サイアスの千日物語 四十五日目 その三十七
「ねぇ、どんな子供だったの?」
サイアスにもたれ、
顔を覗き込むようにしてニティヤが問うた。
「イニティウムに居た頃は……
身体が丈夫では無かったのと、母は娘が欲しかったらしくて。
10歳くらいまでは箱入り娘として育てられていた……」
サイアスは不本意そうにそう言ったが、
「何の違和感も不都合もないわね。
私でもきっとそうするわ」
「……」
ニティヤはサイアスの母グラティアの所業を全肯定し、
周囲も一斉に頷き納得していた。
サイアスは一人不満げな表情だった。
「たまに伯父さんが屋敷から連れ出してくれる時にも、
ほぼ女装をさせられていたよ。
露店の宝石屋さんに通うのが楽しみだったな……」
サイアスは肩を竦めつつ昔を懐かしんだ。
「その頃から光ものが好きだったのね」
ニティヤはサイアスの手を取り、
指に光るサファイヤとサイアスの
瑠璃色の瞳を見比べ、微笑んだ。
「そうだね。実家の部屋は本と楽器と宝石だらけだよ。
こっちには流石に持ってこなかったけれど、
飛び切りのヤツだけはあるんだ」
微笑み返したサイアスは
文字通り宝物を見せびらかす子供の顔となって、
伯父グラドゥスから貰った竜紋石の首飾りを外し、
卓上に置いた。竜紋石は灯りを得てその鱗ににた紋様を
ぬらりと輝かせ、中央の大珠が生き物のようにギョロリとした。
「おぉー!!」
皆が目を丸くして驚く様を
サイアスは満足げに眺めていた。
「我が君…… 龍神伝承を御存知でしょうか」
ディードはぎらりぎょろりと瞬ききらめく
竜紋石の首飾りを思案気に見つめていた。
「龍神? 単なる竜ではないのか。
それは初耳だね。東方の神話か何かかい?」
「はい。天に舞い雲に遊び遍く天下を睥睨すると言われる龍が
地に降臨して邪を滅し、そのまま留まり神として祀られる
という説話は、東方諸国ではかなり多く見受けられます。
そうした縁起を持つ大社では、こうした竜紋石を
御神体として祀り崇めております」
ディードは慎重に言葉を選びつつサイアスに応答した。
「……え、何? これも御神体なの!?
刀に続いて首飾りまで…… あんた結構罰当たりな生き物ね」
ロイエはマジマジとサイアスを見つめたが、
サイアスは笑って否定した。
「滅多に手に入らない品だとは聞いたけれど、
これは元々露店の店主が注文を受けて用意したものだから。
……どうやって用意したかは知らないけれど」
と、その時、サイアス自身は身に纏った覚えのないユハが
ローブの肩からスルスルと卓に降り立ち、竜紋石の首飾りを
包むようにとぐろを巻いて淡く明滅しだしたため、
一同は顔を見合わせた。
「ちょっと! 露骨に反応してるわよ……」
裏声で叫ぶロイエを尻目に、サイアスは
「ついでに繚星も並べてみるか……」
と楽しげに繚星を抜いて卓に並べた。
すると繚星の淡く紫がかった刀身が星の砂を
さらさらと零したような神韻縹渺とした
音色を発し始めた。
「……共鳴してるわね」
ニティヤがそう呟き、
「繚星は長年実家の社に祀られ
多くの人々の信仰を吸い上げ集めた御神体です。
その首飾りとユハなる比礼は、少なくとも
繚星と同格の力を持っているということかと」
とディードが後を継いだ。
「へぇー……」
ロイエはすっかり感心して見入っていたが、サイアスは
「賑やかだね」
と極めて簡素な感想を述べ
ロイエを呆れさせた。
「いう事はそれだけ!?」
「まぁまぁ。
魔やら眷属やらがあれだけ暴れまわってる昨今、
殊更に驚くようなことじゃないよ。
多少個性的ではあるけれど、
皆共に死地をくぐった戦友さ。そうだろう?」
サイアスの声に応じたものか、
三つの神器は一際眩く明滅しあるいは歌い、
やがて大人しくなった。
「これを『多少個性的』で済ますか……
まぁ、あんたがそれで良いなら別にいいわ……」
ロイエは首を振って溜息を付き、色々諦めた。
そうした様子をまるで意に介さず、
「共鳴音を聞いていたら、一曲弾きたくなった。
ベリル。どんな曲がいい?」
とサイアスはベリルに問うた。
「楽しいやつがいいです」
「ふふ、任せて」
サイアスはベリルの頭を撫でて微笑み、
応接室の壁際に置かれたチェンバロへと向かった。
天板や手元の蓋を上げて演奏の準備を整えたサイアスは
ずらりと並んだ黒い鍵盤に乳白色の指をそっと乗せ、
倍音の多い独特なチェンバロの音色を響かせた。
それは玩具の兵隊たちが元気よく行進をするような、
掛け値なしに楽しげな曲であった。テンポよく抑揚のある
主題が繰り返され、くるくると回る音の群れにベリルは
笑顔となっていた。旋律の行進は数巡の後、目的地に
辿り着いたかのようにして賑やかな調べを終え、
一抹の静寂が周囲を覆った。
静けさのなかから密かにこっそりと姿を見せるようにして
次にサイアスが紡いだのは、一転して不可思議な曲だった。
可愛らしさと共に神秘性や不安感も秘めたその調べは、
家人の寝静まった夜中に小人か精霊かといった存在が
周囲を気にしながらコソコソと何かをしているような
そんな印象を聴く者に与えた。
ベリルは目を大きく見開いて何事かと聴き入り
次第にその不思議な旋律の世界へと迷い込んでいった。
どこかおっかなびっくりとした独特の可笑しさを持った曲は
やがて同じ旋律を繰り返し、繰り返しつつ
次第に勢いを増して次の曲となった。
繰り返された旋律の連続は
勢いよく高速でくるくると鍵盤を舞い遊び
周囲を駆けまわる小動物の様に楽しげに上下し飛び跳ねた。
その明るく賑やかな勢いと流れにベリルは身体がうずうずして
椅子に座ったまま旋律に合わせ身体を左右に揺らし楽しんでいた。
やがて旋律の揺らぎはゆったりと大きな波となり、
僅かずつ調子を換えて次の曲に至った。
華やかで優美なその曲に遂にベリルは我慢できなくなり、
ニティヤの手をとってゆらゆらと踊りだした。
ニティヤは驚いたもののすぐに笑顔となって
ベリルに合わせてくるくると舞い踊り、
ロイエたちはその様を目を細め幸せそうに眺めていた。
今回サイアスの演奏した曲は、以下の楽曲の主旋律をモチーフとしております。
1:「行進曲」(P・チャイコフスキー、「くるみ割り人形」より)
2:「金平糖の精の踊り」(P・チャイコフスキー、「くるみ割り人形」より)
3:「子犬のワルツ」(F・ショパン)
4:「花のワルツ」(P・チャイコフスキー、「くるみ割り人形」より)




