サイアスの千日物語 四十六日目 その二十
寝室に戻ったサイアスは寝台に腰掛け、一つ長い溜息を付いた。
そして勝手に巻き付いていた生きた剣帯とユハを外し、
抱いて寝たい程お気に入りな繚星と共にすぐ手の届く位置に置いて
寝入る準備を進めていた。するといつの間にか視界の隅にニティヤが居て、
「何を思いつめているの?」
と問い掛けた。
「……? 急に、何?」
サイアスは首を傾げて問い返した。
「もしかして、気付かれてないと思っていたの?
貴方、自分で思っているより遥かに表情に出ているわよ」
ニティヤは小さくクスリと微笑んだ。
「それで皆心配をしていたのだけれど。
奸知公爵の件は寝耳に水といったところね……」
ニティヤの目に危険な色が混じった。
サイアスは蒸し返されては堪らぬとばかりに
横になり、寝入ろうとした。
「……誰か、死なせたの?」
ニティヤの一言にサイアスは動きを止めた。
そして中途半端な姿勢のまま、真っ直ぐニティヤを見返した。
「何故そう思う」
「貴方、自分の事で悩んだりはしないでしょう?
戦闘から戻ってその表情なら、予測は付くわ……」
「……」
サイアスは沈黙し、目に見えて消沈した。
いつの間にか枕元に座っていたニティヤは
サイアスの上半身を抱き寄せ、頭を自らの膝に乗せた。
「……親しい人だったの?」
サイアスの髪を撫でながら、
ニティヤは優しげに尋ねた。
「ファータさん」
「……誰?」
聞き慣れぬ女性の名を聞いて
ニティヤが一気に不機嫌になり、サイアスは
「おっと。フェルマータさんがファータに改名したんだよ。
略称でフェルにしようとしたけれど、フェルは居るからね……」
と慌てて補足した。
「あぁ…… 成程。
そう。あの人、亡くなったのね……」
セラエノの庵で共にお茶会をしたこともあり、
サイアス一家とファータは顔馴染みで親交もあった。
「いや、生きてはいる。
ただ、精神が傷んでしまったんだ」
サイアスは応接室では細部を省いた
カペーレ戦について、改めて詳説した。
「そう、そんなことが……」
「外に出る前に、約束していたんだ。護るって。
なのに実際はこちらが護って貰った。
自身の正気と引き換えに業火の嵐を発現させたんだ」
サイアスは目を閉じ、手で額を押さえた。
「いつも笑顔だし、楽しげだし、良い友人だと思っていたから、
このような結果になってしまって、流石に堪えたよ」
「そう……」
「我が身の事は覚悟している。将を演じろというならそれもいい。
でもやはり親しい人が傷つき倒れるのを見るのは、辛い。
他の兵には平気で死ねと命じつつ、親しい者は特別扱いする
そんな自分に対しても、些かうんざりしているところだよ」
再び見開いた視線を泳がせ、
棚や机に灯るランプの灯りをぼんやりと眺めつつ
サイアスはそのように語った。
「私たちの事で、不安になっているのね」
ニティヤはすぐに真意を悟った。
「大事なものができ過ぎたかな……
本音を言えば、皆には平原に、
ラインドルフに戻って欲しいと思っている」
サイアスは溜息交じりでそのように呟いた。
「お断りよ」
ニティヤはサイアスを見つめ、断言した。
「判ってるよ。判ってるけれど」
サイアスは苦悩し、そう言った。
ニティヤはサイアスの頬に手を添えしかと覗き込み
「それに貴方、思い違いをしているわ」
と真剣な表情でそう言った。
「?」
「荒野に居る皆は、それぞれが自分自身の
戦う理由を持っているのよ。貴方の思惑に関係なく、ね。
そして大切な人を護りたいと思っているのも貴方だけじゃないの。
ファータだって戦う理由があって戦場に立ち、
貴方や仲間を、騎士団や人の世を護りたいと思ったから
身を挺することを選んだのよ。ファータにとってそれら全てが
掛け替えのないものだから。命に代えても護りたいと思ったから。
彼女は自分の意志で、護られることよりも護ることを選び、全うした。
貴方は彼女のそうした全てを否定するの?」
「……」
ニティヤの言葉に、
サイアスは何も言い返せなかった。
「私たちだって、皆それぞれの想いがあって荒野に居る。
私たちだって、護りたい。命を懸けても護りたいの。
部屋で帰りを待つだけでも胸が締め付けられる程辛いんだもの。
平原に置き去りにされたらそれだけで死んでしまうわ。
私としては平原や人類なんてどうなっても構わないけれど、
貴方やラインドルフは身を賭しても護りたいと思っているわ。
判る? 私たちは私たちの意志で貴方を護り、戦いたいの。
喩え貴方を殺してでも共に居るわ。私は本当にやるから。覚悟なさいな」
ニティヤはそう言って薄く微笑んだ。
「本当に物騒な嫁だな……」
サイアスは苦笑しつつしみじみとそう言った。
「何とでも言ってなさい。
ともかく貴方に決定権はないわ」
ニティヤは勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
「セラエノ閣下に言われたこと、その通りだったな。
『悲嘆するより称賛を』って。騎士団長もそうしていた。
私も判ってるつもりだったんだけどな……
今度ファータさんにあったら徹底的に褒めちぎらないと」
「そうね。それが良いわ」
「そして『如何なる変容を迎えようとも、友のままでいてやってくれ』
と言われた。それでちょっと感情的になって、泣いてしまったんだ」
サイアスはやや気まずそうに、恥ずかしそうにしていた。
ニティヤはそんなサイアスの頭を抱きかかえた。
「自分や仲間のために泣いてくれる人の事を、
馬鹿にする者なんて居ないわ。恥じ入ることなんてない」
「そう。そうだね。色々有難う。
……すっかり甘えてしまったようだ」
サイアスは少し照れてそう言った。
「ふふ。好きなだけ甘やかしてあげるわ」
ニティヤは優しげに、そして得意げに微笑んでいた。




