表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サイアスの千日物語  作者: Iz
序曲 さらば平原よ
36/1317

サイアスの千日物語 二十九日目 その六

サイアスとヴァディスは通路を進み、正面突き当りの扉を開けた。

扉の先は営舎の詰め所の倍程ある、吹き抜けの広間だった。

広間の壁は大半が書架。そこには数々の書物や巻物や

石版といった資料が安置され、脇にある文机では

ローブを纏った人々が一心不乱に内容を精読し、

さらに書写して新たな資料を生み出していた。


「ここが参謀部資料室。いわゆる『書庫』だ。

 地上部分の資料は概ね数百。すべて写本や複製品だ。

 現物は地下の閉架書庫にある。そちらには

 一万を超える資料があると聞いている」


ヴァディスは先を示すように手を差し伸べ、

サイアスは興味津々といった様子で

広間をぐるりと見渡していた。


「人魔の戦いに関する重要な資料は、全て地下で保管されている。

 地下の書庫はかなり深い位置に独立して存在している。

 陥落時に備えてな。仮に地上が壊滅しても

 後で掘り起こせばいい、という訳さ」


ヴァディスは資料の群れに目を輝かせるサイアスに小さく笑んだ。


「地下書庫の資料の大半は古王国由来の断章であったり

 100年分の日誌や報告書や戦闘記録であったり……

 まぁそのままでは扱い難い代物だ。

 このうち検証や編纂が済んだものは地上へと持ち出され、

 複製後ここに収蔵したり他城砦へ運んだりする。

 歳月をかけて蓄積した英知の欠片の醸造所というべきか」


ヴァディスは書架を眺めつつ続けた。


「軍師の技能訓練はひたすら地味でね。

 二戦級のうちはここで地下から持ち出した資料を書写したり

 地上の写本を複製して、膨大な知識を脳裏に焼き付けるんだ。

 的確な観測を成すには情報の蓄積が不可欠だからな。

 そのうち育ってきたらどこぞの隊に随行して実証を得、

 生きて戻ったら記録を残し弁証し昇華させて

 新たな英知の欠片とする。その繰り返しさ。

 要はひたすらお勉強だ」


広間で書写に励むローブ姿の人々は、

どうやら軍師の卵ということらしい。皆黙々と、

スルスルと羽ペンの音を鳴らして作業に励んでいた。

サイアスとヴァディスはそうした人々を横目に眺めつつ

手頃な空席に腰掛けた。



「そもそも『軍師』とは、

 どういうものなのですか?」


サイアスは根本的な問いかけをした。


「定義としては、

『あまねく森羅万象を数値として観測し、

 彼我の戦力差を算定して戦の帰趨を占い

 諸数の演算に基づき勝利を導く者』だ」


ヴァディスは淀みなく答えた。

徐々に荒野で指揮を執っていた時の気配になりつつある、

とサイアスはそう感じた。


「森羅万象の数値観測、つまり

 ありとあらゆるものを数字として見る技能は、

 軍師の基本にして根幹だ。これを『軍師の目』と呼んでいる」


「軍師の目……」


「あぁ。軍師は人と同じものを全く違うやり方で見るんだよ。

 例えば三人の兵士がいて、力の強さを比較したい、となったとき、

 普通は三人それぞれに同じ作業をさせるなどして、出来栄えから

 優劣を決めるだろう? この人はあの人より力が強い、といった風に」


ヴァディスは熱心に聴き耽るサイアスに

徐々に抑揚を失いながら説明を続けた。


「軍師は三人それぞれの力の強さを

『軍師の目』で観測し、『膂力』という能力値として数値化する。

 そして数値を比較して差異を算定するんだ。この人の膂力は10。

 こちらは8なので2低い。といった風に」


ヴァディスの声から感情の色が消えた。


「軍師の目の修得には、大前提として人智の境界を越えた

 慮外の視野を、極度に客観的な神智的視野を手に入れる必要がある。

 天賦の才を持った者が研究者として何十年となく研鑽を積むことで

 得られる場合もあるが、ここではもっと手っ取り早い方法を取っている」


ヴァディスは乾いた声でいった。


「魔だ。魔や眷属といった人外の存在に触れることで、

 人の価値基準から離脱した観点を手に入れるんだ。

 これを成すには荒野に棲まう人外の異形、すなわち

 魔や眷属と対峙し退治して力を得、萌芽の切欠を掴まねばならない。

 

