サイアスの千日物語 四十六日目 その七
俯瞰すれば正方形をした中央城砦。その外周たる防壁は
一辺につき平均的な兵士の足で4000歩強の長さを持ち、
平均的な兵士の2倍を超える身長であるオッピドゥスを
さらに3倍した程度の高さを具え、さらに家屋数軒分の厚みがあった。
防壁内にはいくらかの通路や射撃用の窓が。
防壁上には小隊が戦闘展開できる程の広さがあり、
専ら弓兵による支援攻撃や狙撃、または軍師による戦場観測
さらには小規模な攻城兵器の運用などに使われていた。
防壁は人より大柄な体躯の眷属がぎりぎり超えられない
規模を前提に建造されていた。囮の餌箱であるこの陸の孤島が
余りに強固では攻略を諦め、放置して直に平原へと
進軍される可能性もあるからだ。
小規模な街程度には広いこの中央城砦に対し、
詰める兵士は僅かに1000名前後。非戦闘員をいれても
2000名強といった様相であり、広さに比して人員は随分少なかった。
荒野の眷属の殆どは陸上種であるため、主力部隊が出陣しても
大抵の眷属に対しては防壁のみで防衛を果たせる状態であったが、
城砦の東に拡がる大湿原から飛来する羽牙だけは
別途弓兵等で直接対応する必要があった。
ゆえに今宵の宴においても城砦の東防壁上には
第三戦隊の弓兵70名のうち過半数を超える50名弱が
小隊単位で要所に散開・待機し、加えて第一戦隊の一個小隊15名が
通常任務として東の防壁上を南北に定期巡回し哨戒していたのだが、
こうした東防壁上に展開する部隊の内、最も南方に詰める
15名の第三戦隊狙撃小隊の東上空に、奇妙な物体が迫っていた。
轟々と焚きあげられる篝火で底部をてらてらと照らしあげられるその物体は
人の数倍の大きさがあり、黒く濁った泥水の雫のような形状をして
防壁よりさらに高い位置を上下にゆらゆらと揺れながら迫っていた。
見る間に数は増えていき、今や空飛ぶ泥滴は30に近く、
不安定な挙動ながらも駈足に近い速さで迫っていたのだった。
何だアレは、などと悠長に間の抜けた問いを発する者はいなかった。
セラエノとサイアスを除く全ての飛行物は即座に撃ち落とせと
既に命が下っていたからだ。そしてこの汚泥の雫の如き物体は、
色も形も前述の両者とはかけ離れていた。
「撃ち落とせ!」
明快至極な下知のもと次々と弓弦が鳴り響き、
僅かな閃光と共に多量の矢が空飛ぶ泥に似た玉へと殺到した。
闇夜で下部のみ照らし出している視界状況の不安定さや
弓兵たちより高い位置を高速で抜けていく挙動のために
有効な射撃を繰り出すことは難しく、撃墜し得たのは
30弱のうち僅か5のみであり、うち10強は既に
上空を抜け本城へと侵攻していた。
「チィッ、せめて残りは確実に落とせ!」
隊長の檄に応じて弓兵たちは残る泥滴に斉射を試みた。
状況に気付いた北側の小隊からも支援射撃が入り、
結果撃墜数を4増やすことに成功したものの、
さらに3が追加で通過し、防壁を超え
本城へと抜けた泥滴は全部で15となっていた。
そして斉射を浴びたうち撃墜には至らなかった3つが
防壁の上に墜落。音もなく飛散し低い姿勢を保って
カサカサと左右に動いた。その時になって漸く兵士たちは
この奇妙な泥滴の正体を悟ることとなった。
泥滴の正体とは、大柄な羽牙にしがみつくようにへばりついた、
複数の大口手足だったのだ。羽牙1体につき3体の大口手足が
まるで果実か何かのようにしがみ付き、
夜陰に乗じて城砦へと電撃戦を仕掛けてきたのであった。
防壁上に墜落した泥滴のごとき羽牙玉のうち
矢傷で動かなくなった数体を除く6体程の大口手足は
怒りと殺意と食欲とを剥き出しにして弓兵小隊目掛け殺到し、
そこに巡回していた第一戦隊の一個小隊が
東壁中央の狙撃小隊と共に駆けつけて暫し激しい乱戦となった。
従来なら二線級が主となる一戦隊の哨戒小隊は
昨夜主戦力として出陣していた精兵隊のうち負傷の無い者が
待機代わりに引き受けていたため、最低限の被害で
全ての大口手足を撃破することに成功した。しかし
それでも弓兵5名と一戦隊兵士3名が死傷することとなった。
また大口手足を運んでいた大柄な羽牙は乱戦の中本城へと、
その中層南東域にある攻城兵器群へと、
先行する泥滴を追って飛んでいったのだった。




