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サイアスの千日物語  作者: Iz
第二楽章 魔よ、人の世の絶望よ
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サイアスの千日物語 四十五日目 その二十八

こうとは背でもたれ掛かるという意味である。

もたれ掛かって体重を預ければ、対象には相応の圧力が掛かる。

槍の穂先や剣の切っ先といった極小の接点による圧迫であれば、

それは刺突や切断といった状態変化として対象の表層に現出する。

一方背中という広範囲の面を用いた圧迫は

その膨大な力積を対象の表面から内部へと伝達し、

その全てを圧迫し圧潰せしめ、対象を内部から破壊する。

膂力の発現すなわち発勁を余すところなく対象に伝達し

完膚無きがまでに破砕する技法、これを浸透勁という。


鉄山靠とは、有り体に言えば体当たりである。

体当たりは使い手の体格や質量の全てを膂力に変えて撃つ

単純にして至強の一手であり、密着状態から震脚で発生させた

爆発的な膂力を浸透勁で内部へと叩き込むこの奥義は

まさに鉄塊で砕かれるが如き爆発的な破壊力を産む。

巨人の末裔とされる巨漢オッピドゥスが加撃技能7を以て放つ

この奥義の破壊力は想像を絶するものであり、

鳳翼陣右翼4名が与えた浅手に重ねるようにして放たれた一撃は

足どころか貪隴男爵の右下半身を爆散させ、

さらに本体を林立する破城鎚ごと左方たる西方に吹き飛ばした。

家屋数軒分の貪隴男爵の巨体は千切れ飛びながら地を数度跳ねて転がった。


その様を残心と共に見届けたオッピドゥスはしかし、舌打ちをした。

貪隴男爵の意図を察したからであった。


騎士隊に肉迫された時点で貪隴男爵は自らの下半身を諦めていた。

そこで上半身を逃がすべく左前方の破城鎚を吹き飛ばし退路を確保。

その上でオッピドゥスの鉄山靠に合わせ全力で前方へと足掻くことで

戒めから自身の身体を解き放ったのであった。

貪隴男爵の下半身を諦めるという選択は

すなわちこういう意味だったのだ。



上半身を逃がすために、下半身を諦める。

このような常軌を逸した選択は、無論人にはできない。

なぜなら人の肉体の内側には骨や筋肉、内臓といった

身体を構成し可動性を担い生命活動を司る様々の重要な器官が

内包されており、下半身の喪失はそれら多くの喪失と同義であり、

また出血や激痛を含む様々な要素からも死を免れ得ないからだ。

つまり人にとって、負傷は常に戦力低下や戦闘不能さらには死と

結びついており、下半身喪失ともなればその時点で

戦いの全てが終わってしまうのだ。



しかし、魔は違う。顕現した魔にとりその身体は憑代でしかなく、

内側には生命活動を維持するための内臓も骨も入っていない、

表層のみ分化した存在であるからだ。

魔にとって肉体とは外骨格と筋肉で構成された死肉の塊であり、

外観はともかく原理的には原生生物や昆虫等のそれに近いものであった。

本来は概念である高次の存在が形を取っただけであるため、

喩え失ったのが手足であれ下半身であれさらには首であれ、

単に体力を削られた以上のいかなる意味合いをも持たないのだ。

ゆえに本体とでもいうべき身体の大部分が残ってさえいれば、

魔は残りの死肉を再構築して相応に縮小した

元の五体満足な姿へと戻ることができた。


無論失われた肉が沸いてでるわけではなく、

現にウラニアに斬り飛ばされた角やオッピドゥスの鉄山靠で爆散した

右下半身の肉片は、グズグズの腐肉と成り果て地に溶けていた。

ただその一方でファーレンハイトによって斬り裂き焼かれた右頭部は

どろりと溶解しさらに凝固して再び目を再生しつつあり、

失われた右下半身の跡にも周囲の肉がどろりと溶けて集まって、

あらたな右下半身を生み出そうとしていた。

要は魔には負傷や重症による戦闘不能が存在しないのだ。

いくら攻め込み痛打しようが体力がゼロになるまで

常に戦闘状態を維持できる驚異の生命力と異常な速度の修復力。

これもまた、受肉した概念である魔を倒すのが困難な理由であった。



こうした悪魔的な特性から、

貪隴男爵は下半身と引き換えに包囲からの脱出を果たした。

そして全身の3割弱を失った以上、此度の宴は切り上げて

再び眠りにつくべきと判じ、騎士隊とは逆位置である

西方からの逃亡を決断した。


だが三つ足で身を屈め伸び上がったその刹那

貪隴男爵の巨躯は青白い炎に包まれた。

