サイアスの千日物語 四十六日目 その九
未だ姿の見えぬ此度の宴の残る一柱、
おそらくは伯爵級の魔の策による
攻城兵器群を狙った一個飛行戦隊による電撃戦は
羽牙5体を残して壊滅という結果に終わった。
残る羽牙5体はというと高度的に相当な無理をして
神鏡の座所にまで飛来し、昨夜の宴においてとりわけ
機能的だったこの座所へ損害を与えようとしたが、
剣聖ローディスの命により単身で防衛の任に就いていた
抜刀隊一番隊組長たる城砦騎士ミツルギによって殲滅された。
振れば松籟の鳴り響く妖刀「松風丸」を縦横に振るうミツルギは
芸術的な太刀捌きで瞬く間に5体の羽牙の翼のみを斬り落とし、
胴体をまとめて縛り上げて駆け付けた兵士らに引き渡した。
「いやはや実に見事なものだ。
が、果たしてアレはどうするのかな……」
ブークはミツルギの技の冴えに感嘆し
一方で締め上げた羽牙を運ぶ兵士らに苦笑した。
「神鏡に障りを出すわけにもいきませぬゆえ、
別所にて処分を。屍は如何様にも用いることでしょう」
ミツルギは残った兵士らに
散らばった翼の回収と血痕の除去を命じていた。
「万が一ということも御座いますゆえ、
夜明けまでこちらにて控えておりまする」
ミツルギは深々と一礼してそう告げると、
すぐに暗闇に紛れて見えなくなった。
「剣聖閣下より状況終了の報告を頂きました」
仄暗い指令室に軍師の声が響いた。
「そうか。閣下は?」
「外郭北東区画へ向われました」
「成程ね。了解した」
セラエノは手短かに応答して情報を処理し、
次いで神鏡の座所の状況を確認した。
「こちらルジヌ。座所を襲撃した羽牙は全て
抜刀隊のミツルギ卿が撃破いたしました」
ルジヌは普段通りの冷徹な声でそう応えた。
「了解した。やはりそこまで飛んできたか。
連中は斜面をうまく活用したみたいだね。まぁ良い。
ルジヌ、ミカガミに精神の矢を準備させてくれ」
「了解しました」
座所との連絡を終えたセラエノは
玻璃の珠時計を確認した。
時刻は間もなく3時になろうかというところだった。
「防壁上に展開中の部隊は
一隊を除き全て南西部の守備に当たれ。
本城中層南西域及び外郭南西区画の攻城兵器部隊に
『火竜』の準備をさせておけ。一気に削るぞ」
司令席のチェルニーは低い声でそう命じた。
「魔の寿命を一日削るのですね」
チェルニーの意図を汲んだサイアスがそのように述べ
頷いていた。夜明けの近い今から死体を連ねて
繭を現出せしめ、魔を顕現させ得れば、
ロクな戦闘とならぬうちに撤退させることができ、
一夜分魔の寿命を浪費させられる。
「そういう事だ。
攻城兵器群に通達。目標、座標9ー9。
整い次第撃ちまくれ!」
チェルニーはセラエノの進める天雷の準備を
待つつもりはないようだ。そしてセラエノも特に
チェルニーの意向を止める気配を見せず、むしろ
軽く頷きアトリアや近場の軍師に声を掛けようとした。
が、そのとき
「報告! 外郭北東区画の映像に変化あり!
カペーレが」
珍しく抑揚の強い声で軍師の一人が急報した。
「なんだ。カペーレがどうした」
チェルニーがギロリと軍師の方を見つめ、
その先の壁面に映し出された映像に目をやった。
「カペーレが営倉から出てきました」
壁面の映像は第一戦隊教導隊が重囲する中、
営倉の扉を押し倒すようにしてノロノロと歩み出る
異形のカペーレを捉えていた。
「……ほぅ」
「あらら、酷いことになってるねぇ」
カペーレは未だ人型を保ってはいたが、
その動きといい色合いといい表装といい、
生者と呼ぶには躊躇われる程に様変わりしていた。
両の足は下方に向かって膨れ広がり崩れ始め、
胴の中央では大きな口が最早別の生き物の様に蠢き、
着用しているスケイルメイルがその周囲に
皮膚のように張り付いていた。
また両の腕は肩からダラリと垂れ下がりつつ
時折触手のようにうねうねと揺れ、土気色の顔は表面が
徐々に溶け出し、頭髪はズルズルと抜け落ちて
殆ど残っていなかった。乱雑ながらも一言でいえば、
それは崩壊の始まったふやけた腐乱死体の如き有様であった。
「酷ぇな。腐ってやがる」
チェルニーが顔をしかめ
吐き捨てるようにそう言った。
「美しくないなぁ……
魔力の供給が止まったのかな」
セラエノは冷たい目でカペーレを一瞥し、
状況を分析していた。
「元々屍だった、ということですか?」
サイアスがセラエノにそう問うた。
「んー、確証はないけれど。
屍蝋処理でもしてたんじゃないかな。
それでちょうど良い機会だから封筒代わりに
使った的な……」
「成程……」
サイアスは意外にもあっさり納得し、
セラエノはそれを見て薄く笑んだ。
屍蝋とは寒冷な水中などの特殊な条件下で屍の腐敗を抑制し
脂肪分を蝋化させて生前の外観を保つ現象や状態を指す。
乾燥させて腐敗を防ぐミイラとは真逆の着想と方策であり、
専ら魔術や秘教の領域であって、およそまともな発想ではなかった。
かようなセラエノの言動はおよそ非常識極まりないものであったが、
そもそも常識などまるで通じぬ魔のやることであるため
不思議なほど自然にサイアスは納得してしまったのだった。
と、その時カペーレの顔がぐねりと動き、こちらを見た。
指令室にくぐもった悲鳴が響いた。
実際には指令室へと映像を送る、外郭北東区画に設置された
玻璃の珠を見つめただけなのだが、到底それだけでは済まされぬ
不吉な直感と焦燥感を指令室の一同に抱かせた。
「……見ているな。
こちらに気付いているようだ」
チェルニーが低い声でそう言った。
サイアスもまたカペーレが自分を見つめ、
ニヤリと笑ったような、そんな気がしていた。




