サイアスの千日物語 四十五日目 その二十六
「まったく。あいつはロクでも無いことを思い付く!」
座標6ー13で100名の兵に指示を飛ばす
第二戦隊兵士長セメレーはそうごちた。
「正正堂堂対峙するものを横合いから妨害するなどと、
騎士の風上にもおけん…… 右端もう少し左へ向けよ!」
ブツブツと不平不満を垂れつつも、
セメレーは任務を忠実にこなしていた。
「お前騎士に夢見過ぎだろ……
こうでもしないと勝てる相手かよ?
ほっとくとお前のオヤジとか真っ先にくたばるぞ」
真横でキンキンとした愚痴を聞かされ続けている兵士が
うんざりした様子でそう言った。
「そんなことは判っている!
だからこうしてだな…… !!」
光に照らされ、遠目にもはっきり判る程怒り狂って威嚇する
貪隴男爵を苦々しげに眺めていたセメレーは、
「散開、退けぇーーーーーェッ!!」
とよく通る凛々しい大声で叫んだ。
その声を聞くが早いか兵士100名は一斉に反射板を放り出し、
全速力で逃走を開始した。出陣中の全部隊から
足の素速さと神経の図太さで選抜され、さらに
「君の手で魔獣に一泡吹かせてみないか」
との兵団長サイアスの誘いに心躍らせ応じて見せた
筋金入りの悪戯好きと負けず嫌いの群れは、事前の指示通り
防壁へ向け蜘蛛の子を散らすように放射状に散開した。
これがサイアスの策の二手目であった。
先刻から続く光の照射によって、激しい憎悪と激怒と
屈辱感を感じていた貪隴男爵は、ついに我慢の限界を迎えた。
対峙する騎士隊は相変わらず攻めては来ず、戦の主導権は自身にある。
ならばまずは北の目障り極まる木端どもを蹴散らし溜飲を下げてくれん、
と完全に北へ向き直り、咆哮して突進を開始したのだった。
一方嫌がらせ部隊100名の指揮を執る最強の負けず嫌いなセメレーは
貪隴男爵の向きが変わるや否や即座によく通る大声で吠え撤退を命じ、
自身もまた北方へと誰よりも速く走った。
座標6ー13付近の野戦陣はこの策に合わせて
防柵や障害物が撤去されており、兵士100名の決死の散開逃走に
支障はなかったが、単純な体格と能力の差が酷く、
兵士らが10歩進む間に貪隴男爵はその10倍の距離を駆け、
瞬く間に距離が縮まりその脅威と暴威の威容を露わにした。
兵士らは自分たち目掛け迫りくる比類なき怒気と殺気とに
半狂乱となって、さらに無軌道に逃げ散った。
貪隴男爵は一薙ぎで片付けるはずだった兵士らの
何とも鮮やかな逃げっぷりに的を絞りかね、
どこから始末したものかと僅かに逡巡した。
そこに、サイアスの策の三手目が降り注いだ。
それは攻城兵器によって打ち上げるようにして放たれた、
多量かつ極太の、黒塗りの丸太であった。人の背丈に倍する長さの
本来は野戦陣の部材であるそれらの丸太はその尖端を鋭利に研ぎ出され、
数本束ねて鉄輪で固定されており、内側には錘が仕込んであった。
一言でいえば、それらは即席の黒い破城鎚であった。
貪隴男爵は降り注ぐ漆黒の破城鎚の雨に、まるで気付きもしなかった。
これは闇夜と同じ黒塗りであることやほぼ垂直に落下してきたこと、
何よりサイアスの二つ目の策に因る視界の誘導によるものだった。
「いいかサイアス。
人の目ってのは横長で横並びだ。肉食獣も同じだな。
こいつは横方向の動きを捉えるのに優れてる。
人も獣も地に足を付け、同じ地平で獲物を追うからな。
その方が都合がいいんだよ」
故郷ラインドルフを発つ数日前、初夏の程よい日差しの中。
訓練のためにと潰して無数の円や線、角度や図形を描きこんだ
畑の中心でくるくると槍を弄ぶグラドゥスは、
着込んだ甲冑を乱離骨灰に叩き据えられ、
ぐったりとへたり込むサイアスに語って聞かせた。
「お蔭で視界は横長の楕円だ。
兜の目の正面も横長な隙間が多いだろ?
その方が視界と合ってるからだな。ゆえにだ。
目ってのは横方向に比べると、縦方向、つまり
上下に動くモノの捕捉ははちぃとばかし苦手なんだよ。
特に横に動くものと縦に動くものが同時に視界に入った場合、
どうしても先に横の動きに反応しちまうんだな。だから」
グラドゥスは肩で息をしながら何とか立ち上がった
サイアスに向け、槍を横方向に旋回させつつ薙いだ。
サイアスはフラつきながらも巧みに軸をずらし
攻撃線を外して穂先を避けたが、
グラドゥスは手元でくるりと槍を縦に回し、
石突でサイアスの兜をゴチンと打ち据えた。
「こうして上から降ってくる手にゃ、滅法弱ぇんだよ」
一声呻いて再びフラフラとへたり込んだサイアスに
グラドゥスはカラカラと笑いかけた。
貪隴男爵は光の照射による執拗な妨害を行う100名の
横並びな兵集団に対し、激高し始末するべく突進した。
これにより貪隴男爵の視界はほぼ横方向に集中し、
突進し近寄る程、視界は横方向に特化した。
さらに100名の兵士は蜘蛛の子を散らすようにして
放射状に散開し、北へと逃げた。
これにより横方向の動きを追尾することに夢中となって
一時攻撃動作に躊躇すら起こした。
つまり貪隴男爵にとって縦方向遥か上空から迫る破城鎚の雨は、
完全に視界と認識の死角を突いたものだった。
そのため突如として降ってわいた多量の漆黒の破城鎚に
貪隴男爵は満足な対応ができなかった。
破城鎚は狙いを定めて放たれたものではないため
貪隴男爵の巨躯に命中したのはほんの一つ二つでしかなく、
しかも対して傷を付けることもなく弾かれてしまった。
だが、元々これらは魔を負傷させんがため放たれたのではなかった。
周囲の大地に突き立ち林立し、旋回行動を苦手とする
貪隴男爵の回避行動を封じるためのものだったのだ。
驚愕と共に急速に冷静さを取り戻し、破城鎚の林から離脱せんと
慌てる貪隴男爵のすぐ側面には、必殺の気迫を漲らせ
殺到し肉迫する騎士隊13名の姿があった。




