サイアスの千日物語 四十五日目 その三十八
僅か半日とはいえ休暇を得、喫緊状態にある城砦にあって
平原の貴族の如き優雅な午後を満喫したサイアスは
中央塔へと向かうべく身支度を開始した。
専用防具である「飛天衣」を纏い、腰に繚星。
八束の剣を鞘ごと肩に掛け、首からはユハを垂らしていた。
鎧武者というよりは天神地祇の如き装いをして、
サイアスは見送る家族に優しく微笑み、一つ頷いて居室を後にした。
「おース。元気そうだな」
「家族サービス乙だぜ」
サイアスが一礼して詰め所に入ると、
デレクや兵士らがニヤニヤしつつ声を掛けてきた。
「お前も若いのに大変だが
抱え込む奴ぁとことん抱え込んで苦労すんのが
世の中ってもんよ。すぱっと諦めちまえ」
やや年配の兵士がしたり顔で語ってみせた。
雑観して苦労人とは真逆な人物に見えた。
「苦労だとは思っていません。
誰よりも楽しんでいますよ。任務もね」
サイアスは典型的な第二戦隊風兵士に対し、
笑みさえ浮かべしれっとそう言った。
「おーおー、言うねぇ。
まぁそれくらいじゃないとな」
「うむ、ふてぶてしくて実に宜しい」
「よし、気苦労は全部こいつに任そう!」
年配の兵士は苦笑しつつも嬉しそうだ。
他の兵士らもからからと笑っていた。
「ふふ、その代わり」
サイアスは兵士らを見つめ、薄く笑った。
「汗水垂らしてあくせく働くのは嫌いです。
そういうのは全部お任せします」
「なんだ、と……?」
「そこは、ほら…… 分かち合うべきじゃ?」
「うむ、俺たち仲間だろ? な?」
兵士らの訴えに耳を傾け、
しきりに頷いたあとサイアスは
「だが断る」
とドヤ顔で言い放った。
「ほれサイアス、遊んでないでこっちこーい」
「はーい」
サイアスは口を半開きにして硬直する兵士らを放置し、
ニヤ付きつつも無表情を装うデレクの下へと向かった。
「ほい、これ戦域図の更新な。
写しだからそのまま持ってけ」
どうやらデレクがサイアスの分も
写しを作成してくれていた様だった。
「すみません、有難うございます」
「ほいよー。んで伝達事項な。まず昨日の午後の北往路の件。
今朝方伝令部隊を通すために二戦隊が哨戒に出たら、
お魚ども、また泥遊びしてたらしくてなー」
デレクは戦域図を指差しつつ説明した。
「ふむ、またですか。やはり何か、裏が有りそうですね」
「うむ。泳がして様子見でも良かったんだけどな」
「魚だけにな……」
「……」
「何すか。笑うとこっしょ? 笑いましょうよ!」
いつの間にか戻っていたシェドが
自身の放ったギャグに対し笑いを要求した。
その様にサイアスやデレクらはあるいはジト目で、
あるいは生暖かい表情をして鼻で嗤った。
「そ、そういう笑い方はないんじゃないかな……」
シェドはイジけだした。
そしてデレクは何事も無かったかのように続きを話した。
「……んでお魚衆の意図は不明なものの
今後も出没する可能性を見越して、
日中は二戦隊の有志が常駐し、新兵の演習やら
自身の慣らしやらに活用するんだそうな。
出てくる数も手頃っちゃ手頃だしなー。
騎士も結構な数出向いてるから、まぁ、安心だろう。
ほら、騎士隊の連中、横合いから一番美味しいとこ
持ってかれたせいで欲求不満らしくてさー」
「持ってった当人に言われましても」
他人事の様なデレクにサイアスが突っ込んだ。
「はて、何のことやら。
まぁ二戦隊の連中は基本的に好戦的だからな。
今もきっと嬉々として暴れてるぞ」
「伝令は無事に抜けたのですか?」
「勿論だ。平原の外れから通信が入ったってさ」
「成程ー」
ヴァディスは無事に平原へ達したということらしい。
サイアスはひとまず安心した。
「ともあれ残り二日、四戦隊が北往路へ出張る必要はなくなった。
城砦の東西側面は二戦隊の本隊が伏兵に使うらしいし、
魔は居ても残り一柱だからな、四戦隊は宴の後処理に専念だなー」
第四戦隊が本来担うのは宴の後の魔の追跡や討伐であるため、
そちらを優先するということらしい。デレク個人にとっては
さらに別命が下っているし、サイアスはサイアスでセラエノの
意向を聞いていたため、こうした作戦展開の変化は
至極妥当なところだと思われた。
「了解しました。シェドに関しては
引き続き伝令としてお使いいただければ」
「おぅ、任されて!」
サイアスの申し出にシェドが景気よく合わせた。
「うむ。あとランドに関しては、
確か参謀部からお前宛に書状が来てたな。
……これだ。確認してみー」
デレクはサイアス宛の書状を差しだした。
「……ランドは今どこに?」
内容を確認したサイアスはシェドに問うた。
「資材部だったっけな? ちょっと呼んでくるわ」
言うが早いかシェドは詰め所からすっ飛んでいった。
「やぁサイアスさん。資材部に組み上がった
台車の仕上げをお願いしていたんだ。
明日朝に届けてくれるって」
営舎へと戻り、敬礼して詰め所へと入ってきたランドは
いつもの物柔らかな調子でそう言った。
「そう、お疲れ様。
ランド、『はたこ』の絵の件で参謀部から君に依頼が来ている。
今後遭遇し、目撃した眷属の絵を描き留めて提出して欲しいって。
報酬は一枚あたり勲功500点。何枚でも引き取るそうだよ」
荒野で最も弱いとされる眷属である羽牙の撃破報酬が400点。
平原の兵士の給金1年分が勲功に換算して200点であることを見ても、
この報酬額は破格と言えた。
「!? 本当なの!?」
「もちろん。今後の教本や資料にはランドの絵を使うんだってさ。
できれば版画にしたいところだけど、まずはそのまま配布できる
だけの分量が欲しいんだそうな。やってくれるかい?」
「光栄です!! 是非やらせてください!!」
ランドは声を引っ繰り返らせ大声で叫んだ。
領主となるまでは日がな一日部屋に籠って
書を読み絵を描き過ごしていたランドにとって、
画家は失ったロンデミオンの街の再興に継ぐ夢であった。
好きな絵が仕事となり勲功を貰え、その勲功でゆくゆくは
所領を手にできる可能性すらあるとの見通しが立って、
ランドの喜び振りたるや、ひとかたならぬものがあった。
「判った。この後参謀部に直接伝えておくよ。
ふふ、これで次の戦闘が楽しみになったね」
サイアスは微笑んでそう言った。
「ぅ、うーん…… が、頑張るよ!!」
絵が描けるのは嬉しいが、とランドは複雑な表情で喜び悩み、
周囲は目まぐるしく変わるその表情を眺め、暫し楽しげに笑っていた。




