サイアスの千日物語 四十五日目 その十一
座標6-12の倒壊した鉄塔を乗り越えて
油が染み込むようにどっと一息に西側野戦陣へと
侵入した大口手足の数はおよそ60体。
最初周囲に獲物を求めた大口手足らはそこから北方に
多量の人の形をした食物が並んでいるのを見て嗅いで感じ、
飛びかかるように加速して互い違いに設置された障害物や
防柵をジグザクに動いて巧みに避けつつ殺到した。
先の尖った楕円に近い陣形でまとまって殺到した大口手足の群れは
防衛線を成して東西に広く展開する守備隊に合わせ、
20歩程の距離まで迫ると文字通り蜘蛛の子を散らすように
一斉に放射状に散開した。
大口手足の群れが横方向に大きく広がった瞬間を捉え、
東から多量の黒い影が飛来した。
西側野戦陣の防衛線が北へと下がったことにより、
結果として側面を取る形となった第一戦隊精兵隊が
待ち侘びたように多量の手槍を投擲したのだった。
手槍の雨は敵中列を襲い、十数体の大口手足が串刺しとなった。
屍となった十数体の後方から迫っていた集団は
あるいは躓きあるいは共食いしあるいはさらなる槍雨を警戒して
一旦人の壁へと向かうのをやめた。これにより最前列の
20数体が孤立して守備隊へと殺到することとなった。
守備隊の各10名の小隊は、大口手足一体の攻撃であれば
十分防げる程度の戦力に調整されたものだった。
これらは障害物や防柵を利して極力一度に複数から攻撃を受けぬよう
盾を連ねて防御した。敵の全てが全小隊に均等に向かったわけでは
ないために、最も敵の攻撃が集中した一個小隊が全滅し
さらに数隊で負傷し転倒する者が出たが、
全体としては大口手足の突進を弾き返すことに成功していた。
盾に弾かれ動きの止まった大口手足に対しては
自陣から飛び出したシベリウスと彼の供回り5名が押し寄せ、
瞬く間に数体仕留め、再び自陣へと引っ込んだ。
一個小隊を仕留めて獲物にありついた十数体は捕食に夢中となって
戦闘を忘れ、残る数体は再度のシベリウスらの猛攻により屍と化した。
共に突出した他の者たちが屍と化した状況を察した捕食に励む十数体は
一旦食事を切り上げ、後ろ肢で立ち上がって首のない巨漢のような
恰好となって兵らを威嚇し、飛び跳ねて南方へ下がり後続と合流した。
こうして途切れた一度目の接敵により大口手足は20数体が撃破され、
守備大隊は一個小隊10名が死亡、他小隊から5名が負傷した。
大口手足残り40弱、守備隊残り70。戦力差を考えれば
城砦側としては理想的な戦果であり、大口手足らは
肢をかがめ姿勢を低くして再び攻め入る隙を窺い、
守備大隊は小隊一個分戦線を東へ向かって縮小し、やや城門へと後退した。
「閣下、守備隊が交戦状態に入りました」
本城中層上部の座所で眼下の薄闇の向こうに戦場を感じながら
軍師ルジヌはそう告げた。一方そう告げられたブークは
短くそうかと答えたのみで、動く気配を見せなかった。
ルジヌはやや目を細めてブークを見やり、巫女たるミカガミや
第三戦隊の誇る弓の名手たちも気遣わしげな様子を見せた。
「……酷薄なようだが」
ブークは微かに悲哀の色を見せて告げた。
「まだ撃てない。
未だその時ではないのだ」
「そうですか」
ルジヌはあっさりとその言に従い、
弓兵たちも視線をブークから遠く眼下の戦場へと戻した。
精神の矢を作り出した光の巫女にして軍師ミカガミは
やや心中にわだかまりを感じていたが、
それを解すかのようにブークは語った。
「罠は味方を救うために使うのではない。
敵を殺すために使うのだよ。
そして眼下の一群を屠るだけでは、
我らの求める戦果には足りぬということさ」
光の巫女ミカガミは城砦軍師としてその言葉を理解し
ブークに一礼して瞑想を始めた。
精神の矢の抽出で磨り減った気力を
さらなる抽出に向けて少しでも回復させようとの試みであった。
「我らが見定めるべき機は鉄塔の向こう、
深き闇の中にある」
ブークはそう言って瞑目し、その精神を研ぎ澄ました。
野戦陣の南方には、ただひたすらに重々しい闇が拡がっていた。




