サイアスの千日物語 二十九日目 その五
第四戦隊の営舎を出たサイアスは
書庫があるという本城を目指し北東へと歩いた。
本城の防壁自体は営舎を出てすぐ見えており、
それに沿って進んでいく格好であった。
やがて防壁の北の外れへと差し掛かったサイアスは
入り口を求めて周囲を見渡した。するとどうやら
東西南北に頂点を向けた正方形の頂点。
外接円との交点にあたる箇所が、本城への入り口だと判った。
サイアスは北の入り口を目指すことにした。
本城の北口では2名の兵士が歩哨をしていた。
「おはよう御座います。
本城の書庫へ行きたいのですが」
サイアスは自分が入砦式待ちの志願兵であることを告げ、
そのように尋ねた。
「うむ、書庫か。
本城中枢の中央塔に隣接した参謀部にある。らしい。
が、お主が入れるかは判らんぞ」
「入れないのですか?」
サイアスはやや引っかかりを覚えつつさらに問うた。
「うむ、そうだな…… 私からは何とも言えん。
直接自分で確かめてみるといい」
兵士の返答は歯切れの悪いものだった。
が、事実その通りなのだろう。ともかく行って見なければ。
そう考えたサイアスは、兵士に礼をして中枢へ向かい通路を進んだ。
城砦本城の一階部分は、敷地の広さに反し
移動可能な範囲がかなり狭かった。中央を十字に走る
目抜き通りを除けば目に映る大部分が上層を支える支柱。
そして武具や物資を収める倉庫、或いは階段になっていた。
目抜き通りを抜け北から南へ進みゆくサイアス。
それなりの距離を歩いたのち、丁度本城の中心部にある
空隙へと至り、数階上の天井へと大黒柱のように伸びる
大きな塔と、その脇に見える施設へ近付いていった。
塔の脇に併設された施設の入り口、扉の上部には
「中央塔付属参謀部」と書かれたプレートが打ち付けてあり、
件の書庫はどうやらこの中らしい、とサイアスは目星を付けた。
そこで何食わぬ顔で扉を開け、中に入るとすぐ内側には受付が。
そこには他部署と異なりローブを纏った女性がおり、
近づいたサイアスに機械的な口調で話しかけてきた。
「こちらは中央塔付属参謀部です。
伝令を除く新兵・兵士は原則入館できません。
ご利用の際は氏名、所属、階級を記帳してください」
「……」
サイアスは返答に窮することとなった。
本城北口の兵士が曖昧な返答を寄越したのは、
おそらくこういうことだったのだろう。
未だ入砦式も済んでいないサイアスには、記帳すべき
確固たる所属や階級がない。さて、何と書いたものか。
氏名は記帳したものの、サイアスは続きを書きあぐねていた。
「……?」
サイアスの逡巡を怪訝に思ったのか、
受付の女性が眼鏡に手をやり身を乗り出してきた。
なんとなくマズいことになったかもしれない。
サイアスがそう思い始めた、その時。
背後から白い手がにゅっと伸びてきた。手はサイアスから
羽ペンをひったくると、さらさらと続きを記帳した。
そこには「カエリア王立騎士団従騎士」と書かれていた。
「?」
サイアスが驚いて振り返ると
そこにはすらりとした女性が立っていた。
濃紺と深緑色のチュニックにペンダント。黒のホーズ、茶のブーツ。
そして腰には長剣を佩いていた。左肩には紫紺のケープを引っ掛け、
右肩には剣樹の紋章が入った盾形の飾り「エイレット」があり、
編み上げた光沢の強い亜麻色の長髪を左肩のケープに垂らしていた。
母や自身の美貌に慣れっことなっていたサイアスが
美しいと感じる程のその女性は、サイアスにクスリと笑んでみせた。
「城砦兵士長よりこちらの方が通りがいい。
気兼ねなく名乗りたまえ」
サイアスは目の前の女性に見覚えがなかった。
声は聞き覚えがあるような。そう思いつつ、サイアスは尋ねた。
「失礼ですが、どなたですか?」
女性は微かに首を傾げ、
意外そうな顔でこう答えた。
「何だ、もう忘れたのか?
私はカエリア王立騎士団のヴァディスだ」
「……えっ?」
サイアスは思わず問い返した。
「……ん?」
ヴァディスはさらに首を傾げた。
形の良い唇がほのかに笑んでいた。
「……いえ。甲冑姿でしかお見掛けしなかったので」
輸送部隊では、騎士たちは一様に板金鎧と兜という出で立ちで、
ヴァディスにしてもほとんど目元口元程度しか見えていなかった。
「なんだか女性っぽくて、驚きました……」
「ははは! なんて言い草だ!」
ヴァディスは声を立てて笑った。
「うら若き乙女に失礼なヤツだな!」
愉快気にそう言うと、ヴァディスはにゅっと伸ばした手で
サイアスを引っ掴み、頭を抱え込んでグリグリした。
ほのかな香水の香りがサイアスの鼻腔をくすぐった。
うら若き乙女にこんな膂力はあるまい。
そう思いつつも、サイアスは
「大変失礼いたしました……」
と素直に詫びておくことにした。
「よし、一杯奢れ! それで赦す」
「えー……」
サイアスとヴァディスが斯様にじゃれあっていると、
背後で受付の女性が大きく咳払いをした。慌てて振り返ると、
「王立騎士団の後見であれば問題ないでしょう。
サイアス・ラインドルフさん。入館を許可いたします」
と告げ、奥の通路を顎で示した。
とてもとても不機嫌な様子であったため、
サイアスは後難を恐れてさっさと一礼をし奥へ向かい、
ヴァディスは愉快そうに肩をすくめつつそれに倣った。
「ともあれヴァディス様、助かりました」
サイアスは事情を説明しつつヴァディスに礼を言った。
「気にするな。それと様は要らない。
呼び捨てていいぞ」
ヴァディスは微笑んでそう言った。
「えっと、そういう訳には……」
「ではヴァディスお姉ちゃんと呼ぶがいい」
「難度を上げないでください」
ヴァディスはサイアスの困った表情を眺めて
楽しげに笑った。輸送部隊で指揮を執っていた時とは、
まるで別人のようだった。
「ヴァディスさん、はどうしてこちらへ?」
サイアスはとりあえず呼び方を決めた。
「ん? 私か?
私は軍師の技能訓練のために、参謀部へ出向しているんだ。
城砦での階級は城砦軍師。城砦兵士長と同格だな」
「城砦軍師、ですか?」
「あぁ。そうだな……
座学なら今日はその辺を話してやろう。
私も良い気分転換になる」
「ご迷惑では」
「そうでもない。
他の連中は定期的に国許へ戻るが、私はずっとこっちでね。
手頃なおもちゃが手に入って喜んでいるところさ」
「おもちゃ……」
「おっと訂正。話し相手だった」
ヴァディスはニコニコしながらそう言った。
何やら厄介なことになったのかもしれない。
そう思いつつもサイアスは、知人が増えたことを喜んでいた。




