サイアスの千日物語 四十五日目 その四十二
予定よりやや長引いた軍議が済み、
退出していく幹部衆をぼんやりと見送って
一息ついたサイアスは玻璃の珠時計を確認した。
時刻は6時50分辺り。日没間近というところだった。
今日の日没は7時であり、
明日の日の出は4時半だと聞かされている。
顕現した魔は陽光を避け潜伏する必要性から、
日の出前に余裕を持って撤退を開始する。
そのため遅くとも4時には二日目の宴が終了するとみていい。
荒野の奥地から集った眷属と戦端が開かれ得るのは
深夜との予測があり、また積み上げられた屍から繭が現出し、
さらにそこから眷属が顕現するのはまさに未明となるだろう。
今宵の宴における魔の脅威はかなり軽微と判じて問題はあるまい。
サイアスがその様な思索に耽っていると、
「サイアス。お前もう晩飯は食ったのか?」
と、真っ先に退出したものと見做していた
騎士団長チェルニーが声を掛けてきた。
「いえ、まだです」
サイアスは一礼しつつ簡潔に答えた。
チェルニーの隣ではベオルクがサイアスの様子を窺っており、
さらに一度は退出したセラエノがこちら目掛けて戻ってきた。
「よし、飯にしよう。
日付が変わるまで、大した事は起こらんだろう。
つまり俺たちの出番はない、ということだ。
腹ごしらえして一息つくのが正解だな」
チェルニーは軍議の終了と共に入室してきた供回りに
会食の準備を指示した。
「暢気な話だけど、その通りだね。
食事して一休みしておくのがいい」
先刻までの深刻な様相はどこへやら、
いつもの気楽そうな調子でセラエノが語った。
「隣の広間は食堂も兼ねている。
中央塔の飯は随分と四戦隊とは違うぞ。
楽しむといい」
ベオルクはそう言って笑うと
一足先に退出したチェルニーを追った。
中央塔3階にあるこの広間は
円の一部を切り取った、半月に近い形状をしていた。
弧を描く塔の外壁沿いには月や星、幾何学的な図形などが
描かれた様々な色合いのタペストリと小窓が並んでいた。
窓枠手前の棚には色とりどりのキャンドルが灯り、
共に置かれた香炉が緩やかな香りと煙を燻らせて
南方風の瀟洒な風情を醸し出していた。
「中央塔に併設された参謀部の連中や
軍議にやってきた幹部衆などは、よくこの広間で食っていく。
ベオルクやセラエノなどは常連だな。
代々中央塔の厨房には、王侯たる騎士団長付きの料理人が入る。
つまり俺が騎士団長となって以降、ここ中央塔3階広間は
北フェルモリア料理の専門店をやっているというわけだ」
チェルニーはソファーにドカりともたれ、
供回りや厨房の人手が一同の囲む卓に着々と食事の支度を
進めていくのを見守っていた。
「ここでの飲み食いは全て騎士団長のツケだ。
無論一般兵は入れぬ場所だが、お前は今後好きに出入りできるぞ。
営舎での食事は一日あたり二度までだが、
それでも足りぬ時はここを利用すると良いだろう」
ベオルクはニヤニヤとヒゲを撫でつつ笑っていた。
暫くすると大皿小皿に山と盛り付けられた
様々な色合いの料理が攻め寄せてきた。
サイアスの目はそれらの中でも一際目立つ、大振りの肉を四角く切り出し、
色合いの美しい野菜を織り交ぜ串に刺した焼き肉料理に釘付けとなった。
「ケバブだ。串にさしたものはシシケバブという。
ありふれた形式の料理ではあるが、具材も調理も最上級だ。
遠慮は要らん。かぶりついてやれ」
チェルニーはニヤリと笑い、自らもシシケバブを手に取り
豪快にかぶりつき、笑顔となった。サイアスはつられたようにして
自らも肘から指先程の長さのある特大のシシケバブをひと串掴み取り、
剣身の冴えに魅入るかのように眺めてみた。
キャンドルの灯りが絶妙に焼き上がった肉の照りを否が応にも強調し、
野菜の緑が色彩感を強めつつも串全体の脂っこさを中和していた。
何より未だじゅじゅぅと音を立てているような錯覚を覚えるほどの熱気と
芳醇な肉そして香辛料の香りが鼻孔を擽り、いても立ってもいられなくなり、
気付いたときにはかぶりついていた。噛みしめると肉は意外な程柔らかく、
僅かな抵抗の後ほろりと溶け、仄かな甘味を伴う肉汁が
噛むほどにじゅわりと口中を満たした。
肉の旨味だけではくどくなるものの、大振りの野菜がその味を引き締めて
一種の清涼感をすら醸し出しており、気付けば無我夢中で次々と食べ進み
後には串しか残っていなかった。
「ハハハ、良い食いっぷりじゃないか。
こいつはガツガツいった方が美味いぞ。堪能しろ。
もっとも他にも料理はある。そっちも忘れるなよ」
チェルニーはそう言って笑い、運ばれてきた果実酒割りに手を付けていた。
酒より水が貴重な荒野であるから当然といえば当然なのだが、
しかし戦の前に呑んでいいものか、とサイアスがベオルクを見やると、
すでにグビグビと豪快に呷っていた。
「まぁ、ベオルク殿にとって、酒は燃料みたいなものだからね。
君も呑みなよ。水のイヤリングがあるし絶対酔わないから」
セラエノは苦笑しつつチーズや果実を混ぜ合わせた
クリームをたっぷりと塗ったパラーターを口にした。
パラーターは全粒粉と水をこね、発酵させずに作った
チャパティの生地に、ギーと呼ばれる乳製品を塗り込んで
何層にも畳んでは延ばし焼き上げた円盤状のパンであり、
フェルモリア王家の本拠たる北部での主食の一つであった。
「フェルモリアは北と南で随分食文化が異なっていてな。
これらは北フェルモリアの料理だ。山岳や高原の拡がる
北フェルモリアは乳製品の生産が盛んでな。
どれも舌がとろける程うまいぞ」
ベオルクはパラーターに豆を中心とした野菜のペーストや
刻んで窯焼きにした肉料理ティッカなどを乗せ、
挟んで半月状にしたものに齧りつき、すぐにニタニタと笑顔になった。
平原北方のカエリア程ではないが北フェルモリアは気候が寒冷な部類に
入るため、南フェルモリアの酸味の利いた辛い料理とは対照的に、
濃厚で旨味の利いたものが多かった。
これでもかと次々に運ばれてくる料理の数々を
4人して散々に堪能した後、食後にヨーグルトを基調にすえた
ラッシーを楽しみ、とどめにチャイをいただいて一息付いたのち、
漸く4名は食事を切り上げ、しかし暫く動けなくなって
その場でゴロゴロすることとなった。




