サイアスの千日物語 四十四日目 その十一
北往路への連絡路における哨戒任務を
敵工作部隊の発見及び殲滅という理想的な戦果を得て終えた
サイアス率いる騎兵隊は、報告と次なる任地への移動のために
城砦北門へと戻ってきた。明確に戦闘の痕跡を帯びた騎兵隊が
北門へと近づくと、北門警備の長であるガーウェインがすっ飛んできた。
「サイアス卿、ご無事で何よりです」
「ただいま戻りました、ガーウェイン卿。
城砦北東部の哨戒任務に関して報告いたします」
サイアスは騎兵らを待機させ、ヴァディスと共に状況報告をした。
サイアスは指揮系統上は第一戦隊兵士長たるガーウェインの上官だったが
かつて父ライナスも務めたトリクティア軍千人隊長の地位にあった
歴戦の勇士ガーウェインに対し、十全の敬意を払っていた。
「我が隊は北往路の出口である隘路の手前において
地形に影響を及ぼすべく作戦行動中であった魚人15体を発見。
隘路一帯が敵の支配域とならぬよう、これを殲滅し
敵の戦略に一定の圧迫を与えました。河川の眷属には宴に加わる
余裕はなくとも独自の作戦行動を起こす程度には余力があるようです。
今後も定期的な哨戒が必要であると感じております」
「おぉ」
ガーウェインはサイアスの報告を心地よく聴いていた。
齢17の若武者とは思えぬ、確固たる戦略眼に根差した
一廉の将の言であったからだ。
「サイアス卿は任務中、河川より奇襲をかけてきた
大ヒルと単騎対峙し、これを撃退することにも成功しています。
此度の哨戒任務は戦果以上に我が軍の士気を高めることでしょう」
「何と……」
ヴァディスの補足にガーウェインは瞠目した。
北往路の輸送任務を担当したガーウェインは、いやという程大ヒルの
恐ろしさを知っていたからであり、それを眼前の美姫の如き若武者が
単騎で撃退したというのだから、その驚きたるや推して知るべしと言えた。
軍を率いる将としても自ら剣を取る武人としても、常人を遥かに凌駕する
絶対強者、城砦騎士。きっとこの少年は城砦騎士になるのだろう、
ガーウェウィンはそのように確信した。
「サイアス卿、お見事。
実に見事にございます」
ガーウェインはすっかり感じ入り、何度も頷いていた。
「もったいなきお言葉。
されば報告も済みましたゆえ、我らは続いて
城砦西部の回廊へ向かいます」
「待てサイアス。ここは休んだ方がいい」
ヴァディスはサイアスを押しとどめた。
「哨戒任務の一か所目で『当たり』を引き、なおかつ
殲滅して戦果を挙げた以上、今日は切り上げておくべきだ。
開戦前で他戦隊にもまだまだ余裕がある。任務はそちらに引き継がせ、
避けられる連戦は避けて兵や馬を休ませてやれ。長期戦を見据えるんだ」
「うむ、軍師殿の言われる通りでしょう。
開戦直前の軍というのはむしろ血気盛んな連中を押さえておくのに
苦労するものです。ここはそうした連中の血抜きを兼ねて残りの任務を
譲ってやるのが良いでしょう。自他共に益のある判断となりましょうぞ」
百戦錬磨のガーウェインもまた、
一軍の将としての見地からサイアスに休息を薦めた。
こうした心情の機微に関わる視点はサイアスの未だ知らぬものであり、
サイアスは目から鱗の落ちる思いであった。
サイアスは僅かながら、人を率いて戦う際のコツや駆け引き
というものを学べたような気がしていた。
「成程、了解しました。
仰せの通り、休ませていただくことにします」
サイアスは深く頷いてそう言い、
「姉さん、そしてガーウェウン卿、
今後とも宜しくご指導ください」
と頭を下げた。ヴァディスはその様に満足げに頷き、
ガーウェインはサイアスが自身に足らぬ要素を瞬時に理解し、
また謙虚かつ貪欲に学ぶ姿勢を見せたことに驚きと喜びを感じ、
「仰せのままに」
と破顔一笑して頷いた。かつて第三戦隊長クラニール・ブークに
『極め付けの頑固者』と評されたガーウェインは、
どうやらサイアスを気に入ったようだった。
「ではサイアス、配下に任務終了を伝え、厩舎へ馬を戻し
表で待機していろ。私はこのまま参謀部に戻り、
報告と引き継ぎ、祈祷師の手配などを一通り済ませておこう。
ちゃんと祈祷を受け、その後睡眠を取っておくんだぞ」
ヴァディスはそう言ってサイアスの右腕と頭を突っついた。
サイアスは顔をしかめつつ苦笑していた。強撃で痺れた右腕と
ミカごと宙を舞って消耗した気力は、未だ回復していなかった。
「では今夜10時、中央塔で。
指令室は狭い。一人で来てくれ」
ヴァディスはそう言い残すと、
サイアスや騎兵隊の敬礼に見守られながら
中央塔へと戻って行った。
厩舎にて使った馬たちを労いと共に返却し、厩舎の表へと出た
サイアスを、数名の祈祷師が手ぐすね引いて待ち構えていた。
サイアスは問答無用で捕縛され、治療が開始された。
「別に逃げたりはしませんが……」
サイアスはやや不機嫌そうにそう言った。
騎兵たちもまた同様に回復祈祷を受けており、
サイアスの様子をニヤニヤと見つめていた。
「いやいや、ここの連中は放っておくと
平気でそのまま戦場に戻っていくからね。
こっちとしても必死なんだよ」
北往路での救援以来、何度か世話になっている
治療部隊の長がその様子を脇から眺めて苦笑していた。
「心身ともにかなり疲弊しているが、
どちらも休息を取れば十分回復する範囲だ。
だがどうせなら可能な限り短時間の休息で済ませたいだろう?
そこで祈祷で効果増量を見込んでいるわけだね。祈祷のみで
回復することはないから、この後しっかり休むんだよ。いいね?」
「はーい……ってて」
生返事をして逃げようとしたサイアスの腕を
祈祷師の女性がニッコリ微笑んでひねった。
その折にふと視線を落としたサイアスは、聖職者が首から掛ける帯
ストラの如くに垂らしていたユハに違和感を感じた。
「……」
「? サイアス卿、何か?」
急に大人しくなったサイアスを訝しみ、
祈祷師が声を掛けた。
「ユハの色が……
出撃前は真っ白だったのに」
サイアスの首から掛かる生きた帯、ユハはほんのりとではあるが
紫の色味を帯びていた。サイアスは祈祷師たちが見守る中、
ユハをじっと見つめ、その後つんつんと突いてみた。
するとくすぐったそうにユハが身をよじったため、
祈祷師たちは一斉に後ずさった。
但しサイアスの腕を掴んでいた女性祈祷師だけは、
驚愕しつつも祈祷を中断しなかった。蓋し職務の鬼であると言えた。
「そ、その帯は一体……」
「ユハです。生きてるそうです。
敵ではありません。心配は無用です」
サイアスは指先でつついたり撫でたりしながらユハと戯れだし、
祈祷師や様子を窺っていた騎兵たちは顔を見合わせ、
やがて割り切ったか気にしなくなった。
一通り祈祷を終えた治療部隊の祈祷師たちは
とにかく休めとしつこく念を押して戻っていった。
サイアスとラーズ、騎兵たちは神妙に返事をして見送ったあと、
肩を竦めて営舎へと戻っていった。




