サイアスの千日物語 四十六日目 その十三
チェルニーとサイアスは指令室へと戻った。
歩哨の敬礼を受け室内へと進む二人の背後に
アトリアとファータの姿がないのを見て取って、
セラエノは即座に状況を察したようだった。
「お帰りさない。ご無事で何より。
こちらの進捗は至極順調。予定通りに進んでいます」
セラエノは微かに笑んでそう告げ、
ことさらに軍師の不帰を問うことはしなかった。
「新兵カペーレであった異形の体内に
先日空中戦で遭遇した四枚羽の羽牙が潜んでいました。
飛来した目的はほんの挨拶といったところでしょうか。
戦闘になりましたが仕留めるには至らず、
四枚羽は瀕死の状態で北東へと逃亡しました。
またこの戦闘でファータさんが魔術を使用し
精神状態が悪化。アトリアさんに付き添われ後退しました」
サイアスは淡々と、
しかし表情に苦悩を滲ませ報告した。
指令室の軍師衆は、あるいは瞑目し、
あるいは頷きサイアスの報告に聞き入っていた。
「魔術か…… 何を使った?」
セラエノは目を細めサイアスに問うた。
それを受けチェルニーがサイアスに代わり
「『業火の嵐』だ。畏れ入ったぞ。
儀式魔術を単独で即座に発現させるのだからな……
四枚羽がまき散らしたカペーレの腐肉から
俺たちを護り、なおかつ四枚羽をも焼き払った。
流石は元『光の巫女』だ。望むまま褒賞を与えてやれ」
と説明した。そして小さなどよめきの起こる中
チェルニーは司令席に着き、ただ静かに息を吐いた。
儀式魔術とは、祭壇を設営し入念な準備を施して
大勢で行う神事や祭事の範疇であり、神職の主催する
豊作祈願や雨乞い等と同様、人手と時間を掛けてなお
効能の保障されぬ、大規模ながらも不安定な代物である。
勿論、仕手たる術者衆が「本物」であれば
効能は確かであり、城砦騎士団が宴で用いる「精神の矢」も
こうした儀式魔術の一つであった。
よって儀式魔術は、単独で即座に効能を現出せしめるような
即時性を有しない。にも拘らず危急に際し如実に成し得たのは
ひとえに仕手であるファータの持つ比類なき魔力と魔術技能、
そしていかなる狂気にも屈さぬ強靭な精神あってのことだった。
「……そうですか。のちほど手厚く報いるとしましょう。
それで、カペーレの『挨拶』とは?」
セラエノは小さく頷き賞を約すのみで
特段の感慨を示すことなくそのように問うた。
「ヤツの、いや奸知公の狙いはコイツだ。
歌うわ飛ぶわ暴れるわで、とにかく出鱈目に派手だからな。
流石に興味が湧いたのだろう。名前を覚えて引き揚げていった」
チェルニーは眉間に皺を寄せ、
苦笑交じりにそう言った。
「それはまた……」
セラエノはやれやれといった風にサイアスを見やった。
一方のサイアスは欠片も意に介さず
「奸知公爵には私を囮とした策が有効でしょう。
その程度の認識で良いかと。
それよりもファータさんの容態が気掛かりです」
とファータの状態を気にしていた。
「暫く安静にしていれば、
元の状態に近いところまでは回復するよ。
心配しなくていい」
「元の状態そのものには戻らない、と?」
苦笑して僅かに瞑目するセラエノを
瑠璃色の瞳でじっと見つめ、
サイアスはそのように問い詰めた。
セラエノはサイアスを同じ色の瞳で見つめ、
諭すように言葉を紡いだ。
「……騎士や兵士が身体を張るように、
軍師は精神を張っている。そういうことさ。
悲嘆するより称賛を。そして出来れば」
セラエノは暫し言葉を止め
「いかなる変容を迎えようとも、
友のままでいてやってくれ」
と寂しげに微笑んだ。
「勿論です。何があろうとも、絶対に……!」
サイアスは知らず、叫んでいた。
拳を握りしめ、瞳に涙すら浮かべていた。
どうやら感情がたかぶっている。そう気付き、
サイアスは椅子に深く腰掛け、深呼吸した。
「フフ、ありがとう。それで十分さ。
さぁ、戦はまだ続いている。戦況の説明をさせてくれ」




