サイアスの千日物語 四十四日目 その十六
東西南北に頂点を持つ四角錐をした城砦本城の中枢区画。
各頂点から走る目貫通りの交差点でもある円形の大広間の
中央には、石造りの大きな塔が聳えていた。
サイアスがヴァディスの命に従い中央塔を訪れたのは
午後九時半を少し回った頃であり、周囲には忙しなく
行き交う軽装の兵や軍師で溢れていた。
既に城砦騎士団の主力部隊は防壁外への布陣を済ませており、
開戦の時を待っていた。城砦側の目的は防衛であり、
夜明けまで敵を凌げばひとまずの勝利を手にすることとなる。
そのため開戦は少しでも朝に近い方が有難いのだが、
敵に万全の態勢で総攻撃をされる訳にもいかぬので、
闇中頻回に斥候や伝令を飛ばし、連携を密にして
先手を打つのに最も効果的な「機」を探っていた。
行き交う兵らからの敬礼に適宜応じつつ、
歩哨にかき抱かれるようにしてサイアスは中央塔へと入った。
中央塔一階広間には参謀部や騎士団長直属の衛兵らが待機しており、
時折広場にこだまする下命に従い各方面へと走っていった。
そうした兵らの邪魔にならぬよう、注意しつつ周囲を
眺めていたサイアスは、向かって奥の右手から強烈な気配が
飛んでくるのを感じた。昼に死線を越えてきたばかりの
サイアスは、この手の気配にはすこぶる敏感になっていた。
まして大戦の直前である。戦場の殺気にも似たその気配に対し
周囲の兵士が怯む程の剣気を以て応じると、そこには
目深にフードを下した二人の線の細いローブ姿の人影があった。
「うっ…… 済みません。
敵意があるわけではないのです。
大勢の中、貴方にだけ言葉を飛ばすのが難しく……」
サイアスの脳裡に震えがちな言葉が響き、
サイアスは慌てて剣気を抑え舌打ちをした。
気配の主はシラクサであった。
「こちらこそ済まなかった。
戦の空気に呑まれていたみたいだ。ごめんね」
サイアスはローブ姿の二人に近づき、
より小柄な方に頭を下げた。
「いえ、私が軽率でした。ごめんなさい……」
シラクサはすっかり消沈して俯いていた。
「あらら、泣かせちゃいましたね。
やっぱりあちこちで泣かせてるんですねー」
ケラケラと笑いつつそう言ったのはフェルマータであった。
「ひ、人聞きの悪いことを言わないでください。
変な異名が付いたらどうするのです」
サイアスは動揺しつつ
なんとかシラクサの機嫌を取ろうとした。
「んー? 良いんじゃないですかー?
認識票に宝石が増えますよー?」
フェルマータは楽しげにそう言い、
「……ふむ」
とサイアスはシラクサのことはどこへやら、
途端に真剣な面持ちで思案し出した。
「……指令室へご案内します」
困り者たちのやりとりにやや元気を取り戻した
シラクサは、真紅の瞳でジトりと二人を見やったあと
念話を飛ばし、先導して階段を登り始めた。
「そういえばフェルマータさんにお聞きしたいことが」
13階の上層を目指して昇りゆく最中、サイアスが
フェルマータにそう尋ねた。
「フェルでいいですよぅ。
サイアス様と私の仲ですし!」
「はぁ。しかしフェルは既に強烈なのが1名おりますので」
「あー、アレか……
じゃぁファータにしましょう! そうしましょう!」
「そうですか……
ではファータさん、ユハについて色々伺いたいのですが」
「ユハは私の娘です! 可愛がってあげてね!」
衝撃の発言にシラクサは思わずフェルマータを二度見したが、
サイアスは平然として
「まぁ、最早その程度のことでは驚きません。
懐いてくれたし気に入ったので可愛がるのも約束します。
ただ、真っ白だったユハにどうも薄く色が付いたようなのですが、
これはどういった事なのでしょう」
と問うた。純白のユハの皮生地は、薄らと淡く紫だっていた。
「ふむふむ、あー確かに何やらほんのりと。
そっかーユハ早速ご飯貰ったのね。良かったわねー」
「ご飯、ですか?
これと言って与えた記憶はないのですが」
フェルマータの言葉にサイアスは首を傾げた。
「ユハのご飯はズバリ、眷属です!
まだ赤ちゃんだから血をちょっと吸うくらいですねー。
眷属の血、吸わせた覚え、ないですかー?」
「……大ヒルの血か」
「おぉ、大ヒル!
アレは栄養満点ですね! きっと強い子に育ちますよ!」
フェルマータは実に満足げに頷いていた。
「育つ…… 大きくなったり?」
「食事次第ですねー。眷属をたっぷり食べさせてあげないと。
サイアス様ならそれができるんじゃないかなーって思いました」
フェルマータが娘らしきユハをサイアスの下へと寄越したのは、
どうやらサイアスの非凡な戦歴を見込んでのことだったらしい。
「成程。返り血を吸ってくれるなら、
こっちも汚れなくて一石二鳥だな」
「ですよね! ですよね!
いやぁこないだ閣下と空飛んで帰ってきたときの
血塗れっぷりを見て、この人だっ! てピンと来たんですよ。
流石に私じゃどうしようもないですからねー」
「ははは、あの時駆け付けた中にいらっしゃったんですね。
まぁそういうことなら出撃の際には必ず連れていくことにします」
「是非是非! 立派で元気な絶世の美女に育ててやってください!」
サイアスは笑って約束し、フェルマータも至極ご満悦な様子であった。
「……自分のことを普通じゃない、
誰にも好かれない変な生き物だって思いつめてたのが
馬鹿馬鹿しくなってきました……」
サイアスとフェルマータのぶっ飛んだ会話に
疲れたらしきシラクサが、その様な感想を念話で漏らした。
「あはは、確かにそれは馬鹿馬鹿しいねー。
まずは自分が自分を好きになってあげないと。
ねっ? サイアス様」
と早速それをフェルマータが笑い飛ばし、サイアスは
「呼び捨てで構いませんよ。
そしてその通りだと思います」
と言うと、シラクサの目深に被ったフードをひょい、と
後ろへ引っ張った。ところどころの壁に掛けられた
松明の灯りが鴉の濡れ羽色の黒髪や抜けるような白い肌、
そして宝石の如き真紅の瞳を照らし出し、シラクサは
驚いて足を止め、サイアスを見つめた。
「夜はフード禁止ね。
声に出さなくても互いに顔を見れば判ることは多い。
そうやって少しずつ自分にも周りにも慣れていければ」
シラクサは暫しじっとサイアスを見つめ、
やがて我に返って慌てて顔を背けた。
「……考えておきます」
シラクサはそう念話を残してそそくさと階段を先へと進んだ。
「本物の女ったらしだー。
フラれ饅頭ガニに爆発しろって言われますよ。
これは奥さんたちに報告書を提出しないと」
「……何が望みかな」
「甘いものがいいなー。
氷菓じゃ! 氷菓を持て! あはは!」
フェルマータは屈託なく笑い、サイアスは肩を竦めていた。




