サイアスの千日物語 四十五日目 その四
できそこないの第二波がその殆どを火の海に沈められ、
その首魁たるできあがりが灼熱の吐息で精兵を焼いて
オッピドゥスの前に降り立った頃、轟然と地を焦がす
火の海のさらに南の闇の中で、敵陣中央の座標8-15から
新たな部隊が三度、侵攻を開始していた。
宴の初夜に集結した魔軍800、戦力指数にして
累計2700の眷属の群れは城砦側の奮闘により
4割近いおよそ300体、戦力指数にして900前後の
損害を出していたが、未だその猛威を失ってはいなかった。
数は多いが個として弱いできそこないや羽牙は
魔軍全体にとり歩卒でしかなく、個々の眷属の欲動はどうあれ
魔軍にとってはより良い戦局を創出するための捨て駒であり、
ここまでの展開は魔の采配による定跡であった。
前衛にして牽制たるできそこない300を展開し終えた
魔の軍勢は、その生死に微塵の感傷も興味も示さぬまま、
次いで主力部隊を動かした。できそこないに倍する
大きさの、ぬめる闇のわだかまりが音もなく動き、
夜の海のうねりの如き暗鬱たる不気味さを以て
密やかに城砦へと忍び寄っていた。
城砦南方に広がる野戦陣と防衛線は南の防壁と並行して
概ね座標6-12から6-18までの広域に構築・展開されており、
これらは中間点たる城門真南の座標6-15で東西に分かたれていた。
さらに東西の野戦陣は、南に面し各々二か所の間隙を有していた。
これらの間隙は中央同様敵に北進を選択させるための誘いであり、
敢えて構造物の密度を下げ、人の壁を混ぜて守備していたのだ。
そして中央の分断域たる大規模な間隙には第一戦隊長にして
騎士長たるオッピドゥス率いる第一戦隊精兵隊が布陣し、
東西両陣にある各々の間隙には第一戦隊の一個小隊15名が詰め、
やや後方に東西側面への対応も兼ねた騎士含む一個小隊を置き、
計50名の一個中隊を以て東西それぞれの陣での防備を担っていた。
中央に陣取る精鋭部隊と異なり、東西の野戦陣で間隙を
護るのは一般的な城砦兵士であり、戦力指数にして1から3。
要するに単独では決して眷属に抗し得ぬ水準の者たちであった。
それゆえ山門程度の小規模な間隙に1個小隊を充当し、
誘いとは言え分厚く守るに十分な態勢で臨んでいた。
眷属が侵攻してきた際には大柄な体躯と密集陣形を駆使して
すし詰め状態となれば、物理的に侵攻は不可能となる。
無論そう長期間もつものでもないだろうが、
戦術的判断を仰ぐ時間程度は稼げるとの目算だ。
深夜。1時には少し早いかという、そんな頃。
座標6-12にある最も西の間隙のすぐ外側で
小隊の2名の兵士が首を竦めつつ周囲の状況を警戒していた。
ひたすら重苦しい闇と静寂の中、暑くもないのに
流れる汗を面頬を上げて拭いつつ、二人は無言で佇んでいた。
この箇所の間隙は左右を鉄塔に挟まれた屋根のない
山門の様な形状になっており、両の鉄塔の北側には
防柵が南北方向に延びて、丁度通路の体を成していた。
その先は防衛線と並行に互い違いに並べられた柵や障害物が。
さらに後方には騎士付きの小隊が篝火の下待機していた。
馬車2台がぎりぎり並んで通れる程度のこの間隙には
第一戦隊の一個小隊15名が詰めており、6名2列の横隊が
門を守備し、残る3名は伝令や周辺警戒に当たっていたのだった。
表に出ていた兵士はやがてそそくさと門の内側へと戻り、
次いで別の2名に哨戒の順番が回ってきた。
新たな2名は門外に出て、小隊の仲間が詰める間隙の
十数歩程南方で僅かな篝火の灯りの下哨戒を開始した。
そして東へと向きなおり、爛々とした火の海や
時折起こる鬨の声を見聞きし、
既に戦端が開かれていることを理解した。
遠からず、そう、あちらでの戦闘が片付いたなら、
そのうちこちらにも敵部隊が押し寄せてくるかもしれない。
極限状況であるがゆえにある種麻痺した思考回路を以て、
兵士らは楽観的な観測、いや願望を思い描いた。
しかし魔軍の侵攻はそんな彼らの思惑を遥かに超えて怜悧であった。
恐怖をひた隠して東へ西へと練り歩く甲冑の鳴りを
細かいが間断なく響く擦過音が大地から迸って上書きし、
時折耳障りに響くギチギチという音が聞こえ出すに至り、
知らず南方の闇を避けていた兵士らは否応なく現実に引き戻された。
そして嫌がる身体をもどかしくノロノロと南方へと向け、
鉄塔の灯りが微かに照らす、南方程近くに迫るその光景を見た。
そこには。
夜の海原に浮かぶ小舟から見る、どこまでも黒くうねる波の様に
ぬめやかに上下する無数の異形。揺らめく篝火の赤光を受け
てらつき奇怪に蠢く無数の肢。そして無数の光る眼があった。




