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サイアスの千日物語  作者: Iz
第二楽章 魔よ、人の世の絶望よ
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サイアスの千日物語 四十四日目 その十三

本城中央塔上層、独立区画。

空へと続く居室の扉を開け放ち、セラエノは沈みゆく夕陽を眺めていた。

赤々と熟した巨大な果実は惜しみなく大地へと落ちゆき沈み、

徐々にその姿を翌朝に向けて仕舞い込む。染み入るような赤の大気は

遠方で僅かに揺らぐも熱気を伝えることはなく、

代わりに急速に黒に蝕まれていった。


セラエノはもの憂げな表情で瑠璃色の瞳を東へと向けた。

滲み出るように現れた黒の大気は徐々に世界を染め直し、やがて登場した

漆黒の光玉が絢爛たる闇色の輝きをたなびかせ、落日の余韻や一番星の

吐息を呑みこみ、あらゆるものを己が色で支配した。

黒の月、闇の夜。荒野ではそう珍しくない情景だった。


「閣下、そろそろここも危険となります」


セラエノの背後には軍師アトリアが控えていた。


「あぁ。すぐ支度するよ。

 しかし何度見ても不思議なものだね、黒の月って」


セラエノは艶やかな漆黒のわだかまりが徐々に

天へと昇りゆくのを見守り、やがて扉を閉じた。


「そうですね…… 

 平原と同じものとは思えぬ程です」


アトリアは抑揚なくそう答えた。


「太陽にしてもそうだね。

 熱が無さすぎる。100年は調べてるけれど

 ロクな解答に辿り着かないよ」


「……ロクでもない解答には

 既に辿りついているのですね」


アトリアは僅かに目に光を宿した。


「流石は軍師。たっぷり捻くれてる。

 そして勿論、その通り」


セラエノはアトリアに振り返った。


「聞きたいかい」


微笑みながら尋ねるその瞳は、深淵の色を帯びていた。


「結構です。任務がありますので」


「アトリアは真面目だねぇ。

 だから補佐を一任している訳だけど」


セラエノは肩を竦めた。


「まぁ確かに、まだ不透明な部分が多すぎる。

 そしてそれを追うには非常な危険を伴う」


「ライナス閣下のように」


「そうだね……

 真理に迫れても、戻ってこれなければ駄目なんだ。

 彼は残念だった。いつかサイアスにも話さねばならない」


「参謀長がサイアスさんに目を掛けるのは、

 ライナス閣下の件への負い目ですか?」


「まさか。これでも100年軍師をやってるんだ。

 まともな情など枯れ果てているさ。

 私がサイアスを構うのは、単に美形だからだよ」


「……負い目の方がまだマシでしたね」


「ふふ、そういう事にしておいてくれ」


「……」


「今面倒くさい年寄め、と思ったろ……」


「今更改めて思うようなことでは……」


「ちぇ、まあいいや。

 寝首掻かれても困るから許してやるよ。

 またひと月もすれば寝たきりだしねー」


「あとどれほど生きるおつもりかは存じませんが、

 こうしてこの身が動くうちは変わらずお世話いたしましょう。

 その後のことは知りません。どうぞ勝手になさって下さい」


「はいはい、感謝してるよ。

 何年たっても変わらないねぇ君は」


「貴方にだけは言われたくありませんよ」


アトリアはようやく苦笑した。



午後7時過ぎ。サイアスはラーズに翌日の出陣に備えて

休養を取るよう命じ、シェドとランドには非常時に備え居室で

待機、交代で仮眠を取る様にとの指示を出した。

男衆が引き揚げた後は身内の健康状態等を確認し、防具を身に着け

武器を側に置いた状態で交代で休養を取っておくよう伝え、居室を出た。

サイアスの装備は昼の出陣時と同様であり、唯一の相違点は

ユハの仄かな色付きのみといった様相だった。


詰め所に入るとデレクに代わってベオルクが待機しており、

やはり供回りと共に書類や図面の確認をしていた。


「サイアス。大ヒルを斬ったそうだな」


ベオルクはニヤリと笑ってそう言った。


「どうだ。回避目的だったとはいえ

 かつて剣を折られた相手を斬ってのけた気分は」


「斬れたといっても致命傷ではありませんし、

 こちらも腕を痛めています。痛み分けの類でしょう」


「ふむ、物言いはともかく、まんざらでもないようだな」


ベオルクは澄まして語るサイアスの本心を読み取り、

供回りとともにニヤニヤしていた。


「大ヒルの戦力指数は騎士に近いと言われる。

 そのため騎士や騎士見習いは大抵あれと戦う羽目になる。

 お蔭で皆それぞれに大ヒル戦の逸話を持っているものだ」


「……父にも大ヒルとの逸話があったのでしょうか」


「あぁ勿論だ。飛び切りのがあるぞ。聞きたいか?」


ベオルクは得意げにヒゲを撫でつつニンマリと笑った。

いわゆる勿体ぶりヒゲだ。サイアスはちょっと悔しそうな表情を

しつつ、こくりと頷いた。


「あれは第四戦隊が出来てまだ間もない頃の話だ。

 冬の寒い日でな。我ら四戦隊なんでもやには輸送部隊の出迎えとして

 北往路を警備せよとの命が下ってな。掃除も兼ねて早朝から出張り、

 魚人を狩ったり羽牙を射たりしながら暇を潰しておったのだがな……


 昼を過ぎても夕刻が近づいても一向に輸送部隊が現れぬ。

 時折身体を動かす程度では到底凌げぬ寒さだ。皆凍えながら

 待っていたのだが、余りに来ぬので城砦へと使いを出したところ、

 輸送部隊はとっくに到着しているというのだ。昼には着いていたらしい。

 

 連中は南往路を使ったのだ。状況に応じて安全路を

 選択するのは当然だ。それ自体は何の問題もない。だがな。

 ふざけたことに、無事に荷が付いたのに安心しきって

 我らへの連絡を忘れていたのだ。お蔭でこっちは身も心も

 冷え冷えとして、兵の中には体調を崩す者も出ていた。

 普段温厚な戦隊長も、これには怒り心頭でな……

 

 すぐに輸送部隊長とまだ新人だった騎士団長がすっ飛んできて

 詫びを入れたので、義理堅い戦隊長はならば良しとて笑って

 許したのものだが、煮え立った腹の虫は収まらん。そこで」


ベオルクは背筋を正してやや顎を引き、首を傾げつつ

ライナスの口調を真似てみせた。


「『こうしてわざわざ来て下さったのだ。手土産の一つも差し上げよう』

 と言ってな。つかつかと川べりへと歩いていく。河川に大ヒルが

 潜んでいるのは誰もが知っているし、その日も何体か出くわしている。

 誰もがお留めしたいと思ったが、誰も敵わぬので物理的に止められん。

 そうこうするうちに大ヒルが飛び出してきて、戦隊長目掛けて

 巨体を叩きつけてきたのだが」


サイアスは話に引き込まれ、ベオルクの顔をじっと見つめていた。


「戦隊長はそれをひょいとかわしざま、思い切り横っ面を殴り飛ばした。

 大ヒルは錐もみしながらぶっ飛んで地面に転がってな。

 誰もが呆気に取られるなか、戦隊長は即座にそれを踏みつけて、

 自慢の堰月刀で縦に横にとバッサバッサと捌きだした。

 そして手頃な大きさに切り出した、まだよく動く大ヒルの切り身を

 盾に盛り付け、『長寿の秘薬だ。召し上がられよ』と、詫びにきた

 二人に差しだした。二人は仰天して口をパクパクとしていたものだが、

『喰わねば長生きできんぞ』と、それはもう泣き叫びたくなる気迫で

 威圧してな。輸送部隊長は泡を吹いて失神し、騎士団長は腰を抜かした」


ベオルクはドヤ顔でそう語り、周囲の兵士らはニヤニヤ笑っていた。

サイアスは余りの内容にどう反応していいやら判らず茫然としていた。

ややあってようやくサイアスは口を開き、


「あの…… まさか父はそれを、

 その、食べて見せたりは……」


と尋ねたが、


「馬鹿言うな。戦隊長は良識派で美食家だ。

 得体の知れんものなぞ、他人に薦めても自分で食うものか」


とベオルクはそう言って肩を揺すって笑い、

兵士たちも大笑いしていた。


「うぅん…… 

 それ、笑うところなのかなぁ?」


サイアスは困り果て、頭を抱えて呻き悩んでいた。

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