サイアスの千日物語 三十日目 その五
城砦騎士ヴァンクイン率いる偵察小隊は、その目的を偵察から
威力偵察、さらには敵中突破へと変更し、最終的には現状を
報告すべく、城砦を目指して西へと移動を開始した。
前曲の中央にはヴァンクイン。そのやや後方両翼には3名の新兵。
中央には兵士長アッシュとヴァンクインの乗馬、加えて馬に担がれた
3名の重傷を負った新兵。そのやや後方両翼には、左に3名、右に2名の
新兵が付き、最後方には兵士長ディードが控えた。
一向は城砦から見て二番目に近い狼煙を目指し、慎重に歩を進めていた。
戦闘の喧騒は既に遠い彼方へと去り、うって変わった静けさが不気味に
周囲を包んでいた。第二の狼煙へ向かって川はやや北西へと傾き、
大湿原の末端もまた、北西の突端目掛けてせり出して、
往路の幅がやや狭まった地点が近づいてきた。その時。
暗く淀んだ川の水面に、無数の水泡が浮かびあがり、
ボコボコと音を立て始めた。慌てて武器を構える新兵たちの眼前で、
派手に水しぶきを上げながら、新たな脅威が八つ、出現した。
眷属「魚人」だ。二本の足に二本の腕という点では人に似るが、
胴と頭は魚類のそれであり、また全身を覆った鱗が
川の淀みを含んでヌラヌラと輝いていた。
目を背けたくなるような、醜悪な出来の戯画のような8体は、
ビチャリ、ビチャリと足音を立てつつ徐々ににじり寄ってきた。
ぞぶり。
一向の左後方から、再び聞きたくはなかった音がした。
次いで、どっ、と地に伏す音が三つ。慌てて見やったその先では
3体の羽牙が口から血を滴らせつつ飛び交い、
その下で3名の新兵が倒れ、勢いよく鮮血を噴いていた。
倒れた新兵たちは、いずれも頭を失っていた。
頭を失くした新兵たちの脇では、
兵士長ディードが1体の羽牙と戦っていた。
かろうじて奇襲を防いだようだが、左肩の装甲が欠け、
その周囲が赤く染まっていた。
「チィッ、ディード!」
ヴァンクインはそう呼ばわりつつ、左手だけで飛刀を投げた。
右手はグレイブを手に魚人を警戒している。
飛刀は新兵の屍の上を飛ぶ3体のうち1体に命中し、
目と翼を射抜かれた羽牙はきりもみしながら地に落ちた。
残り2体は上空へ退避し、やがて湿原の奥へと逃げ去った。
脇では丁度兵士長ディードが一体を撃破し、
地に落ちた1体に止めを刺していた。
魚人たちはこうした状況を遠巻きに眺め、ブクブクと口から泡を吐き
身体をゆすって蠢いていた。どうやら笑っているようだ。
「馬を中心に円陣を組み、ディードを先頭に撤退しろ!」
ヴァンクインはそう吠えると魚人へ向かって歩みだした。
「貴様らは俺に付き合うがいい……」
新兵たちの多くは既に完全な恐慌状態にあった。目は充血し手は震え、
手にした武器を取り落とし頭を抱えてうずくまる者もいた。
「しっかりしろ! まだ助かる!」
兵士長アッシュは叱咤し、かろうじて平静を保っていた数名に指図して、
重傷者3名を乗せた馬を中心に円陣を組ませた。殆どの新兵は
血の気の失せた顔を頷かせ、何とか指示に従ったが、うずくまった1名
は赤子のように指を咥えて何事かぶつぶつと呟いており、
梃子でも動こうとしなかったため諦めることにした。
生きる意志の無い者を、救う余裕は既に無かった。
第二戦隊所属の偵察小隊は、3名の死者と3名の重傷者、
1名の脱落者を出し、騎士ヴァンクインを残して撤退を開始した。
兵士長アッシュは重傷者の介抱で動けず、未だ戦闘に耐えうるのは
手傷を負った兵士長ディードといまにも正気を失いそうな新兵7名。
絶望的な逃避行だった。




