サイアスの千日物語 四十五日目 その二十九
「遂にここまで来たか。
100年は長かったな……
まぁ半分くらい寝てたけどね!」
夜明けと同じ色の淡い光に包まれた、本城中央塔上層指令室。
純白の翼をパタ付かせつつ伸びをして、
参謀長セラエノが感慨を口にし、やや照れた。
セラエノの前方、斜面の天井に映し出された映像では、
騎士や兵士が歓喜に満ちた様相を見せていた。
「わーわー泣いてもいいんですよー?
ほら歳とると涙もろくなるって言うし!」
フェルマータはいつもの陽気な調子でそう告げた。
「うっさいばかぁ! 年寄扱いすんなぁ!」
容貌に限ってはフェルマータよりもむしろ
若く見えるセラエノは、早速ぎゃあぎゃあと喚きだした。
駄々っ子とそれをあやす母親のような様相に
サイアスは知らず顔を綻ばせ、
目を細めてその様子を見守るヴァディスと視線を合わせた。
「弟よ。実に素晴らしい策だった。
お姉ちゃん感動したぞ!
常識で敬遠し慮外に置きがちな手を
躊躇なく全力で使うところが不敵で素敵だ。
そして最後のアレだ。機略縦横とはこのことだな。
『してやったり』感が半端無い」
ヴァディスは実に嬉しそうにそう言った。
「『凡そ戦う者は正を以て合し、奇を以て勝つ』
と言います。正面から対峙する騎士隊あってこその策でした。
……それに、私は思い付きを提示し、戦えと命じただけです。
それを実現してのけたのは軍師の智謀であり、
自ら死地に臨んだ兵士の勇気です」
サイアスはためらいがちな笑顔を見せた。
策はともかくとして、攻めに転じるという選択肢が
正解であったかは、いまだ判じかねるところがあったからだ。
そしてその迷いをサラリと読んだセラエノは語った。
「ふふ、正しいかどうかなんて二の次だよ。
重要な局面で明確な方針を示し、
必要な決断を躊躇なく下すのが司令官の役目さ。
君、斬り合いでは全く迷わないじゃないか。
最終的にはアレと同じでいいんだよ。
預かる命がどれ程多かろうと、ね。
参考までに伝えておこう。
常の宴と同様に後方待機を選んでいた場合、
貪隴男爵は騎士隊に少なからぬ損害を与え『遊んだ』後で
機を見て野戦陣へと突進し、兵と防壁に一定の損害を与え撤退。
これを数日続けていたろうね。アレは頭のキレる脳筋だから。
……私や騎士団長はそれでも良いと思っていたんだ。
計算し対応できる範囲の損害なら、甘受し他に気を回すべきだとね。
だから騎士隊はカウンター狙いに徹し、兵団は後方待機の構えを取った。
手堅い打ち手に拘りすぎていたんだろう」
「『戦とは月下の薄氷を渡るが如し』
黒の月光が降る闇夜の戦だ。唯一解などは存在しないさ。
だから光明や勝機は自ら作りだすしかない」
指令室の扉が開き、中層上部の座所からやってきた
第三戦隊長クラニール・ブークが薄く笑んでそう言った。
「サイアス君、もっと誇ってくれ。
歌劇の舞台に立つように、華麗に主役を演じるんだ。
それが配下には一番嬉しいことなのさ」
ブークはサイアスの傍らに来てポンとその肩に手を乗せ、
続いて軍師ルジヌと光の巫女たる軍師ミカガミが入ってきた。
ルジヌはサイアスに満足げな笑みで頷きつつアトリアらと合流し、
ミカガミはフェルマータに儚げな笑顔を向けてその傍らへと侍った。
「そうそう。流石は『城砦の母』ブーク辺境伯閣下だね。
サイアス、君は兵士より騎士、騎士より将軍に向いているよ。
君には人を酔わせる才がある。まさに『魅惑の兵団長』だ。
それでいて普段は大人しいからこっちも仕事しやすいし、
飾っておくのに最適な見た目だし。まったく理想の上司だねー」
うんうん、と軍師衆の多くが腕組みしつつ頷いていた。
サイアスは普段チェルニーがどういった評価を下されているか、
そこはかとなく察した。
「……光の反射を多用途に用いる手は
今後も発展継承させていくべきでしょう。
天雷と異なり使い手を選びませんからね」
アトリアらと合流し、情報を得たルジヌがその様に述べた。
今回用いた反射板と光の組み合わせは
兵器に伝令に誘引にと様々の仕方で応用できそうだった。
「その役目、是非とも私にお任せください」
アトリアの提案にシラクサが念話で応えた。
シラクサには発明の才があり、確かに適任であるといえた。
「シラクサか。じゃあ宴が済み次第
フェルマータと組んでやって貰おうかな」
セラエノはシラクサに笑顔を向け、
その提案を屈託なく快諾した。
「あー、おっほん。
参謀長。今後私のことはファータと呼んでください。
そこんとこよろしく!」
「へぇ、止まっていた運命の車輪が回り出したのかい?
