サイアスの千日物語 四十四日目 その十
「大ヒルを単騎で追い払うとか……
あいつもいよいよ人外の域だな……」
北往路との連絡路南西、サイアスらが魚人の下へと
出立したその地点からやや西側に、ヴァディスと7騎が待機していた。
一行のやや北西にはサイアスらを追う魚人の群れが見えており、
サイアスらの誘引によって8騎は魚人の後背を取ることに成功していた。
ヴァディスや騎兵らはそれぞれ手にした遠眼鏡で戦況を窺っており、
サイアスが大ヒルと一騎打ちに及びこれを退けたのを目の当りにして、
騎兵の一人が思わず感嘆の声を漏らしたのだった。
「弟は外見から察せられる通り、
参謀部のシラクサ同様、本来は虚弱な部類に入ります。
体格が低く身的能力が不安定ですので、それを補い得る
馬との組み合わせは合理的といえましょう」
ヴァディスは遠眼鏡をしまいこみ、
遠方のサイアスに視線を投げかけつつそう言った。
「……元々長生きできないってことで?」
「平原で安穏たる暮らしをしておれば、
それなりの余生もあったでしょう。しかし騎士の子として、
そして領主としてそういう生き方を選ぶことはなかった。
どうせ短い命ならば村のために使い切ろうと、幼少より
覚悟していたようですね。老境の諦念にも似る殉教者の発想です。
お蔭で自身の生死すら冷徹に見据え、軍師のように思考します。
徹底した覚悟ゆえに躊躇いがなく、死地であるほど輝くのです。
ともあれ死や恐怖と対峙し戦う者だけが、それらを超えて勝利と生を
掴み取れるという荒野の掟は、アレの性分に合っているようです」
「ふぅむ。確かに当初はなんというか、
人一倍思いつめた表情をしてたかな、アイツ」
「あぁ。ほんとに『お人形さん』みたいだったなぁ」
「はは、城砦への道中もそんな感じでしたよ。
まさに覚悟一つといった風でした。ともあれ荒野で歴戦し
高い魔力を得たことで、寿命の問題は克服したように見えますね。
魔力は人にあらゆる変容をもたらしますから、最早常識では測れません。
それに眠り病です。『死も朽ち果つる永劫を微睡みたゆたうもの』
となる可能性の方が高いかもしれません」
「軍師殿申し訳ない。その辺はまるで理解できません。
というか理解したくないので話を先へ!」
「おや、それは残念。
ともあれラーズも無事なようですし、頃合いでしょう。
こちらも仕掛けます」
「了解!」
騎兵たちはベオルクやデレクに対するより遥かに
敬意ある敬礼をし、戦女神の如きヴァディスの挙措を見守った。
「カエリアの騎士ヴァディスより
城砦騎士団の精兵に告ぐ」
ヴァディスは騎兵たちから数歩離れ、愛馬を旋回させて振り返った。
その声は凛と張りつめ宣託の如き神々しさすら伴っていた。
「大地は我らの領土であり、
いずれ還るべき慈母の腕にして故郷、即ち我らの聖域である。
これを汚し我が物顔でのさばる魚どもには
相応の末路をくれてやるとしよう」
ヴァディスは再度愛馬を旋回させ、西方へと向き直った。
「そして……
第四戦隊騎兵隊長サイアス卿より指揮権を預かる
城砦軍師ヴァディスより、騎兵隊の勇士諸君に命ずる。
これより敵陣に突撃しこれを蹂躙、殲滅する。
我が背を追って駆けてこい!!」
ヴァディスは高らかにそう叫ぶと重装甲を纏った愛馬を竿立たせ、
愛馬は声高に嘶いて前肢で宙を掻き、下すや否や
大地を蹴って駆けだした。
どこたっ、どこたっ、どこたっ、どこたっ。
重々しくも軽妙な音は徐々に間隔を狭めていき、
どこたどこたどこたどこたっ。
砂塵を巻き上げ鎧を震わせ、
ドガガガガガガガッ。
轟音を上げさらに加速していった。
陽光を受けて白銀の装甲は燃え上がるように輝き、
背後からは軽騎が追走しこれにつき従って両翼を形成、
やがて8騎の馬蹄は荒野の大地を揺るがした。
「……来たな。
南へ転進、全速で戦域を離脱する!」
サイアスは追随する2騎に命じ、共に即座に行動に出た。
魚人の群れの囮となってのらりくらりと南西へ逃げていた
サイアスら3騎は一気に加速して魚人を振り切り南方へと離脱し、
急な加速についていけず取り残された魚人の群れはそれでも食い下がって
南へと向きを変え、追撃を継続しようとしていた。
魚人たちが僅かの逡巡に足を止め、
南へと転じて再び猛追に移ろうかという、まさにそのとき。
東方にキラリと銀の輝きが走り、次の瞬間には轟音と砂塵とを伴って
燃え盛る白銀の車輪の如き騎兵の群れが突っ込んできた。
驚愕の声を上げ、目を見開く暇すらなかった。
魚人は悲鳴や千切れ飛ぶ音すら立てず、馬蹄の轟音のままに死滅した。
先陣を切って突っ込んできた重騎兵ヴァディスに敵陣中央の5体が
貫き跳ね飛ばされ爆散、残る4体も衝撃で吹き飛ばされて半死半生となり、
そこに追随する騎兵が殺到し勢いのままに槍や剣を繰り出し斬り飛ばした。
突撃した騎兵たちはそのまま西へと駆け抜けて、後には
鱗や肉片、わずかに形を留めた魚人の残骸が散乱するのみであった。
「うっへ、やべぇな……」
速度を落とし並足となり、やがて停止した8騎に合流し、
後方に散らばる残骸と紫の染みを振り返ったラーズがそう呻いた。
先陣を切ったヴァディスをはじめ、誰一人として死者はなく、
精々鎧や武器に返り血や擦過痕が付いている程度だった。
サイアスが被害状況を確認していると、突撃部隊を率いたヴァディスが
ミカと轡を並べてきた。白銀の鎧と馬鎧を斑な紫に染め上げた
ヴァディスは面頬を上げてサイアスを見つめ、そして無言で頷いた。
サイアスはその意を察して頷き返し、自らを見つめる騎兵たちの
一人一人と視線を合わせ、頷き、大きく息を吸い込んで声をあげた。
「我らの勝利だ! 勝どきをあげよ!!」
戦場の緊張と恐怖、高揚と興奮に酔った騎兵たちは
手にした武器を高らかに掲げ、あらん限りの大声で吠えた。




