サイアスの千日物語 二十九日目 その七
サイアスとヴァディスは資料室を後にして、本城北口へと向かっていた。
第四戦隊の営舎と各国騎士団駐留部隊の営舎は、敷地が南北に
隣接しているため、帰りも同じ道行きだったのだ。
「目といえば」
サイアスが切り出した。
「ん?」
「練兵所で訓練中、ものには『目』があると言われました。
そこを見抜けば容易に斬れる、と」
サイアスは先日の練兵所でのやりとりを掻い摘んで話した。
「なるほどな。いかにも達人らしい表現だが、やや抽象的か」
ヴァディスは頷き、暫し思案していた。サイアスは続きを待っていた。
「例えば人を一撃で仕留めたいと思ったら、頭や心臓を狙うだろう?
頭や心臓は弱点や急所と呼ばれ、うまく突けば命を落とすからだ。だが」
ヴァディスは一拍置いてさらに続けた。
「頭や心臓を突いたとて、身体がバラバラに砕けるといったことはない」
「ふむふむ」
「その騎士殿の言われる『目』とは、弱点や急所といった
機能上の要所ではないということさ。いうなれば構造上の要所」
「丸太であればそれを分断するのに最も効率の良い構造上の要所を見抜き、
そこを打て、と言われているんだろうね」
「なるほど……」
サイアスは機能と構造という二つの観点で考えてはいなかった。
そのため頭や心臓の無い丸太の場合、『目』が見抜けなかった、
ということなのかも知れない。サイアスはそのように思い至った。
「でも丸太に『目』なんて、あるんですか?」
「さぁ? 丸太に聞いてくれ」
「むー」
ヴァディスは楽しげに笑った。
サイアスとの掛け合いが楽しくて仕方ないらしい。
「というのは冗談で、実際は個々の丸太によって違う、ということさ。
木目や虚、節、歪みなど、色々考慮して判断していくしかないんだろう。
まさに経験の積み重ねでしか会得できない勘所なんじゃないかな」
「ふむ……」
サイアスはうまく言いくるめられたようで腑に落ちなかったが、
納得はしたようだった。
「おやおや、ムスっとして。可愛いとこあるじゃないか」
ヴァディスは形の良い唇に指を添え、サイアスの顔を覗きこんだ。
サイアスはそっぽを向き、ヴァディスはさらに上機嫌になった。
そうこうするうち北口を抜け、ほどなく駐留部隊の営舎が見えてきた。
「では私はここで。明日までは営舎に。それ以降は本城の官舎だ。
また判らないことがあったら、何でもお姉ちゃんにきくんだぞ」
ヴァディスはわずかに首を傾け、愉快気にそう言った。
「うーん……」
サイアスは困った顔をした。ヴァディスは声を立てて笑い、
手を振って詰め所へと入っていった。
サイアスはさらに南へと歩き、第四戦隊営舎の詰め所へとたどり着いた。
既に夕刻が近づいており、中には出動から戻ってきた兵士たちがいた。
「お、サイアスか。今日はどこへ行ってたんだ?」
顔見知りの兵士が話しかけてきた。
「座学のために本城の書庫へ行ってきました」
「本城の書庫? ……それって参謀部の資料室のことか?」
「はい」
兵士は怪訝な顔をした。
「兵士は大抵門前払いを食らうぞ。お前、入れたのか」
「はい。知り合いの騎士の方が話を通してくださいました」
「ほー…… 何だかえらいことになってんなぁ」
兵士は狐につままれたような顔をしていた。
「あの…… どういうことでしょう」
サイアスが不思議に思って問い返した丁度そのとき、
騎士ベオルクが詰め所に入ってきた。
「サイアス。軍議で地図を供出しただろう? あれの書き込みが
上の方のお気に召してな。そのまま上納することになった。
代わりに新品の地図と勲功を支給するそうだ。勿論証言の分もな」
そういってベオルクは真新しい羊皮紙を差し出した。
地図の内容自体はラグナに貰ったものと同一だが、
羊皮紙にやや厚みがあり記載も色濃くなっていた。
耐久性が考慮されているのだろう。
「はい。ありがとうございます」
サイアスは地図を受け取り、さらに挟んであった証紙に目を通した。
そこには紋章と署名、さらに勲功授与1000点と記載されていた。
紋章に見覚えは無かったが、署名にはチェルニー・フェルモリアとあった。
「1000点……」
脇で見ていた兵士が唸った。薪割りで10点なことを思えば、
これは破格の報酬といえた。
「これは…… 酒だな」
「あぁ、酒だろう……」
「樽だ、樽でいくべきだ……」
「今宵の酒はよく飲める……」
何やら兵士がわらわらと寄ってきた。サイアスは思わずベオルクを見た。
ベオルクはヒゲを撫でつつ苦笑している。
「ま、次の出動は明日の朝だ。一杯ずつくらいなら良いだろう。
ひとつ私も混じるとするか」
その後第四戦隊20余名は総出で食堂におもむき、サイアスの歓迎会と
表彰祝賀会、戦隊の本日の出動お疲れ会、並びに明日の出動の壮行会等々
ありとあらゆる理由を並べ立て、軽く酒盛りすることになった。
サイアスは何が何やら訳がわからなかったが、
皆楽しそうなので良いことにした。
ヴァディスさんにも何かお礼をしないとな、お姉ちゃんは勘弁だけれど。
などと思いつつ、サイアス自身も久々の賑わいを楽しんでいた。
それなりに騒いで飲み食いした後、風呂に入って早めに休むことにした。
上層部からの褒賞として勲功1000点を獲得、酒盛りで200点を
消費し、差額800点の勲功を得て、サイアスは今日の任務を終えた。




