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サイアスの千日物語  作者: Iz
第二楽章 魔よ、人の世の絶望よ
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サイアスの千日物語 四十四日目 その十四

父の破天荒な行状を知って頭を抱えて呻いていた

サイアスであったが、暫時の後、はっとして耳を澄ました。

すると幽かにではあるが、低い潮騒の如きどよめきが

流れてくるのを感じた。


「……何か、うめき声のようなものが

 聞こえてきます」


サイアスは普段の平然とした表情を取り戻し、そう言った。


「そうだな。獣の遠吠えの類だろう」


ベオルクは事もなげにそういって、供回りに茶を用意させた。

無論荒野に獣はいない。要は眷属たちの咆哮だということだ。

遠浅の潮騒のようなどよめきは僅かずつ、しかし確実に

大きくなっているようだった。


「徐々に大きくなるようですね……」


とのサイアスの指摘に対し、


「まだ数十というところだな。

 この程度では無駄足だ。捨てて置け」


ベオルクはさらりとそう言って、

配下の煎れた茶をサイアスにも薦めた。

サイアスはベオルクと供回りに一礼して受け取り、

ありがたく頂戴し一服した。


「あれは脅しと誘いだ。相手にする必要はない」


「ふむ」


ベオルクの簡潔な応答にサイアスはやや思案顔となった。


「闇夜の戦だ。敵は闇に潜んで光を追い、

 我らは光の裏から闇を睨む。つまり互いに相手が見えぬのだ。

 ゆえに連中はあの手この手で揺さぶって、我らが飛び出すのを

 待ち構えている。光の表、奴らの側へな。

 今後こうした手口は増えてくるぞ。くれぐれも軽挙は慎むことだ」


ベオルクは茶をたしなみつつそのように語った。

暗闇からの咆哮によって兵士らの抱える闇への不安、見えぬ敵への恐怖

そういったものを煽って戦う前に気力を削ぎ、また指揮官の判断力や

統率をも鈍らせて妄動させ、そこを狙うという肚らしい。

誘いに乗って迂闊に飛び出せば、四方八方から殺到した眷属どもに

跡形もなく食われるのだろう。


「三軍は気を奪うべく、将軍は心を奪うべし」


デネブの煎れるものとはまた違う種類の茶を味わい、

すっかり将の顔となったサイアスはその様に語った。


「然りだ。判っていて乗る馬鹿はおらん。

 精々敵陣の算定に役立てるさ」


ベオルクはニヤリと笑い、褒美のつもりか茶菓子を寄越した。

親指程の長さの細い焦げ茶の板であり、随所に白い粉末が散見された。

サイアスはベオルクを真似てそれを口に放り込んだ。

板の正体は干した海藻であったらしく、口中には酸味とともに

芳醇な味わいが拡がった。


「甘い菓子は戦のあとの方がうまい。

 まずは味覚も引き締めてやらねばな」


ベオルクはヒゲを撫でつつニヤリと笑った。



午後8時半ば過ぎ。内郭北東区画。

第一戦隊の営舎があり、昼夜を問わず訓練に明け暮れる兵士たちで

賑わうこの区画は、しかし粛然として戦意に満ちていた。

広場の中央にある戦隊長の在所に正対するようにして、

甲冑を纏い大盾を手にした大柄な兵士たちがずらりと整列し、

前方に控える甲冑の巨躯と周囲を無駄なく行き来する

伝令や将官を見守っていた。


「閣下。野戦陣への配備、完了しました。

 参謀部からの情報更新、敵状は予測通り。

 開戦は11時前後とのことです」


人の基準でいえば十分に大柄な、鈍色の甲冑の上から膝までの丈の

臙脂色のガウンを羽織った男がそう告げた。


「うむ。まずは200名で臨む。

 中の差配は任せるぞ」


「ハッ」


ガウンの騎士、第一戦隊副長セルシウスは威儀を正して敬礼した。

巨躯の甲冑、第一戦隊長オッピドゥス・マグナラウタスは

眼前に整列する100名の重装歩兵に対し声を掛けた。


「お前たち。準備は良いようだな。

 野戦陣のあっち側で、眷属どもがお待ちかねだ。

 連中浮かれて吠えまくってるようだが、俺たちは紳士だ。

 素敵な笑顔でスルーしてやれ。大人な対応を期待しているぞ」


オッピドゥスは普段の大音声が嘘のように

物静かに、しかし十分すぎる音量でそう言うと、

右手を掲げ、南へと示した。



ザッ、ザンッ。



一糸乱れぬ動きで重装歩兵の群れは南へと向き直り、

次なる命令を待った。オッピドゥスは頷き、そして命じた。


「第一戦隊精兵隊、進めぃ」

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