サイアスの千日物語 四十六日目 その二十六
「罠……」
サイアスはラーズの言を
噛みしめるように繰り返した。
第二戦隊の二つ目の哨戒部隊は既に後方で小さくなり、
部隊は当初の勢いそのままに、西へ西へと猛進を続けていた。
荒涼とした荒野には馬蹄と車輪が間断なく鳴り響いていたが
その狭間で兵たちの耳目はサイアス小隊の会話に集中しており、
喧噪の中にあって奇妙な静寂感を生んでいた。
「……お聞かせ願いましょう」
ルジヌは積み荷や荷台の縁に手を掛けて身体を支えつつ、
積み荷の上で手早く矢羽根の調整を進めるラーズを見上げた。
「奸知公爵の思惑とやらは俺にゃさっぱりだが、
まぁ結果論ってヤツだ。多分な。
つまりぁ今起きてる諸々の状況は全て、
奸知公爵の一手によるもんだってことだよ」
耳目を一身に集めたラーズは特に臆する風もなく、
矢の調整を済ませ持論の一節ごとに弓の弦を一つ鳴らし
吟遊詩人の如くに語りだした。
「奸知公爵のせいで
闇の御手は丘陵から追い払われ、
半端な位置で潜伏する羽目になった。
奸知公爵のせいで
半端な位置で潜伏する羽目になった闇の御手を
百頭伯爵より先に始末すべく、大駒だらけの討伐隊が
日帰りできねぇ程奥地にまで出張った。
奸知公爵のせいで
半端に潜む闇の御手を追っかけて深入りした
大駒だらけの討伐隊を日暮れまでに連れ戻すために、
第四戦隊と参謀部の合同部隊が奥地へと飛び出した。
奸知公爵のせいで
が全ての始まりだ。要するに今の状況は一切合財
奸知公爵の描いた絵図だってこった。
その後どうする気かは知らねェがな。
宴の魔とは別っつっても
本質的にゃ俺らの敵なんだろ、奸知公爵は。
策やら罠の一つや二つ、ノリで用意してくるだろ。
その後どうするかは、あちらさんの胸先三寸ってとこだぜ」
「つまり闇の御手を囮とした誘引策であると、
そういうことですか」
ラーズの語りを一通り聞き終えたルジヌは
軍師らしく要点のみ簡潔にまとめてみせた。
ラーズはルジヌの言にクツクツと笑い、
「流石軍師だな。一言で綺麗に纏められちまったぜ。
まぁ俺が言いたかったのはそういう事だ。
こいつは釣りや狩りじゃ、割と使う手でもある。
ついでに言うと、罠ってのは取りあえず仕掛けといて、
うっかり掛かりゃ儲けもんって代物だ。
回収が遅いと逃げられたり横取りされたりするけどな」
と補足した。
「でもよぅラーズ。
罠に獲物が掛かったかどうか、どうやって確認すんだよ?
丘陵から現場へは相当距離あるぜ?」
シェドがもっともな問いを発し、
これにはディードが
「狼煙ですね……
罠を仕掛けた当人であれば
狼煙の意味するところが判らなくても上がった場所、
上がった事実そのもので展開は察知できるでしょう。
北往路での戦いも、切っ掛けは狼煙でした。
奸知公爵は狼煙について必要十分な知識を持っているかと」
と答えてみせた。
「奸知公爵は傍観者だ。宴への、即ち
百頭伯爵と我々との戦いへの直接的な関与は好まない。
さらに一方的な試合展開を嫌っている。
こちらが劣勢と見て百頭伯爵の奇襲を報せてきた程だ。
ここで討伐隊や救援部隊を始末すれば、城砦側の戦力は
深刻な程衰える。意図としてはむしろ我々に百頭伯爵を
出し抜く機会を与え、競り合う様をほくそ笑みつつ
眺めているのではないかな」
サイアスは奸知公爵の意図を類推しつつその様な見解を述べた。
「まぁ最初に言った通り、思惑についちゃさっぱりさ。
だがな、奸知公爵の狙いについちゃ、極めてはっきりしてんだろ」
ラーズはじっとサイアスを見つめ、
「大将、あんただよ」
と結論付けた。
「……」
サイアスは微かに柳眉を上げ
嫌そうな顔をして押し黙った。
「単に討伐隊と救援隊が飛び出してきただけなら、
百頭伯爵と城砦側の競り合いをほくそ笑んで眺めるだけ
だったかも知れねぇがな。どっちかの部隊に大将が
含まれてるとなると、意趣返しの一つもするんじゃねぇか?
城砦内に籠られたんじゃ捕まえようがねぇが、ここなら
気軽にお持ち帰りできる訳だからな」
ラーズはサイアスの表情に苦笑しつつ、
肩を竦めてそう言った。
「ふむ…… 調虎離山、三十六計の一つが成立する訳ですか。
深謀遠慮にして機略縦横たる奸知公爵の面目躍如といったところですね。
しかしラーズさん。単なる傭兵上がりとは思えぬ慧眼ですね」
ルジヌはすっかり感心した様子だった。
「個人傭兵ってのは戦況が読めねぇと話にならねぇんでな。
生き延びるにはそらぁ必死で知恵を絞らねぇといけねぇんだ。
使い捨ての傭兵なんぞ、誰も護っちゃくれねぇから、なっ」
弓弦が鳴り渡り、一矢が飛翔した。
矢は南方上空に出現した黒い影を射抜き、
飛影はキリキリと地へ落ちていった。
「罠なのは間違いないようね。
サイアス。貴方本当にモテるわね……」
妖艶な笑みを浮かべ、どこか呆れた風にそう言うと、
マナサは部隊に停止を命じ、状況確認を急がせた。
南方上空の黒い影は徐々に増え、今や一群を成していた。
また奇岩の林の陰からは次々と人の顔を持つ不気味な獣が
姿を見せ、徐々に速度を上げて迫っていた。
「嬉しくない……」
グラニートからミカに飛び移り、
デネブから槍を受け取ったサイアスは仏頂面でそう言った。
「ルジヌ。観測を」
いまだ十分な距離がある南方の敵影を確認しつつ、
マナサはルジヌにそう問うた。ルジヌは
遠眼鏡を取り出して暫し観察したのち、
「南方上空より羽牙17。
南方奇岩群からできそこない20
大口手足20。計57体。推定累計戦力指数220。
距離3000。地上部隊との会敵予想時刻は7分後です」
と抑揚なく答申した。
「あらあら。結構来たのね……」
マナサはどこか楽しげにそう言った。
サイアスはそんなマナサに対し敬礼し、
朗朗とした声で進言をおこなった。
「マナサ様。敵の狙いが私であるとの確証はありませんが、
我々の目的はこの敵襲によって左右されるものではありません。
ここは我が小隊に退路の死守をお命じになり、騎兵隊と
参謀部の馬車はそのまま遺跡へとお進みくださいますよう」
「……ルジヌ。遺跡までの距離は?」
マナサはサイアスをじっと見つめつつそう問うた。
「およそ1万5千歩といったところです」
ルジヌは抑揚なくそのように答えた。
「空馬と馬車を遺跡において全速で引き返すとして、
どれくらい時間が掛かるかしらね」
「別途伏兵が無ければ、
概ね一時間といったところでしょう」
「ねぇサイアス。小一時間程凌げるかしら」
「お任せください。必ずや」
「そう、良い子ね……」
マナサは薄く笑って頷き、
「騎兵隊及び馬車群はこのまま進軍する。
遺跡に空馬と馬車を置いたら最大戦速で引き返すわよ。
進軍しつつ馬の調子を整えておきなさい」
と騎兵隊に下知を飛ばした。
「了解!」
騎兵隊や馬車の御者たちは一斉に返事した。
「私はこちらに残ります。
幌馬車の誘導をお願いいたします」
ルジヌは参謀部の幌馬車からサイアス小隊の後方の台車へと
その身を移し、同様にラーズが前方の台車へと飛び移った。
「えぇ、判ったわ。貴方たち、
必ず間に合わせる。待ってて頂戴」
マナサはそれだけ言うと騎兵隊を率い再び行軍を開始した。
「了解です。そちらもご武運を」
その背に敬礼し声を投げかけたサイアスは、
一拍置いて馬首を返し、自らの小隊を見やった。
「サイアス小隊、戦闘準備開始だ」




