サイアスの千日物語 四十四日目 その十五
午後9時過ぎ。内郭南東区画、第二戦隊営舎前。
東方風の瀟洒な館と西方風の武骨な営舎が並ぶこの区画には
出歩く人影がほとんどなく、北東区画を進発した縦にも横にもかさばる
第一戦隊精兵隊100名は、燃え盛る篝火のパチパチと弾ける音を
軍鼓代わりの伴奏として、規則正しく大地を踏みしめ武具を鳴らし
無人の野を往くが如く不自由なく南門へと進んでいた。
内郭の郭壁の手前には北西に向かって両翼を広げたような恰好で
館と営舎が建っており、中央の館の門前には壮年の男が一人静かに佇んでいた。
漆黒の長髪をうなじで束ね銀と緋色のラメラーを纏い、武装は腰に剣一振り。
精兵隊は男の存在に気が付くと号令一つなく足を止め、一斉に向き直って敬礼。
その後号令を受けて行進へと戻った。
精兵部隊の最後尾を巨躯を揺るがし南進していたオッピドウスは
兵らを先へと追いやって、自身は門前の男の方へと寄ってきた。
「騒がしくてすまんな。
これでも精一杯お上品に動いてるんだが。
まぁひとつ勘弁してやってくれ」
オッピドゥスはドスの利いた声で笑いかけた。
「お前の声に比べれば小鳥の囀りのようなものだ。
本城を通すよりは遥かにいい。補充の兵も気兼ねなく通せ」
門前の男、第二戦隊長にして剣聖ローディスは苦笑した。
「おぅ。遠慮はせんぞ。
さらに厚かましい話だが、両翼の兵士を頼む。
連中が泣き出す前に面倒をみてやってくれ」
「あぁ。初撃だけは自力で凌いで貰うがな。
お前は中央か?」
「おぅ。敵陣正面ド真ん中だ。
なかなか気分の良いものだぞ。
気兼ねなく存分に暴れさせて貰う」
「クク、俺は敵陣ド真ん中だ。
精々こいつに血を吸わせてやろう」
「おぉ怖い。んじゃ俺は行くぜ。
また後でな」
「あぁ。後でな」
オッピドゥスは物騒な笑顔でそう言うと、のそりと向きを変え部下を追った。
ローディスは巨躯がのし歩く様を薄く笑って見送ると、
背後の門を開け館へと入った。
門の裏には本館へと続く飛び石の敷かれた小道と
小石の敷き詰められた庭園が拡がっており、随所に篝火の灯る庭園では
奥の座敷の縁側へと向かって左右に分かれ距離を取って床几が並べられ、
向かい合うようにして10名の武人が腰掛けていた。
ローディスは列の合間を武人らに見守られながら悠然と進み、
縁側に腰掛けて脇に置かれた盆から茶碗を取って一服したのち
「ミカゲ」
と短く呼ばわった。
「これに」
陰影の強い庭園の暗がりからにじみ出るようにして
人影が現れ、ローディスの前に跪いた。
「現地の様子は」
「片付いております」
「手筈はどうだ」
「抜かりなく」
「ふむ」
ミカゲと呼ばれた人影は問われたことに
ひたすら簡潔に答え、最後に補足した。
「マナサ様より言伝を預かっております」
「何だ」
「10-19にて狩りに興じたとのこと」
「ほぅ」
ローディスは戦域図を確認した。10は地図の南端、
19は東の外れ。城砦南壁の東角を南に延長した
線分よりもさらに東であり、予測敵本陣の南東に
位置する座標であった。
「支援遊撃といったところだな。
厚意は有難く頂戴しよう」
ローディスは僅かに苦笑してみせた。
「引き続き警戒に当たれ」
「御意」
短い応えと共に、人影は再び陰影の彼方へと消えていった。
その後ローディスは武人たちの見守る中ゆるりと茶を嗜みつつ
思案気に目を伏せ、張りつめた静謐を堪能した。
「さて…… そろそろ頃合いか」
ローディスは毅然と待機する10名の武人を見やり、言葉を継いだ。
「ファーレンハイト。東の二陣を統率しろ。
先陣はヴァンクインだ」
「応」
ファーレンハイトと呼ばれた剃髪黒衣の荒武者は
短く返答し、歴戦の武人ヴァンクインを伴い退出した。
「ウラニア。西の二陣を率いろ。先陣はお前。
二陣目にアクタイオンだ」
「お任せ頂こう」
「迅雷公女」の異名を持つウラニアは
最長老の騎士アクタイオンを伴い館を出た。
「連中はいずれ劣らぬ荒武者だ。後先考えぬ利かん坊ゆえ
お前たちの補佐が要る。各陣に対し最低1名。
好みの陣を選ぶがいい」
残る6名の武人が立ち上がり、ローディスに敬礼をして
4陣の指揮官を追った。10名の武人が門を出ると、そこには
いつの間にか第二戦隊兵士たちが集結しており、それぞれの武人、
すなわち城砦騎士たちは隊伍を整え外郭北門を目指して進んでいった。