なかなかセンスいいじゃないか」
フェルマータとは休止、ファータとは運命。
いずれも古代語の類であった。
「えへ! 褒められてますよサイアス様!」
フェルマータ改めファータは
照れ笑いしつつサイアスを見た。
「ふふ。私も素敵な名だと思います」
サイアスはファータに笑みを返し、
すぐに表情を引き締め
「ところで、損害の方は……」
と軍師衆に問いかけた。
すぐに軍師の一人が応答し、
「人的損害について報告します。
死者84名重軽傷16名。
負傷者へは既に回復祈祷が開始されています」
宴の一夜目に城外へと出動したのは
第一戦隊から200名、第二戦隊から100余名。
後は第四戦隊から3名だった。
「出動数の3割強だね。これでもかなり少ない方さ。
死者には城砦騎士も1名含まれている。
貪隴男爵に吹っ飛ばされた若い方だね。
アクタイオンの爺さんは年がら年中着込んでる
あのド派手な鎧のお蔭で生きてるよ。
娘のセメレー共々二戦隊では珍しい重装だし
殺しても死なないって言われてたけれど、本当だったね……
とはいえかなりの重傷らしい。もういい歳だし隠居しないかなぁ。
しないだろうなー」
セラエノは欠片も我が身を省みることなくそう言った。
騎士2名の生死は装備の性能差で分かたれたようだ。
若手騎士は兵士だった頃と同様の軽装であったため、
貪隴男爵の攻撃を凌ぎ切れなかったのだ。
また宴では出動した兵士の半数が死傷し、
騎士隊にも2割を超す犠牲者を出すのが常だった。
「あぁそれと、例の無茶振り100名。
全員逃げ切ってるよ。こっちは鎧脱がせて正解だったね。
マジギレした貪隴さんの速さにはびっくりだよ。
連中当分夢にみるんじゃない?
まぁ倒してはいるしそんなに心配要らないか。
連中含め、生き残った兵士は一気に戦力指数が上昇していそうだ。
事後処理が済んだら軍師総出で測定してまわらないと」
セラエノはそう言って苦笑し、
軍師らもまた苦笑し肩を竦めていた。
「物資については備蓄の7%を消費したようです。
油と木材が特に減少しています。今回同様の消費であれば
一週間前後で使い切ることになるでしょう」
先程とは別の軍師がサイアスにそう報告し、
セラエノがそれを引き取って対応を開始した。
後は任せて良いらしい。サイアスはそのように判断した。
「魔の顕現期間を考えれば十分な量が残ってはいるけれど、
一応早めに増資要求は出しておこう。あぁまずは
貪隴男爵撃破の一報だね。まずは狼煙で報せようか。
詳細は早馬で運んでもらおう」
「ならば私が。国許に所要もありますので」
「判った頼むよ。じゃあすぐに一筆認めよう。
っとその前に……」
ヴァディスに使者を任せたセラエノは、
サイアスに向き直ってどこか得意げな笑みを浮かべた。
「サイアス。司令官としての初陣の勝利、おめでとう。
今日は夕方までゆっくり休むといい。また夜お願いね。
さぁ、地上まで送るから兵士や騎士たちに顔みせてあげなよ。
ついでに凱歌の一つもね」
軍師衆は手持ちの作業を中断し、
兵団長サイサスに向き直って一斉に拍手した。
サイアスはブークや軍師らに敬礼を返し、
微笑を残してセラエノと共に退室した。