 そのため軍師を目指すものは、

 やはり城砦兵士として最低限の実戦経験を経ることになる。

 軍師になるために実戦を経るというよりも、実戦を経て

 目覚めた者が軍師になる、という方が正しいだろうな。

 

 無論実戦を経たからといって誰もがなれるわけでもない。

 間違いなく資質も必要だ。ま、切欠が大事

 という程度のことだよ」


ヴァディスはそう言って薄く笑った。


「で、切欠があって『軍師の目』の萌芽を得たものは

 ここにある資料をさらに徹底して脳髄に叩きこみ、

 新たな視野を掘り下げていくわけだ。

 

 私も軍師としてはまだ駆け出しでね。本国の部隊が

 駐留していない時期は、ここに入り浸って

 写本に励む日々を送っている」


「なるほど…… そういうことでしたか」


「あぁ。そういうことさ」


「要は人を辞めて、軍師という別の生き物になるのですね」


サイアスは忌憚のなさすぎる発言をした。

書庫で書写する数名が苦笑していた。




「化け物みたいな言われようだな。

 城砦騎士よりはまだマシだぞ」


ヴァディスは笑った。少し感情が戻ってきたようだ。


「城砦騎士は戦力指数が10を超えるからな…… 

 騎士長ともなるとさらに上をいく。あぁ、戦力指数とは

 軍師の目によって観測された戦闘能力の評価だ。

 城砦兵士を1として、魔の強さを観測することを目的とした概念だよ。

 ちなみに現状確認されている魔は、最も弱いもので100はある」


サイアスは愕然とした。

文字通り、魔の強さは桁違いだったのだ。


「……それ、勝てるんですか?」


「ん? たまに倒してるみたいだぞ。

 十数年に一体、程度らしいが」


「……」


「年に数度、魔が複数連れ立って攻めてくることがある。

 眷属も一緒にな。これを『宴』と呼んでいるが、

 大抵この一戦で数百人は削られる。ほぼ防戦一方で、

 眷属はともかく魔は手傷を負わせて追い払うのがいいとこさ。

 

 ただ、その後手傷を負って弱った魔を追跡し、

 潜伏場所が特定できたら傷が癒える前に強襲し、

 うまくいけば仕留めるのだそうだ。勿論昼間にな。

 

 魔は絶対数が少なく増えることもないと言われているから、

 長い目で見れば成果は着実に上がっていると言っていい」


人ひとり、村ひとつといった規模の話ではまるでないのだ、

とサイアスはようやく理解しつつあった。

ここ「人智の境界」では、まさしく

「人」の存亡に関わる大戦をしていたのだ。


「ん? どうしたサイアス」


ヴァディスはサイアスが消沈しているのに気づいた。


「何だか、話が大きすぎて」


「はは。まぁそうだな。

 ここが新兵や兵士の入室並びに資料閲覧を

 制限している理由も判るんじゃないか?」


「はい。納得しました」


書庫で扱う情報を新兵や兵士が知れば

確実に士気が下がるだろうことは

サイアスにも容易に推測できた。


「ま、一個の命にとっては絶望的でも、

『人』という種にとっては希望の持てる戦いなんだよ」


ヴァディスはそう言って立ち上がり、

サイアスの肩に手を置いて微笑んだ。


「そう悲観するな。

 やや脱線はしたが、軍師については判っただろう。

 今日の座学はこれくらいにしておこうか」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