光や炎を嫌う魔ではあるが、単に炎に包まれた程度では

大した損害を受けることはない。

しかしこの青白い炎は単なる炎とはまるで異なっていた。

未明の空の色をしたこの炎は貪隴男爵の巨躯を蝕み

表面を溶かし内面を昇華させていく。

これまでに取り込んだ無数の恐怖や絶望、悲憤に彩られた

死肉に宿る魂は揺らめく青白い輝きと成り、貪隴男爵の身の内から

湯気の様に沸き立って青く染まった前方、西の地に立つ

漆黒の騎士が持つ剣の刃へと吸い込まれていった。


理解を超えた崩壊により恐怖と驚愕と喪失感を得て

身の毛もよだつ咆哮を上げた貪隴男爵の耳に、

涼やかな鈴の音のごとき金属音が飛び込んできた。

貪隴男爵は眩暈と共に意識が遠のくのを感じ、

さらに左半身に鋭く激しい衝撃が走るのを感じた。

左前足の膝を飛来した銀の輪が斬り裂き、

左後足の膝を狙い澄ました槍斧の一撃が吹き飛ばしたのだ。

もはや何事も考えられず、成すすべもなく、

貪隴男爵はただあらん限りの咆哮をあげ、前方に佇む人影を見た。



今や野戦陣全域は未だ訪れぬ夜明けの青に包まれていた。

蒼炎に巻かれた貪隴男爵の巨躯は再生能力以上の速さで燃え、

のたうちながら焼かれるままに崩れ落ちていく。

騎士隊や逃げ散って再結集した100名の兵士たち、

さらには防壁上や城門脇から固唾を飲んで見守る数百の人の目に

貪隴男爵の前方の人影が映った。


映し出された人影は三つ。

左翼に優美な陰影を見せる女性の姿があり、

右翼には甲冑を纏った武人の姿があった。

そして中央には周囲を青の輝きで染め上げる剣と

それを手にする闇色の甲冑とサーコートを纏う騎士が立っていた。



「我ら第四戦隊にとり、

 待機は遊撃と同義でな」



未明の青に似た魔剣の炎に照らし出されたその騎士とは

有事に備え城砦内で待機していた第四戦隊副長にして騎士長。

魔剣フルーレティの使い手たるベオルクであった。



「それに宴を楽しみとしていたのは、

生成なまなり』の貴卿きけいらだけでもないのだ」



ベオルクの言葉に呼応して、

魔剣フルーレティの発する蒼の炎が天をも焦がす業火となり、

すすり泣くような音が辺りを覆った。

それは貪隴男爵の憑代たる死肉から無数の恐怖と嘆きそして

死に往く魂を奪ってすすり歓喜にむせぶ魔剣の歌声だった。

獣をかたどった魔は魔獣と呼ばれ、

人を象った魔は魔人と呼ばれる。すなわち。

フルーレティとは剣を象った魔「冷厳公」そのものであり、

ゆえに魔剣と呼ばれていた。



激しく燃え盛るフルーレティの蒼炎はベオルクをも包み込み、

その身のうちよりほとばしる剣気を増幅し揺らめいていた。

禍々しさと崇高さで周囲を凍てつかせ、魔剣の主ベオルクは厳かに告げる。



「貪隴卿、これもえにし。ここが貴卿の旅路の果てだ。

 永きに渡る闘争を終え、我がフルーレティの糧となられよ」



悠然と迫るベオルクと蒼炎のフルーレティ。

まさに現世に降臨した地獄の長の如きその姿を見て、

貪隴男爵は足掻き吠えることを止めた。

男爵たる自身より遥かな高みにある、公爵の御前であるからだ。

その挙措を受け、ベオルクの両翼2名、すなわち第四戦隊騎士

マナサが戦輪チャクラム投擲の構えを解き、デレクが槍斧ハルバードを地に立てた。



いさぎよし」



踏み込みと同時に右手の魔剣が閃いた。

右から左へと抱え込む疾風の如き裏刃の一閃。

その一閃を予備動作として頭上で魔剣を旋回させ

さらに踏み込んで神速の斬り落とし。

ベオルクの必殺剣「レクイエム」によって

貪隴男爵は四裂して散華し、巨躯も残らず燃え尽きていった。



荒野に城砦が建設されて100余年。

人と魔との戦いが始まっておよそ150年を経て、

人は初めて宴の中で世界の支配者たる魔をしいした。

闇夜を染め上げる勢いで燃え盛る剣身の蒼炎が彩る世界。

その場に集う数百の兵士らが息を忘れて見守る中、

ベオルクは東に見える騎士隊に頷き、

その最後尾に立つ騎士団長チェルニーに薄く笑んだ。

チェルニーもまた不敵な笑みを投げ返し、

自身に集まる視線に応え、声高らかに宣言した。




「魔獣・貪隴男爵討ち取ったり!!

 我らの勝利だ!! 勝鬨をあげよ!!」




四方から爆発的な絶叫が立ち上がり、熱気が闇と恐怖を追い払った。

遥か東の地平では、夜明けの白が荒野を彩り始めていた。

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