サイアスの千日物語 四十五日目 その三十四
詰め所での軍議を終えたサイアスは、デネブと共に居室へと戻った。
ようやく5時になろうかという早朝なこともあり、
仮眠している場合も考えて、サイアスはそろりそろりと扉を開けた。
が、デネブが一度引き返したこともあってか無駄な気遣いだったようで、
一人残らず起きてサイアスらの戻りを待っていた。
「あっ、おかえり! お疲れ様!」
「おかえりなさいませ、我が君」
ロイエやディードはいつもと変わらぬ調子であり、
「随分ゆっくりしていたのね。
強引に連れ戻そうかと思ったわ。
湯浴みでもして早く休みなさいな」
ニティヤが肩を竦め、しかし笑顔でそう言った。
村内の見回りから戻る度、母グラティアが同様の
言動をしていたな、とサイアスはふと、可笑しく思った。
「……っ」
一方ベリルはというと、
サイアスに飛びつくようにしがみ付いてきた。
「ん、どうしたの?」
サイアスは困惑して周囲の顔色を窺った。
「気が気じゃなかったのよ!
戦って言われてもまだピンと来ないから、
このまま帰ってこないんじゃないかって」
ロイエが母親の眼差しでベリルを見つめていた。
指令室で督戦だと伝えてはあったが、戦場の空気や騒音
そして無数の死の気配を感じ、もう二度と帰ってこないかも
しれないと、不安で仕方なかったようだ。
ベリルはサイアスにしがみついたまま小さく震え、
顔を上げようとはしなかった。気丈で利発とはいえ、
ベリルはまだ11歳になったばかりのほんの子供に過ぎなかった。
「そう…… 心配かけてごめんね。
ちゃんと帰ってくるから安心してくれていいよ」
サイアスは柔らかい表情でベリルの頭を撫で、
そっと自身から離そうとした。だがその気配を察したベリルは
さらにがっしりとしがみついた。布地の多いサイアスの鎧の
胸甲の下辺りがじわりと湿ってきた。
産まれてすぐに売りとばされ、
商品として育てられた末二束三文で引き取られ
そのまま兵士提供義務で荒野に出されたベリルにとって、
サイアスたちは生まれて初めて得たぬくもりであり
掛け替えのない宝であった。
「やっと手に入れた大事な家族だもの。
なくしたくはないわよね……」
両親を共に戦で亡くしているロイエが
目を潤ませてベリルを見つめた。
「そうね……」
二度家族を失ったニティヤは
目を伏せ静かに佇んでいた。
ニティヤにせよロイエにせよ、普段は決して弱みを見せず
同情などは願い下げだといった風だが、
やはり多くの哀しみに耐えているのだとサイアスは思い知らされた。
「夕方までは休んで良いと言われているんだ。
それと副長の計らいで私の小隊は宴期間中の戦闘任務を免除された。
午後にでもお茶しながらゆっくり話そう。ね、ベリル」
サイアスの声にベリルはこくりと頷いた。
が、まだ離れる気配がなかったので
「んー…… じゃあベリル。一緒にお風呂入る?」
と声を掛けた。
「……っ 恥ずかしいから、いいです……」
ベリルはようやくサイアスから離れた。
泣き顔の赤は恥ずかしさの赤で上書きされ、
ベリルはもじもじと照れていた。
一同はそれをくすくすと微笑んで見守っていたが、
ベリルはその様子に何やらカチンと来たらしく、
「やっぱり一緒に入ります!!」
と言い出した。
するとデネブがグイグイとサイアスの背中を押して
洗面所へと放り込み、ピシャリと扉を閉めてしまった。
「あらあら、デネブは意外と焼き餅焼きなのね」
ニティヤは愉快げに微笑んでいた。
ベリルなら問題視しないとはいえ
仮にヴァディスの居室での一件を知ったなら、
とてつもなく恐ろしいことになるだろう。
「何ならデネブも一緒に…… は入れないか。
そりゃそうよね…… っとそれより食事にしましょ!
安心したらお腹が空いたわ!」
デネブはコクリと頷いて、はぐらかし気味にそう言うロイエの下へ
子猫のごとく抱え上げたベリルを預けると、厨房へと食事を取りに向かった。




