サイアスの千日物語 四十六日目 その二十二
午前11時半ば頃。城砦北門の外は人と馬で満ちていた。
城門内側には規律正しく警備にあたる第一戦隊の1小隊が。
城門正面には同様に哨戒する1小隊があった。
城門正面の西側には、騎兵と空馬、さらには
馬車や台車がひしめいていた。第四戦隊と参謀部の合同部隊だ。
第四戦隊の15名はそれぞれの軍馬の頭部と胸前に
布と皮革で出来た薄手かつ硬質な装甲を纏わせていた。
騎兵の大半は上半身を重点的に防護する
ブレストプレートもしくはコートオブプレートと
海老の尾にも似た多段形状の第四戦隊仕様のサレットを着用していた。
また小具足の類はほぼ身に付けず、精々佩楯付きが混じる程度であった。
武器は手槍と帯剣が大半で、
鞍の後ろに盾や弓矢入りの箙を備えていた。
総じて騎乗戦闘を前提とした軽騎兵の装いだった。
マナサの愛馬にして名馬である連銭葦毛のクシャーナを除けば
これら騎兵の乗馬は一様に大柄で足も太く、毛並は茶褐色または
黒で尾や鬣は豊かであり、四肢の先にもフサフサとした飾り毛があった。
一方空馬の大半は装甲を纏っておらず、
ベオルクやデレクの愛馬を除けば馬体も肢もやや細かった。
これらは移動のみを主用途とする第二戦隊所属の軍馬であり、
栗色ないしは灰色の明るい毛並の個体が多かった。
第二戦隊の軍馬の中には、見事な河原毛の一頭が居た。
白に近い栗色の毛並を持ち鼻と四肢の先のみ黒いこの軍馬は、
グウィディオン戦の褒賞として第二戦隊兵士長たる
セメレーが貰い受けた名馬であった。
最も騎士に近い戦力指数を持つとされるセメレーもまた
討伐隊に含まれているらしい。サイアスはそのように理解した。
30数頭による軍勢の脇には、4台の車両が停まっていた。
一つ目は新造されたばかりの第四戦隊所属の大型馬車だ。
以前使用していたものは先だっての北往路での救援戦において
大ヒルによって粉砕されてしまったため、どうせなら、と
金属板で側面を覆った戦闘に耐えうる堅牢なものが用意されていた。
積み荷は予備の武器や食糧、薬品であり、これには
乗馬経験の乏しい3名が乗務し進むことになる。
続く二つは参謀部のもので、うち一方は四戦隊の馬車と同程度の
大きさの2頭立ての幌馬車。もう一方はその二倍近い大きさの
4頭立て板張りの貨車だった。貨車は天井までくまなく
板張りとなっており中身が見えず、かなりの重要物資と推測された。
そしてそれらの馬車の脇に、サイアス小隊の台車があった。
ランドの手によるこの台車は、四つの車輪を有する長方形の
荷台を持つという以外、他の馬車と完全に様相を異にしていた。
まず、この台車は2台を縦に連結したものであった。
前方の一台は比較的小型で、筒状の金属の骨組みを多用し
空隙に布を張った、軽量にして堅牢な特殊構造をしていた。
前方には大柄な輓馬が1頭繋がれており、
すぐ後ろにはほぼただの椅子と言える程切りつめられた
御者用の単座が。さらに後方には金属材を中心として作られた
小型の攻城兵器の基部とやはり椅子そのものな単座が設置され、
余白地には攻城兵器の部材と矢玉の類が積まれていた。
連結された二つ目の台車は、一つ目の倍近い規模があり、
木材を中心として作られた屋根の無い馬車に近かった。
俯瞰した形状は長方形だが前方側面は他の二倍の高さに伸び、
内側は二段になって薬品貯蔵庫及び書棚と調合用の作業机を兼ねていた。
すぐ後方は左右側面から内側へ倒しこまれた装甲版が長椅子と化しており、
これらは立てれば前方側面と同じ高さとなり、
その下からは治療用の寝台が現れる仕掛けとなっていた。
サイアスとラーズを除く小隊の面々は、
この台車と呼ぶには抵抗感のある奇妙な車両に分乗していた。
前方の戦闘用の車両には御者用単座にシェドが、
攻城兵器側面の単座にはランドが乗った。
また後方の治療用の車両には女性5名が搭乗し、
予備の馬としてグラニートを併走させることとなった。
小隊長であるサイアスはミカに騎乗し、騎兵隊や
馬車群の様子を確認しつつ軽く駆けて調子を整えていた。
時折金筋の走る漆黒の毛並を持つミカには
他の第四戦隊騎兵と同様シャフロンと呼ばれる面頬と
ペイトラルと呼ばれる胸当てが装着されており、
他の騎兵と違ってこれらには蒼の装飾的な縁取りがなされ、
胸当てには幾条もの色とりどりの房飾りが付いていた。
また鞍の後方左右には、細身の柄を持つ旗が取り付けられていた。
蒼を基調とした旗の布地は上辺が長い四角形をしており、
右の旗には中央城砦と第四戦隊の紋章が。
左の旗にはカエリア王国とラインドルフの紋章が
それぞれ金と銀で描かれていた。
繚星とククリを腰に帯び、背に八束の剣を、右手に一槍を。
着々と新発に向け準備を進める部隊を鼓舞すべく、
サイアスとミカは飛翔するように駆けた。
駆け巡る人馬に合わせて両の旗が風に靡く様は
まるで翼のようであり、天馬騎士の名に相応しい姿であった。




