サイアスの千日物語 四十六日目
午前0時。城砦本城中央塔上層13階、指令室。
薄明かりの中、天井や壁面には無数の闇と篝火が映し出され、
来るべき狂乱の宴の先触れが集うのを待ち受けていた。
城砦のある荒野のこの領域の眷属の大半は
南西の丘陵地帯に集結しており、宴に加わる気配はなかった。
光への憧憬よりも宴への衝動よりも、もっと強大で
絶対的な意志によって支配され、従属させられていたからだ。
城砦近傍で徐々に数を増す眷属は全て
遥か西方より長駆押し寄せたものどもであり、
普段目にするものに比して、やや大振りでどこかしら違っていた。
「西方より参集した眷属は城砦南西、
座標9ー9付近に布陣を整えつつあります。
その数および最終的な陣容についてはまだ不明です」
軍師の一人がその様に報告した。
「反射板の設置状況はどうだ」
司令席からチェルニーが問うた。
十分な休養を得た幹部3名は気力充溢し
最高の状態で指揮に臨んでいた。
「南西野戦陣後方の防壁上に4機。
座標5ー12です。固定はしていません」
「それでよかろう。中央寄りで待機させておけ」
軍師の答申にチェルニーは頷いていた。
「今回の敵本陣は南西になるのですか?」
司令席の脇に用意された席に着いたサイアスが
映像を確認しつつチェルニーに尋ねた。
昨夜の戦闘で半壊した西側野戦陣はほぼ完全な状態に復旧しており、
今は第一戦隊の騎士数名とそれに従う30名程の兵士が
周辺状況と陣内の構造物の確認にあたっていた。
「最終的にはそうなる可能性が高い。
だがその前に一手や二手はあるだろう。
敵が今回の宴をどのようなものと位置づけているかにもよる」
荒野奥地からの参集に時間がかかり戦闘開始の遅延が著しい場合、
敵方は今夜の宴を移動と準備のみと割り切って
攻め手がおざなり或いはなおざりとなる可能性がある。
チェルニーはそのように示唆していた。
「一手や二手とは、件の新兵の件ですか?」
「それもあるだろうな。
まあアレに拘り過ぎん方が良いが」
サイアスの問いに対して
チェルニーは含みのある返答をし、セラエノを見た。
カペーレの件は既に参謀部では周知の様で、
指令室内に首を傾げる軍師は居なかった。
「泰然と構えておくべきだというのには私も賛成だよ。
そういえば君の見解を聞いてなかったね。
サイアス。あの新兵カペーレについて、どう思う?」
「十中八九、間者でしょう」
セラエノの問い掛けに
サイアスは間髪入れず返答した。
「成程ね。じゃあ間者というものについては
どれほど知っている?」
セラエノはサイアスの言を肯定するかのように
頷き、さらなる問いを発した。
「間に五用あり。即ち郷・内・反・死・生」
サイアスは簡潔にそう語り、
セラエノやアトリア、他数名の軍師が薄く笑んで頷いた。
「敵地の民を自軍の協力者に仕立てるのが郷間。
敵勢力の立場ある者を内通者に仕立てるのが内間。
敵の間者を寝返らせ、自軍の間者として利用するのが反間。
敵中に誤情報を流布し、自軍の企図に沿わせるのが死間。
敵地に潜伏し情報収集し、かつ生還するのが生間」
サイアスは抑揚なくさらに言葉を紡いだ。
「ふむ、その通りだ」
チェルニーは低く笑ってそう答え、
「よく知っているじゃないか。
じゃあカペーレが間者だとして、どれに当たるかな」
とセラエノはさらに先へと問いを進めた。
「全て可能性があります」
サイアスは些かの躊躇も見せずその様に答えた。
「ははは。これは手厳しいな。
だが反間ではないことはここで明言しておくよ。
カペールの消息不明と戦死扱いに言外の意味はない。
魔や眷属と人とでは、余りに何もかも違うから混じれないんだ。
そんな連中の下で間者をやれそうなのは、
マナサ君やニティヤ君くらいだよ。実際マナサ君は
南西の丘陵地帯で生間に近いことをやってくれた」
セラエノは楽しげにそう語った。
サイアスはカペーレが元々参謀部の命で敵中に潜伏し、
看破されて反間となった可能性をも示唆していたのだった。
「郷と内も微妙なところだな。効果的とは言い難い。
新兵はただの民ではないが立場があるとも言えん存在だ。
末端の兵士への情報開示は、元々かなり制限されている。
これらは内間対策といっていい。もっともこの場合、
仮想敵は専ら平原の諸勢力ということになるがな」
チェルニーはセラエノの見解を補足した。
「平原の、人の勢力にも敵が?」
「判りやすいところでは先のグウィディオンだが、
西方国家連合に属することなく新技術や情報のみ
抜き取ろうとする連中がいないわけではない」
チェルニーは肩を竦めてサイアスに答えた。
中央城砦によって100年平穏を得ている平原では、
危機感を失くし私事に走る連中も少なからずいるということだった。
「間者としては死か生、そんなところだね……
まぁ今はその程度のざっくりとした認識で良いだろう。
間者と判明していれば、処分はいつでもいかようにもできるから。
最も重要なのは死間または生間を送り込んだ奸知公爵の意図だね」
セラエノは細部に含みを残したまま、
さらに先へと話を進めた。
「サイアス、これは『見せ手』なんだよ。欺瞞攻撃といってもいい。
奸知公爵は露見を前提にしてこちらに間者を潜ませたんだ。
しめしめバレないだろう、なんて思ってはいないし、
こちらも見破ったことがバレていないだろう、なんて思ってはいけない。
互いに相手をあなどって高をくくった時点で御終いさ。
これは奸知公爵の仕掛けてきた、札遊びのようなものなんだ」
「まったく面倒なことだがな……
これまでの経緯からみて、奸知公は戦を掌中で転がし、
眺めて愉しむのを好んでいると見て間違いなかろう。
カペーレの件もあちらからすればその一環だ。
取り敢えず戦局に一石を投じて、
その後の展開をニタニタしながら眺めているのではないか?」
と、チェルニーもまたセラエノと同様の見解を示した。
「公爵殿はどうやら相当な構ってちゃんらしい……」
サイアスは夕刻の軍議で抱いた感想をそのまま口にした。
「ははは、そうだねぇ」
セラエノは笑って頷き、軍師衆は忍び笑いを漏らしていた。




