サイアスの千日物語 四十六日目 その十九
居室の応接室をやたらと重苦しい空気が占拠していた。
百頭伯爵の顕現を目撃した指令室の方が数倍マシだった
とサイアスは感じていた。さらに言えば、何となくではあるが、
チェルニーが実家に寄りつかない理由が判ったような気さえしていた。
「奸知公爵…… 他人様のモノに手ぇ出そうとは。
これはタダで済ますわけにはいかないわね……」
早速ロイエがギラリと危険な眼差しを、
何故かサイアスに向けていた。
「八つ裂きにしてやろうかしら……」
やはりサイアスを見つめつつ、ニティヤがそう呟いた。
実績があるだけに洒落になってはいなかった。
サイアスは奸知公爵への怒りが自分に向けられることに
理不尽さを感じ、奸知公爵討つべしとの決意を新たにした。
「取り敢えず、一通り話は済んだ。
湯浴みして宜しいかな……」
「行ってよし!」
「どうも……」
ロイエらの許可を得て、
サイアスはげんなりした様子で洗面所へ消えた。
「……」
その様子をニティヤが無言でじっと見つめ、
「まーだ何か、隠してるわね……」
とロイエが呟き、女衆は一斉に深く頷いた。
「隠し事というよりは、悩みの類のようね」
「おっ、流石本妻。じゃあ、あとはお任せするわ!」
ロイエはニティヤの観測にそう応じると、
一つ伸びをしてベリルを捕まえた。
「ひゃっ!?」
「休憩休憩! 寝ちゃってもいいわよ!」
ロイエは驚くベリルを抱き枕代わりにして、
寝室側の壁際にずらりと並ぶ
大きなふかふかのソファーにぼふりと転がった。
ベリルは呆気に取られ硬直していたが、どうやら
ロイエもサイアスの事が心配で仕方なかったらしいと気付き
妙に安堵して大人しく一緒に転がり、そのうち寝息を立て始めた。
ロイエはそっと寝入ったベリルを抱きかかえて寝室へと運んだ。
「待つ身がこれほどに歯がゆいとは、
よもや思いもしませんでした」
応接室にはニティヤ、デネブ、ディードの
3名が残っており、そのうちディードが苦笑してそう言った。
「ずっと最前線に居たの?」
ニティヤは小さく頭を振るディードにそう問うた。
「入砦して一年程は第一戦隊配属でしたので、
専ら内郭での訓練と防壁上の守備を。
第二戦隊に異動してからは数少ない盾使いとして重宝され、
哨戒任務を中心に連日出動しておりました」
「連日? それは大変ね……」
「他にすることも無かったのです。
騎士になるにはそれが最短の道のりでしたし」
ディードは微かに寂しげな表情をしていた。
「そう、残念だったわね……」
「誤解なさってはいけませんよ?
私は今の暮らしをとても気に入っています。
もう自らが騎士となることに未練はありません」
気の毒そうに見つめるニティヤに対し、
ディードは笑ってそう答えた。
「ディードって凛々しくて大人の女性って感じよね!
よく周りが従者になるのを反対しなかったわね。
サイアスだって一応男なのに。
咎める彼氏とか居なかったの?」
寝室から戻ってきたロイエが興味深げにそう問うた。
「一戦隊では女性のみの部隊に居りましたし、
二戦隊では召集に参じて部隊を編制するので
異性との付き合いはありませんでした。
そもそも興味が無かったのです」
「今22だっけ? じゃあ入砦する前は?
好きな人とかいなかったの?」
「神職として、身を慎んでおりましたので。
そもそも城砦へとやってきたのも
結婚が嫌だったからというか……」
「ふむふむ、詳しく」
ロイエは目を輝かせ、全力で聞く姿勢に入った。
ニティヤやデネブもやぶさかではない様子だ。
「お話するようなことでもないのですが……
私は東方諸国のうち多くの神を日常的に祀るとある国の
小さな社で、神に仕える禁欲的な暮らしをしていました。
しかし戦乱による荒廃で社が立ち行かなくなり、その際に
地元の有力者が両親に私を嫁に寄越せと迫ったのです。
そうすれば社の再興を考えてやると」
「うわー、下種いわね。
ありがちっていえばありがちだけど」
ロイエはすっかり話に夢中となっていた。
「えぇ。私もそう思いました。きっと神職の権威で
出自に箔を付けたかったのでしょうね。
両親は社の有無は信仰に関係ないからと、
私の好きなようにして良いと言ってくれました。
私としてはそれまでの巫女として生きた19年間を
汚されるなぞ死んでも嫌だと感じたので、せめて
両親の不利益とならぬよう、荒野へ向かうことにしたのです。
その際御神体であった繚星を持ち出したのは、
まぁ、餞別代りということで……」
「ぅわ、御神体泥棒はここに居た……」
ロイエは開いた口が塞がらないようだった。
「……オホン。鏡と勾玉は置いてきましたし、
まぁこれくらいの我儘は可愛いものでしょう、多分……
ともあれそうしたわけで入砦し、その後は自身の価値を見出すべく
ひたすらに戦い、絶対強者たる城砦騎士を目指していたのです。
ですから私には浮いた話などまるでありませんよ。
ロイエの方がむしろ色々と有るのでは?」
ディードはロイエへと矛先を向けた。
「私? 12の時に母さんが死んでから
ずっと家計と傭兵団の切り盛りしてたわ。
父さんも皆も脳筋だらけで稼ぎの勘定すらしないのよ!
頭にくる! ってもう皆死んじゃったけどね!
お蔭でむさくるしいおっさんどもから
いつもオカン呼ばわりされてたわ……
ニティヤ、あんたは?」
「箱入り娘、お姫様、修行、暗殺者、おしまい。
父親以外の男とは口を聞いたことすらなかったわね。
行商も女性だったし…… でも全然困っていないわ。
男なんてこの世にサイアスだけで十分よ。他は要らないわ」
ニティヤはさらりとそう語った。
「これはまた極端ねー」
「そうかしら? まぁ些末なことよ。
それよりそろそろ切り上げましょう。
サイアスが困っているわ。フフ……」
ニティヤは微笑しつつ洗面所の方を見やった。
すると観念したらしいローブ姿のサイアスが
ひょっこり姿を現した。
「あんた! 聞いてたの!?」
「不可抗力だ。無罪を主張する」
これ以上断罪されては身が持たぬとばかり、
サイアスは自身を弁護した。
「まぁいいわ! この際だからディードも嫁に貰いなさい!
四号ね! いいでしょ!」
「ロイエ!?」
ロイエの思いつきにディードは驚いて声をあげた。
「ディード、聞き流していいから……」
サイアスは溜息を付きながら首を振った。
「……いえ、折角ですから私も。
今後は執事兼四号でお願いします」
ところがディードはクスリと笑い、話に乗った。
ニティヤは薄く笑みを浮かべ、サイアスに言い放った。
「貴方に拒否権はないわよ。
これもラインドルフ繁栄のため。観念なさい」
「はぁ、そうですか……」
もはや是非もなし。
さっさと寝るに如くはなしとて、
サイアスはこめかみを押さえつつ寝室へと向かった。




