サイアスの千日物語 四十五日目 その三十三
「コドク……?」
「東方発祥の暗殺術の一つよ。
壺に大量の毒虫を詰め込んで飢えさせておくと、
互いに殺しあって一番強い一匹が残る。
逃げ場のない壺の中に籠った無数の怨嗟と死を喰らった
その虫を暗殺の道具として使うのが蠱毒。
使い手は殆ど残っていないわね。
こちらに来る前にあらかた掃除しておいたから」
マナサはそういってクスリと笑った。
「立つ鳥跡を濁さずですね」
サイアスもまたクスリと微笑んだ。
デレクは首を傾げて困惑し、
ベオルクは苦笑しつつさらに言葉を紡いだ。
「ふむ、蠱毒か。言われて気付いたが
無数の怨嗟を吸った最後の毒虫たる眷属は魔にとって
絶品の珍味の様なものだろう。顕現目的ではなく
それを喰らわんがために殺し合わせることもあるのだろうな」
「……グウィディオン」
ベオルクの言にサイアスは深刻な表情で呟いた。
「どうした?」
「あの気配はかなり『こちら風』でした。
グウィディオンは『蠱毒の毒虫』だったのかも知れないと、ふと」
「ほぅ…… 興味深い見解だな。
魔の影響が遥か東方に及ぶかは
さておき、一応参謀長の耳には入れておこう」
ベオルクは真顔で頷いた。
「さて、話を魔に戻すとだ。一度顕現してしまえば強大な公爵とて
死肉ゆえの縛りを受けるのでな。隙を見せるような不用意な顕現は
そうそうしないだろう。また受肉し顕現し得るのが黒の月の期間に
限られるのは、宴で出てくる他の魔と変わりない。そして」
ベオルクは遠い目をして言葉を継いだ。
「我々の知る『荒野』とは、平原に隣接した城砦周辺のごく一部に過ぎぬ。
北方の河川と南方の断崖で隔てられた大湿原の隣接域、
平原西端と連絡のあるこの境界域のみが、我々の知る荒野なのだ。
未踏の奥地で何が起きており、それがどの様な形でこちらに
影響を及ぼしているかは我々の関知し得るところではない。
ここは人にとって、判らぬことだらけなのだ」
「……もしや」
サイアスは逡巡した。
「もしや父は……」
周囲は沈黙し、ただじっとサイアスを見つめていた。
「……いえ、今はまだ。
今はまだ、それを問う時期ではないのでしょう」
暫時の後、サイアスはきっぱりとそう言って頷いた。
「そうだな……
サイアスよ。まずは強くなれ。
ワシを超え、戦隊長をも超えてみせよ。
その時ワシは、お前に従いどこまでも往こう」
ベオルクは瞑目し、頷いた。
「『ワシら』に訂正して貰えるかしら?」
マナサが不満げな声で訴えた。
「全くだ。抜け駆けは困るな」
デレクがそう言って笑った。
「そうだぜ。いくら副長といえど
美味しい役目を独り占めは許されねぇ」
供回りや古参の兵士らもまた、そう言って呆れ頷いていた。
「……フン、良かろう。
ではサイアスよ。改めて言おう。
さっさとワシらを超え、そして率いてみせよ」
ベオルクはヒゲを撫でつつそう言って笑い、
周囲も笑顔を見せていた。
サイアスは言葉に詰まり目を潤ませ、
ただ、静かに頭を下げた。
熱量に乏しい荒野の夏とはいえ
そこかしこで昼夜を問わず篝火を焚いているため
自然城砦内の温度は上がっていた。
欲しい情報はまだあったものの、
氷菓が汗をかきだしたため先に提供することにした。
「うむ、流石に美味いな。夏場には最高だ。
それで、まだ聞きたいことがあるのかね」
ベオルクはひんやりと蕩けゆく氷菓に舌鼓を打って
至極満足げにそう言った。
「往路での伏兵や挟撃、丘陵での暗躍、
こうした眷属の動きを統率しているのはやはり」
「そうだな。公爵級と見て間違いあるまい。
単独か複数かまでは判らんがな」
「奸智公爵か……」
サイアスは入砦式直前に自室での打ち合わせの際
ブークがそう呼んでいたのを思い出し、
諸々の事柄が一本の線で結ばれた気がした。
「よく覚えているな」
ベオルクは苦笑した。
「ワシのフルーレティやローディス閣下のベルゼビュートが
警告を発する程の相手だ。まず同格、あるいはそれ以上なのだろう。
ただし概念の状態であれほど巧みに眷属を統率する者が
わざわざ実体を取って今出てくる理由があるのかと問われれば
返答に窮するところだ。そもそも掌で転がして観て愉しむのが
好みらしいしな。出てくるとしたら余程気に障ったか、
あるいは余程興味を惹かれたか…… あぁ」
「お前を狙って出てくることはあるかも知れんな」
ベオルクは目を細めつつそう言った。
「なら囮が効きそうですね。
どうせ皆殺しにするのだから拒む理由もありません。
出てきた際には策の一つとして検討しましょう」
「ハハハ! 畏れを知らん奴め!
だがそれで良い。うむそれでこそだな」
ただの大言壮語ではないと知るベオルクは呵呵大笑し、
周囲も苦笑し頷いていた。
「さて、そろそろ良いだろう。
さっさとラインの黄金をよこせ!
おいお前たち。人数分の杯を用意しろ。お前たちの分もな」
ベオルクは最早我慢ならじといった風情だった。
「そうだ。良い飲み方があるのですが、試してみますか?
実家でいつもやっていたのですが」
サイアスはデネブに頼み、厨房から粉砕した氷を取り寄せて
ラインの黄金の氷割りを提供した。流麗芳醇な金色の甘露に
誰もが表情を蕩かせてご機嫌となり、その後頃合いとなって軍議は終了した。




