サイアスの千日物語 四十五日目 その十三
北方に展開し迎撃態勢を取る守備隊から縦の距離を取り、
側面からの手槍による再度の支援攻撃を行う可能性のある
精兵隊から横の距離を取る形で、西側野戦陣に侵入した
40弱の大口手足は侵入口の倒壊した鉄塔よりさらに
西側に移動し、地を這い防柵や鉄塔によじ登ってへばり付き
しかるべき再攻撃の機を計っていた。
暗がりに蠢くそれらの姿は樹液や死骸に集う虫の群れに似て、
炎の灯りに毛並をぬめやかに輝かせ、無数にも感じる肢の群れを
忙しなく上下させ動き回り、あるいはじっとかがめて潜んでいた。
平原でも夏場の夜であれば、樹林やあるいは人の生活域の傍らで、
こうした光景が見られることはあるのかもしれない。
ただそれらと決定的に違うのは、荒野に蔓延るこれら虫に似た存在が
人より大きく強く獰猛で、好んで人を喰らうという点だった。
変化はほどなく訪れた。野戦陣内部を蚕食する大口手足らの
侵入口である、倒壊した鉄塔周辺が再びどす黒い油の雫のように
膨れ上がり、べちゃりと弾けるようにして無数の肢となって
地に拡がった。敵主力混成部隊のうち残りの大口手足が野戦陣に
侵入したのだった。その数およそ50。野戦陣には計90弱の
大口手足が集い、守備隊にさらなる絶望を予感させた。
この期に及んでも、ブークはまだ合図の矢を放たなかった。
極限状態にまで追い詰められた守備隊の兵士らに
不安と動揺と恐怖が衝動的な鋭さで襲いかかったが、
彼らの指揮官たる城砦騎士シベリウスは
まるでたじろぐ様子もなく、ただ悠然と南方を眺めていた。
その泰然とした様相に兵士らは励まされ、正気を保つことに成功していた。
「諸君。そろそろだ。
後衛は頭上への警戒を厳にせよ。
次に敵が動けばそのときが『機』だ。
その先には我らの勝利がある。仲間と自らを信じ抜くのだ」
シベリウスは笑顔すら見せ、そのように語った。
兵士らは歯を食いしばり頷いて、手にした盾や槍を力強く握りしめた。
そして時は訪れ、90弱の眷属の群れは号令一つなく
一斉に守備隊目掛け進み始めた。陣形や戦術お構いなしに
無軌道なまでに奔放に、あるいは地を這いあるいは飛び跳ね
あるいは味方を圧し潰しながら我先に殺到するその様は、
おそらくはこの眷属本来の本能のみによる挙措であった。
精兵隊の手槍が飛来しようとも再び十数体が貫かれ屍と化そうとも
殺戮と蹂躙に燃える黒々と輝く猛威の群れはもはや制御不能であり、
肢を止め回避や共食いに走る者をさらに乗り越え圧し潰して、
眷属の群れは北進していた。
心の弱い者であればこの光景に耐えきれず戦意を喪失し
座り込みあるいは笑い浮かれだすかもしれない。
否定しがたい死を受け入れるために精神は現実から目を逸らし、
肉体を残し一足先に遥か彼方へと旅立っていくことだろう。
しかし兵士らは自らの持ち場や立場を放棄し逃避することはなく、
指揮官の下、平原全ての人の命を背負ってその場に踏みとどまった。
殺意と食欲の塊となった大口手足の大群と守備隊との距離が
残り10歩あるかないかというところにまで迫ったとき、
戦場に鳥の鳴き声かあるいは木枯らしかといった高音が鳴り響き、
一本の火矢が飛来した。そして着弾を待たずして豪雨か暴雨といった
液体が座標6-12南部に降り注ぎ、ついで轟々と大気を削り
暴々と大気を焦がして燃え盛る火球が飛来し、一気に周囲を火の海にした。
液体も火球も一度ではなく何度も次々に降り注ぎ、火の海は荒れ津波を生み
疾駆する大口手足らを背後から呑みこみ燃やし始めた。
大口手足は恐慌状態に陥り、その半ば程までが燃え盛りながら錯乱して
縦横無尽に無意味な暴走を繰り返し、先陣20数体のみが炎を免れ
そのまま守備隊へと迫ったが、明らかに精彩を欠いていた。
元々野戦陣に撒かれていた油分も功を奏して
火勢は猛々しく火柱を成し、周囲を朱に染めてみせた。
炎の輝きは倒壊した鉄塔の外部へも及び、
闇に包まれた陣外を照らし出した。
野戦陣の南方20歩から30歩という、
かつてひたすら黒塗りの闇であった辺りには
尖塔の如くに高々と聳え立ち、百を超す肢で宙を掻きながら
奇襲の隙を窺いずらりと並ぶ縦長13体の姿があった。
刹那、聳え立つ縦長の群れの下へ西から東へと吹きすさぶ
暴風の如き銀の閃光が現れて、次々と幾条もの三日月を躍らせた。
縦長は炎の眩しさに目が眩み文字通り棒立ちとなっていたため、
ろくに反応できず次々と刻まれ、一息で実に7体が崩れ落ちた。
縦長は切断されても節単位で再生するため、地に倒壊し
バラバラとなった身体は暫し飛散し痙攣したのち、
さらに小さないくつもの縦長となって蠢きだした。
「餓狼ども! 疾風となりて斬り抜けよ!!」
炎が彩る漆黒の荒野に凛々しき女性の声が響き渡り、
次いで雄々しき勇士たちの吠え声がこれに応じた。
闇夜に呑まれた荒野の大地に眩き月光を光臨させ、
瞬く間に縦長の横陣を斬り抜けた女武者こそ
第二戦隊斬り込み隊の長にして「迅雷公女」の異名をとる
城砦騎士ウラニアその人であり、分裂した縦長へと殺到し
裂帛の気合と共に次々に必殺の戦斧を振るい仕留めたのは、
第二戦隊斬り込み隊の猛者たちであった。




