サイアスの千日物語 四十五日目 その二十二
「クク…… 成程ね。
ほんと、畏れってのを知らないな君は。
個人的にはとても興味がある手だよ」
サイアスの説明を聞き終わったセラエノは
クツクツと人の悪い笑みを浮かべていた。
「程度は不明だけれど、効果自体はあるだろうね。
ただし相手が魔だ。その後どんな展開になるかは
流石にちょっと読み難いなぁ」
セラエノは目を細めて
顎に指を添え軽く首を傾げて思案した。
「仕掛けに際しては、いかに同期させ
連携させ得るかが鍵となってきますね」
アトリアもまた珍しく不敵な笑みを浮かべていた。
小国の特殊部隊出身である身には、あるいは
馴染みのある手なのかもしれなかった。
「その辺りは軍師の仕事だな。
演算し、予測値を出してみよう」
ヴァディスの言に軍師数名が頷き、
映像に地形や数式、無数の角度や放物線などを描いていった。
「ふむ、皆乗り気ではあるようだ。
私も一泡吹かせたい気はあるんだけど、
サイアス。一点だけ確認しておくよ」
セラエノは夜空を感じさせる瑠璃色の瞳でサイアスを見つめ、
感情の抑揚がない声で静かに問うた。
「現状兵団が取るべき最も無難な策は、後方待機だ。
ただ黙って守備を固めていれば、損害は有れど
騎士隊が何とかしてくれるだろうからね。
そして布陣と言うものは、敷いた時点で完成形だ。
初期の状態が一番堅いんだ。盤石というヤツさ。
よってそれがどんな手であれ、仕掛けにいけば布陣を崩し、
その分隙を生むことになる。相手が格上の場合、
攻めて起こる利と反撃されて起こる害が釣り合わないことが多い。
何もしなければ大損害だけは回避できるだろう。
無難な形で戦を終え、明日に繋げられる可能性が高い。
『軍を全うするを上となし、軍を破るはこれに次ぐ』
というヤツだね。
サイアス。これらを踏まえた上で答えてくれ。
敢えて危険を冒す理由は? 攻撃は最大の防御だから?
それとも騎士隊の損害を減らす為かい?」
セラエノの言葉は示唆に富み、
問いというよりは教導に近かった。
サイアスはセラエノの言葉に何度も頷き、
やや淡い瑠璃色の瞳でセラエノを見つめ、そして答えた。
「例示されたいずれの理由とも異なります。
騎士隊の損害を減らすという点については、
結果としてそうなれば大変望ましいことですが、
仕掛ける理由は別にあるのです。
そうですね、敢えて申さば
『愛民は煩さるべきなり』という件でしょうか。
我々兵士が忘れてはならぬのは、遥かな高みにある
騎士もまた、兵士同様消耗品に過ぎないのだという点です。
入砦式で騎士団長が仰っていた『人はいずれ死ぬ』という言葉。
人である以上、どれ程の強者ももいずれは地に臥し、
あるいは力を失い荒野を退ることになるのは必定。
絶対強者たる騎士とて例外ではありません。
であれば騎士団としては次々に新しい騎士を輩出し、
世代交代させ戦力を高水準で維持したまま
循環させていく必要があります。そのためには
今は力なき兵士に少しでも経験を積ませるべく、
彼らなりのやり方で魔と対峙すべきだというのが私の考えです」
サイアスの澄明な声とその雄弁に
セラエノは満面の笑みとなって頷き、
軍師衆からは感嘆の声が漏れた。
「……これは一本取られたかな。君本当に17歳?
そこまで考えてくれていたとはね。畏れ入ったよ。
うん、確かに新たな騎士を生むためと考えれば、
これは十分甘受できるリスクだね。
元々兵士だって同様の手法で育てているのだし」
眷属との戦闘経験を経て生きぬいた者のみが
眷属と戦い得る城砦兵士となれるのならば、
魔との戦闘経験を経て生き抜いた者のみが
魔と戦い得る城砦騎士となると言えよう。
さすれば兵士を安全圏に遠ざけるだけでなく、
どのような形であれ魔との戦闘に介入させた方が良い
というのがサイアスの判断であった。
「弟よ。やけに兵書に詳しいのはどういうわけだ?
城砦に着いてから読み漁ったにしては理解が深すぎる」
「……物心ついてすぐ、
父が私にくれたのが兵書や奇書の山でした。
あぁ今気付いた。セラエノ断章ってもしかして……」
ヴァディスの問いに答えたサイアスは
セラエノの顔をまじまじと見つめた。
「え? なんのこと? 全然わかんない」
セラエノは知らぬ存ぜぬを押し通した。
「セラエノ断章て……
ていうか幼子に兵書や魔導書を贈る親ってどうなの……」
時折まともに戻るフェルマータが
真顔で正論をぶちまけた。
「まぁ、ライナス閣下なら仕方ない」
セラエノは肩を竦めてそう言い、
何名かの軍師が頷いていた。
「何はともあれ、だ。よし、やってみよう!
良いね皆。やるからには参謀部の面子にかけて
絶対に成功させるんだ。騎士の鼻を明かしてやれ。
資材部に連絡。出陣中の各部隊にも伝令を。
手空きの者は演算と検証に当たってくれ」
この様にしてサイアスの策は承認され、軍師衆は暗躍を開始した。




