかに進路を北西へと向けこれに同調する構えをみせた。
こうした露骨な反応を向けられたサイアスは
うんざりとしつつもこれ見よがしにそのまま南西へと
ミカを駆けさせ、その後南へ膨らみ10数歩使って大きく旋回し、
敵が自身の挙動を捕捉するのを待った。
常人なら恐怖に竦んで動けなくなる状況にあっても、
非常識な精神力の持ち主であるサイアスは平然と敵前に舞い遊び、
調練を受けた軍馬であるミカは主の余裕を感じ、怖じることがなかった。
そうして迫りくる敵群の正面が完全に自身の居る北西に向くのを
見とめた直後、猛速度で加速し北東へと脱兎のごとく逃走を開始した。
身体が北西へと流れていた全ての敵は咄嗟に方向を切り替えることができず、
眼前を一気に加速し遠ざかるミカとサイアスを見送る羽目になった。
敵の群れは出鱈目な加速振りで逃げる様に呆気に取られ、
次いで猛り狂って金切声をあげた。頭に血が上ったか
視界を横切り高速移動する獲物に闘争本能が沸騰したか、
あるいは奸知公爵の勘気に怯えてか、羽牙もできそこないも
我を忘れたようにしてサイアスとミカへ追い縋った。
「……俺も荒野は長い方だがな。
ここまで露骨なのは初めて見たぜ」
オッピドゥスが唸るようにそう言った。
40体を超える眷属の群れが死にもの狂いで
たった1騎を追う様は、確かに尋常な光景ではなかった。
「はは、マジでモテモテだな……
っと感心してる場合じゃねぇな。ランド、好機だぜ」
殺気溢れる女衆に怯えつつ、
ラーズは気合を入れ直した。
「おっと! 了解!」
ランドもまた表情を引き締め、再び射撃態勢を取った。
そして疾駆するサイアスの斜め後方上空目掛け、
断続的に砲撃を加えた。サイアスを狙って最短距離を
飛行する羽牙はこれを満足にかわすことができず、
相次いで4体が焼き落とされ残り4体にまで数を減らした。
「油玉は温存だ。後は1匹ずつ落とす」
ラーズはそういうと貫通力の高い鏨矢をつがえ、
魔弾を以てさらに1体落としてみせた。
「了解、弾倉を鉄甲弾に換装!」
ランドはそういうと油玉の詰まった木箱を取り外し、
別の木箱を取り付けた。木箱からは尖端に金属をかぶせた
肘から指先までの長さと指3本分程の太さを持つ
木の杭が転がり出て、特製バリスタへと装填された。
他の攻城兵器と比して直線的な軌道で弾体を飛翔させる
バリスタはこうした棒状の投射物と相性が良く、
城砦に据え付けられたものの中にはそれこそ
破城鎚をも射出するものすらあった。
羽牙の始末をラーズに任せ地上部隊にその杭を打ち込むべく
ランドは距離や照準、張力を調整して着々と準備を進めていった。
ミカは偵察及び斥候を用途とした軍馬であり、
他の騎兵の馬に比して体格や体力には劣るものの
その膂力は十分に高く、敏捷に至っては名馬である
クシャーナに匹敵する程高かった。
そのため短距離を爆発的な速度で疾駆し敵との距離を
大きく引き離しはたものの、最高速を維持し続ける体力は
並みであったため、後先考えず死兵となって追い縋る
できそこないとの距離は徐々に縮まった。
結果20体のうち3体がこれに肉迫し、
3体のうち1体が進路に先回りするように進路に飛び込んで来た。
怒号や血飛沫に怯えず人を踏みしだくことさえ厭わぬように
訓練を受けた軍馬であるミカは、自身に迫るできそこないの
狂気に満ちた形相に怯むことなく、まるで意に介さず自らの進路を
ひた走った。ミカは自らの主であるサイアスを信じ切っており、
サイアスもまたミカの健気なまでの忠節に応えてみせた。
揺れる馬上で僅かに右肩を引いたサイアスは、
左前方へと流れるミカの挙動に合わせて上半身を小さく左へと回し、
身体の流れを殺すべく腰を僅かに右へと捻った。
布巾を絞るような動きがミカの突進力を自身の身体を通して螺旋に伝え、
膨大な膂力に変じて押し出す右腕に乗せ、手にした槍を走らせた。
裂帛の気合と共に全ての動きが刹那に調和し、
槍は空を裂き穂先が唸りを上げて、飛び込んでくるできそこないを捉えた。
ヒュパァアンッ!
大気を劈く衝撃音が迸った。
南方から進路へと飛び込んできたできそこないは
肩の辺りから爆散し肉片となって大地に散華した。
やや速度を落としたミカと共にさらに北東へと向かう
サイアスが自然に下げたその槍には、
抉り取られたできそこないの首が深々と突き刺さっていた。




