サイアスの千日物語 四十五日目 その三十
中央塔の13階から外縁部へと出たサイアスとセラエノは
天体観測用の機器や狼煙を準備中の兵士らの間を抜け、
自然な足取りで縁へと向かい、そのまま未明の空へと歩み出した。
二人の身体は一旦沈み、すぐ羽ばたきと共に舞い上がった。
純白の翼を大きく打ち下ろしてセラエノは一気に高度を上げ、
抱えたサイアスと共に気流を探し、これを捉えてさらに昇り、
本城を戦場を、そして荒野を見渡した。
東の地平から金烏が光の翼をはためかせ、
西の地平へと玉兎が闇の尾を引き、去ろうとしていた。
黒の月の放射する闇色の光が褪せていき
未明の空では星々の銀色が瞬きをして
天空の玉座へ新たな主が歩み出す僅かなひと時を
涼やかな音色で満たしていた。
セラエノは羽牙の近寄れぬ高度にまで達すると、
風に翼を任せて緩やかに旋回し滑空を開始した。
東の陽光と西の月光を共に眼下に見下ろして
荒野を包む空は今、セラエノとサイアスだけのものだった。
幻想的な色彩に満ちた世界にサイアスは歓喜の声をあげていた。
「地位や名声、勲功なんて
今更貰っても嬉しくないだろう?
だからこれが君へのご褒美さ。暫く空を楽しむといい」
セラエノはそう言って笑い、風の赴くまま空を舞った。
「よぉベオルク。やってくれるじゃねぇか」
蒼炎を放つフルーレティに主たるベオルクが何事かを語りかけ
フルーレティの刃が自ら鞘へと沈んでいくのを見届けて、
剃髪黒衣の二戦隊副長ファーレンハイトが声をかけた。
「ファーレンハイトか。無事のようだな」
ベオルクはヒゲを撫でつつ不敵な笑みで応じた。
「けがなし、ってねー」
「やかましぃわ!」
デレクの軽口にファーレンハイトが吠えた。
ベオルクもデレクも二戦隊出身であり、
ファーレンハイトとは親交があった。
「最高の見せ場を横合いから掻っ攫うのは、
さぞや気分が良かろうなぁ?」
ファーレンハイトは腕組みして冗談交じりにそう問うたが、
容貌が容貌だけに威圧し恫喝しているようにしか見えなかった。
もっともベオルクは涼しい顔をして
「フッ…… 最高の気分だ」
と嘯き、
「おーおー、こらまたいけしゃあしゃあと」
と噛みつくファーレンハイトに
「余り気に病むとハゲるわよ」
「手遅れに見えるなー」
とやはり二戦隊出身のマナサが絡み、デレクが同調した。
「うるせぇぞ! テメェらの意見は聞いてねぇ!
そもそもこれぁ剃ってんだよ!」
ファーレンハイトは沸点が低いのか
単に柄が悪いだけかあるいはその両方か、
伝法な口調で怒鳴り返していた。
「まったく騒々しい男じゃ……
大人しゅう剣聖閣下の戻りを待てんのか」
がなり声にうんざりしたウラニアが溜息をついた。
騎士隊はせめて夜が明けるまではと兵士らと共に哨戒し
敵本陣に斬り込んだローディスの帰還を待っていた。
「お前まで絡んでくるんじゃねぇ!
大体いくら待ったところで、お頭はお前なんぞ眼中にねぇだろ」
「……よし、そこになおれ。すぐに酢ダコにしてくれよう」
ウラニアの表情から柔和さが消え失せた。
「随分とアクが強そうね。酢だけで大丈夫かしら……」
マナサが食材を見る目で一瞥した。
「軽く火を通すかい? 火口ならまだあるぜ」
二戦隊の騎士が楽しげに応じた。
「貴様ら揃いも揃って……
上官不敬も大概にしやがれ!」
「お前が言うかね……」
茹であがったように激高するファーレンハイトに、
チェルニーが溜息を付いていた。
「まあ不毛な論争は止すとして……
あれは参謀長殿か?」
さりげなく悪態を付きつつヴァンクインがそう言った。
セラエノは城砦の南方から戦場を臨み緩やかに滑空していた。
「まぁ。抱えているのはサイアスね。
あの二人、双子みたい。とてもよく似ているわ……」
マナサは目を細め、微笑を浮かべてサイアスを見つめた。
「この時代に生きそして死ぬ俺たちとは
少々違う種なのだろうな……」
「おぉ、お頭! ご無事で!!」
どうやら相当心配していたらしいファーレンハイトが
破顔一笑して、帰還した第二戦隊長にして剣聖ローディスへ敬礼した。
「あぁ。そちらの状況については既に報告を受けている。
よくやってくれたな。あと、お頭はよせとあれ程」
ローディスは苦笑しつつ懇々と諭し、
ファーレンハイトは頭を掻いて照れていた。
どうやらローディスには絶対の忠節を示しているらしかった。
配下の様子を確かめ終えたローディスは
第四戦隊の騎士3名へ向き直りベオルクに声をかけた。
「ベルゼビュートが獲物を取られたと騒いでいた。
貪隴男爵をやったそうだな」
「ハ。あとは斬るだけの状態でした」
「フフ。貪隴は爵位持ちでは一番の小物。
とはいえ我らとは比ぶべくもない大物だ。
爵位級の魔があと何柱いるかは知らぬが、
俺たちの代で1柱でも多く仕留めておきたいところだな」
不敵に笑んでそう告げるローディスに、
二戦隊の騎士たちは一斉に応じ頷いた。
「そうですな……」
ベオルクもまた目を細め、薄く笑って頷いた。
と、そこに治療のため一旦騎士隊から離れていた
第一戦隊長オッピドゥスがのしのしと身体を揺すってやってきた。
「おぅ、ローディスも戻ったか。弟子共はどうした?」
「皆無事だ。今は『闇の御手』を追っている。
南西へと逃げていったようだが」
オッピドゥスの半壊した甲冑を物珍しげに眺めつつ
ローディスはそう答えた。
「例のアレかしらね」
マナサは南西の丘陵に鋭い眼差しを向けた。
「どうだろうな……
まぁまだ1柱残っている。無理はすまい」
ローディスは指を顎にやりつつ丘陵を見つめ、思案した。




